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 ハール大陸の長い歴史の中で『聖魔狂騒時代』こそ最も世が荒廃した時代。
 人類の暗黒期の幕開けであったと言って良い。

 国は割れ、地に魔が溢れ、数々の冒険譚と悲劇が大陸の至る所で紡がれる。
 力無き民に寄る辺は無く、力の信奉者である魔が栄えた。

 全ての元凶である『大淫婦カリン』。
 それを現世に産み落としたヴェルスト王国の混乱は一際大きい。

 他国の援助も無く、魔神の猛攻を防ぐ術も時間も無い。
 ヴェルスト王国の命脈は風前の灯も同然。

 ――とはならなかった。



「よいしょ、っと!」

 ヴェルスト王国の辺境に位置する開拓地、ヴァイス村。
 その畑で今日も今日とてエレノアはクワを振るっていた。
 今では木綿の服も体に馴染み、農具を担ぐ姿も中々堂に入ったものになっている。

 あの王城での騒ぎの後すぐ、ヴァイス村は王国から離脱した。
 そのまま王国所属でいれば、何処からか横やりが入って来るのは目に見えていたからだ。

 全ての善が一瞬にして悪に替わる。
 そんな騒動の後に、カリンに対抗していた『大貴族の娘エレノア』を楯として担ぎ出そうとする者が出るのは当然と言えば当然の事だ。

 実兄らなど恥を知らぬ顔で手を差し伸べ、それをエレノアがすげなく払えば罵詈雑言を浴びせかけて来たものだった。
 だがそれも昔の話。
 世の騒乱など微塵も感じさせぬ辺境の青空の下、エレノアは呑気に思い出を掘り起こす余裕すらあった。

「お嬢様、そろそろ休憩にいたしましょう!」

 血濡れの姿でにこやかに歩み寄って来た村娘に、エレノアは引きつった笑みを返す。

 エレノアの周囲が平和だと言っても、それはこの村に限った話だ。
 世の中には魔物やら山賊やら、物騒な輩が溢れている。
 それがエレノアの目に入らないのは、直前で根こそぎ刈り取る修羅がいると言うだけの話。

「いやぁ、夏も終わりだって言うのにムシが多くてかないませんね!」

 ただの『服飾師テーラー』だった筈の村娘は、爪先から滴る赤い水を隠す様に振るい落とす。
 どうやらエレノアの記憶より、更にレベルが上がったようである。

「また山賊でも出ましたの?」
「はい。えーと、元炎魔将ボルグルとか名乗ってましたけど……」

 村娘の口から出た名は、明らかにただの賊の名では無かった。
 敗残の将か、また新たに独立しようとした諸侯が居たのだろう。
 魔神側にしろ、人側にしろ、ここの所はそんな話ばかりだ。

 それと言うのも、全ては件の『大淫婦』のお陰である。
 散々エレノアを悩ませたあの少女が、大人しく『魔神の花嫁』などという座に収まるわけも無かった。

 端的に言ってしまえば、王城で披露したような茶番があのすぐ後に魔神側でも起きたのである。
 あの世に名を轟かせる大淫婦様は、将軍やら四天王やら前魔王の遺児やら異世界の邪神やら、とにかく手当たり次第の顔と聞こえの良い殿方にその触手を伸ばしていたのだ。
 その結果引き起こされたのが、大淫婦を巡る魔界争奪戦である。

 魔族とは力の信奉者。
 女も王の座も、力で奪い取るというのは彼らなりには正しい行いなのだ。

 ここまではエレノアも半ば予想していたことではあった。
 あんな女のわがままが何時までも上手いこと続くワケは無い。
 いずれ何らかのきっかけで破綻する事は目に見えていた。

 だからこそあの時言葉だけの祝福を交えつつ魔神の元へと見送ったのである。
 人類の敵対者が人類の産業廃棄物を引き取ってくれるのなら、こんな嬉しい事は無い。

 だが誤算と言えば、魔神がカリンと『似た者同士』な恋人だった事だろう。
 魔界には他にも百を超える恋人と妃候補が居たのである。
 そして彼女たちも魔族の出身、押しも押されぬ暴力の化身だった。

 結果として魔神は脇腹と背中をめった刺しにされ、魔族側の秩序は崩壊。
 一時期大陸を席巻していた配下共はそのまま人間たちと共に群雄割拠の一時代を形作る事となった。

 今や大陸で平和を守り通せたのは、エレノアの住むヴァイス村ぐらいのものだ。
 自力で大量の食料を生産し、強力な防御施設と兵を擁する。
 そんな楽園は、此処において他は無い。

