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エピローグという名の番外①

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「うぅっ……! もう、サイッテー」

 己の前髪をつんつんと引っ張りながら少女が涙ぐんでいる。
 無残な有様だった。

 かつての艶やかな色彩はそこに無く、枯れ草のように縮れた髪ばかりが目に入る。
 少女が確かめるように撫でまわしてみれば、そのごわごわとした感触は後ろ髪の根元まで続いていた。

 自慢のともはもう此処にはいない。
 その事実を反芻するように、少女は今日何度目かになるため息を吐く。

「なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないのっ!」

 少女の名はカリン。
 世で『大淫婦』などと呼称される人類の裏切り者である。
 今や王国の至る所に懸賞金付きの似顔絵が張り出され、その名と顔を知らぬ者はいない。

 少女が自慢の髪を麦酒に漬け、髪の色を抜いたのはその為だ。
 人目を忍んだ長い放浪生活の末、今では頬を痩せこけひび割れだらけ。
 ここにかつての聖女の面影を見出す事が出来るのは、よほど親しい間柄の者だけだろう。

「酷いよ、みんな……」

 変わってしまったかつての『お友達』の顔を思い浮かべ、また涙。
 気分は悲劇のヒロインである。

 そもそも王国を捨てたのはビョルンの不義が原因の筈。
 挙句『真実の愛』を誓い合った変な名前の魔神も、同じように浮気をしていたのだ。
 なのに彼らは自らの行いを一切省みる事も無く、こうしてカリンの手配書を自らの支配地に配って回っている。
 
 そうしてカリンは一度は全てを捨てて、精霊と共に『穏やかな生活』を過ごす事を決めた。
 しかしここでまたしても、無垢な少女は盛大なを経験するのだった。

――「巫女よ、歓迎いたします。これよりは天空の星々があなたを癒す天蓋であり、風に揺れる若草があなたを楽しませる調べとなる事でしょう」

 精霊は大自然の中の営みが如何に素晴らしいモノであるかを語り、懸命にカリンを誘惑した。
 しかしいざその真実を確かめてみれば、悲惨の一言に尽きるものだった。

「要は野宿じゃん! 服の中まで虫が入って来るし、もぅサイッテー!」

 文句を言ってみれば、きょとんとした顔で「それが自然というもの」などと言ってのける始末。
 更に冬になれば真っ白でふかふかな雪のベッドを楽しめるという。
 次の朝には心臓まで雪のように凍り付いているのは確実だろう。

 つまりは悪質な詐欺にあったのだ。
 カリンは一連の事態をそのように受け止めていた。
 結局精霊とも喧嘩別れをして、今は長い放浪生活の最中である。

 とは言え、目的とする土地ぐらいはある。

「助けてくれるよね、友達だもん!」

 世間を逃げ回る中、風の噂に聞いたのだ。
 自分と魔神の婚約をエレノアという娘が、辺境の開拓地で成功しているという事を。

 話によるとカリンの記憶より随分と周りに優しくなったようだ。
 自分も必死に彼女の言動を戒めてやった甲斐があるものだ、とカリンは鼻を鳴らす。
 そうであるのならば、不当に迫害されている少女一人ぐらいは助けてくれるのが道理と言うもの。

「待っててね、エレノアさん!」

 カリンはそう呟きながら、三日前に露店からくすねた黒カビの浮いた大蒜を頬張った。



「ここがヴァイス村……むら?」

 ざっくり冒険小説三本分ほどの長い旅路の果て、カリンは遂にヴァイス村まで辿り着いた。
 しかし胸に去来する思いは感動では無く、困惑。
 自分は夢でも見てるのでは無いかという考えばかりが浮かぶ。

「ここが初めての奴はみんなそういう顔をするんだよ」

 途中でカリン達難民の同行を許してくれた行商人が、自慢げに微笑みかけて来た。

「今の時代、辺境の村一つが魔物に怯えないで済むのにはそれなりの理由があるもんさ。もうこりゃ砦と言った方が良いかもしれないね」

 その行商人の言葉通り、眼前には凡そ村としては不釣り合いな壁がそそり立っていた。

 門を中心に、左右から円錐状に伸びる城門より高い壁。
 下には深い堀、上にはバリスタが備え付けられている。
 よくよく観察してみれば壁には幾つも穴が空いていて、時折誰かの影が通るのが目に入った。

「魔物が来たら上から矢、あの窓から魔術師が魔法を打つんだ。左右から土壁が伸びてるのは射線を集中させる為だな」
「へぇー……」
「オレは見たことが無いが、空から見るとこの村は星形になってるんだと。全周囲から魔物を撃退出来るって事さ」
「ふぅん……」

 世話になった行商人の言葉に、カリンは気の無い返事をした。

 魔物がどうこうというのは男の仕事であって、女としては興味が無い。
 こちらは長旅で疲れていると言うのに、デリカシーの無い人。
 それがカリンの本音である。

 しかしこういう男がどんな反応を求めているか、カリンは同時によく知っていた。

「わぁ、物知りなんですね商人さん!」
「ま、まぁお得意様の事だしな。こういうのが好きなのは単なる男のサガっていうか……」
「それだけじゃ無いと思います。貴方はここまで私たちの事も助けてくれました。きっと人を守るって事が商人さんの身に沁みついてて、心が自然と向かっていくんじゃないのかな?」
「そんな大それたことじゃ無いけど! ……そう思う?」
「はいっ。そういう人、ステキだなって思います!」

 カリンが少し褒めてやれば商人はだらしなく顔を赤らめた。
 そこに確かな手ごたえを感じ、カリンは陰で握りこぶしを作る。

(この調子、この調子! よぅし、今度は失敗しないようにしなくちゃ)

 取り敢えず狙うのはこの村の二番目の席。
 カリンはエレノアに取り入る気まんまんだった。

 ヴァイス村は非公式ながらも、多くの難民を受け入れていると聞く。
 このまま姿を隠して一労働者として受け入れて貰う手もあるが、それで満足するカリンではなかった。

(今まで不幸だった分、幸せにならなくちゃね!)

 そう意気込みながら、カリンは他の難民と共に村の門を潜る。
 しかしながらその意気込みは、エレノアに出会う前にとん挫する事となった。

「はい、次の方」

 牧歌的な笑みを浮かべる村娘が、村の入口で難民の応対をしている。
 どうやら職分を聞いて名簿のようなモノを作っているらしい。

(これに名前を書かれたら仕事をしなくちゃいけないんだろうな)

 カリンはそう思い、一瞬嫌そうな顔をした後に村娘に向かって口を開いた。

「あの、エレノアさんと会わせてくれませんか?」
「……はい?」

 村娘は笑顔のまま顔を上げたが、どことなく声が固い。
 カリンがその圧に怯んでいると、村娘はため息交じりに同じ笑顔のままでこめかみを掻いた。

「最近多いんですよね、元貴族か何かでそういう事をおっしゃる方」
「え? ち、違います! とにかく会わせてくれれば分かりますから」
「ではお名前を伺いましょう」

 名を問われてカリンは戸惑った。
 エレノアは説得するつもりだが、現時点でカリンという人間はお尋ね者である。
 この場で名を明かすのは、どう考えてもよろしくない。

 村娘はそれを別の意味で捉えたのか、厳しい顔になって更に忠告を重ねて来た。

「そのような問い合わせをする方の傾向は一つです。つまり自分は貴族なのだから労働させるな、と。私どもの主であるお嬢様に恐れ多くも直談判しようとなされる」
「……う」
「食うや食わずの今の時代、仕事があるだけでもありがたい事だとは思いませんか?」
「だから違います、貴族なんかじゃないです!」
「ではお名前を。本当にお嬢様の『ご友人』ならばそれはそれ。丁重にお迎えします」
「言えない理由があるって言ってるの!」
「それが通るなら受付の意味がありません」

 力づくで押し通ってやろうか。
 カリンは沸き上がった頭でそう考えたが、目の前の笑みを見てそれは思い留まった。
 何とも言えない嫌な予感がしたのである。

「……それでもどうしてもお嬢様にお会いしたいのなら、仕事ぶりで示すように。少なくとも月に一度は意見の聞き取りも兼ね、労働現場を視察されます」

 どうあっても仕事をする事は免れないらしい。
 カリンは唸りながらも、結局は村娘の言葉に首を垂れた。
 自分が上に立ったら覚えて置けよ、などと思いながら。

「で、アナタはどんな事出来るんですか?」
「え?」
「仕事の割り振りですよ。極力以前に従事していた職に近い労働を斡旋します。貴族じゃ無いんですよね?」
「う、うん……」

 しかしいざ問われてみると、カリンは頭を捻る他無かった。
 生まれてこの方仕事なんてしたことが無い。
 魔術の才を認められて学院に入る前、孤児院で色々仕込まれそうになった記憶もあるが、それも面倒くさいので男の子たちに貰っていたのだ。

 そうして考え込んでいると、見かねた様子の村娘が口を挟んできた。

「あの、機織りとまでは言いませんから、縫物出来るぐらいでも良いんですよ?」
「え? そんなの出来ませんけど?」
「料理とか、掃除とか」
「やった事無いから分かんない」
「……本当に貴族の方じゃ無いんですよね?」

 その後「商家か?」と小さく呟いた後から、村娘の声に半ば呆れの色が混じっていく。
 あれこれと言い交わした末、結局カリンに割り当てられた仕事は農作業の手伝いという事になった。

「ま、仕方ない。我慢するよ」
「ぶちころすぞ」

 不承不承に受付を去った後、後ろから騒がしい音が聞こえたが、カリンは気にせず村の中へ入っていった。
 少女の咆哮とそれを取り押さえる男の声だ。

「やあね。痴情の縺れかな」

 ああはなりたくないものだ。
 カリンは暴れる村娘に冷めた視線を送りながらそんな事を考えるのだった。
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