「ホント、彼女には終始振り回されました……」
「まったくでございますな、もう!」

 エレノアの傍らにいつの間にか陣取っていた影は、勝手に茶を啜りながら同意の声を上げた。
 いつぞやの『大悪魔』、使いっ走りのキリゴール。
 彼は済んでの所でこの楽園に逃げ込んできた勝ち組の一人だった。

「ささ、エレノア様! こちらに茶菓子の用意が整ってございますれば!」

 悪魔は後ろから焼き菓子の乗った盆を差し出し、高速で蠅のように揉み手をしている。
 そこにかつての傲岸不遜な姿は無い。
 必死に新しい主の機嫌を取ろうとするその様は、ある種の愛嬌すら感じさせる。

 だが、それを見て心安らかでいられない者がここにはいた。

「『死爪糸デストリンガー』ッ!」
「うぉ! な、何をするか小娘! この大悪魔キリゴール様に向かって!」
「それは私のお役目だッ! 私はまだまだお嬢様の為に働かねばならん……ッ!」

 何時の間に『必殺技』など作っていたのか。
 村娘は指先から極小の絹糸を機械弓のように弾き飛ばし、悪魔のいた所に複数の穴を穿つ。

「うるさい! 潰しの利かぬ400才管理職がやっと手にした再就職先だ! 断じてこれを逃してなるものかッ!」

 悪魔は紙一重で村娘の攻撃を躱しつつ、そんなさもしい啖呵を切って見せた。
 どうやら新天地でも参謀枠を狙っているらしい。

「お茶菓子出すくらいでそんなに喧嘩しなくても良いじゃない……」
「で、ですがお嬢さま!」
「どうせこれから手は足りなくなるんだから、みんなで仲良く仕事しましょう。ね?」

 優しく、困ったようなその瞳を向けられた村娘は、小さく唸り声を響かせた後に糸をしまう。
 目じりには血の涙の後があり、悪魔も思わずたじろいでいる。

 このヴァイス村に逃げ込む者は、この悪魔だけでは無かった。
 大地に豊穣を齎す少女、エレノア。
 今や人魔問わずその名声は知れ渡っている。

 救いを求める者、欲に惹かれる者。
 今やヴァイス村には日夜様々な立ち位置の者が訪れるようになっていた。

「どうせ私には畑を耕す事しか出来ないんだし……」

 一歩外を出ればそこは人外魔境。
 村人は魔物と賊を相手に、狩りの毎日。
 王国の上層部にしても日夜終わりの見えない戦と政治に明け暮れている。

 そんな中、エレノアはのんびりと畑を耕す事しか出来ないのだ。
 冒険とも政治とも無縁に、ただ牧歌的な毎日を送っている。

「だからあなた達の力を貸して欲しいの」

 エレノアの持つ『力』は確かに強力だ。
 しかしそれはエレノア一人が持っているだけでは、何の意味も無い。
 一人で畑は守れないし、大量の野菜を作っても仕方がない。

 結局人というものは面倒でも厄介でも、他者と関わらずにはいられないように出来ている。

「見ているものや目指すものが別々でも、みんな一緒なら楽しいわよ? たぶん」
「お嬢様……」
「ペッ!」

 村娘は感動に打ち震え、悪魔は隠れて唾を吐いている。
 足して二で割れば丁度良いのにな、とエレノアは笑った。

「そうだ! 親睦も兼ねて今日は二人で狩りでもしてきたらどうかしら!」
「えー……。コイツとですかぁ?」

 近くに狩り甲斐のある良い獲物が来た、とヨトゥンが言っていたのを思い出しエレノアは両手を打った。
 村娘と悪魔は不満げにお互いを睨み付けている。

 だがそうして我を通すだけでは幸せは訪れない。
 今回の騒動から学べる事があるとするならば、そういう事だ。

 エレノアは村娘に向かって強く微笑んだ後、言い聞かせるようにその名を呼んだ。

「じゃ、新入りさんの事はお願いね。ミスト」
「ッ! お、お嬢様! ついに私の名前を……ッ!」
「あ、あれ? 呼んだ事なかったっけ?」
「今日からこの耳は洗いません!」

 ミストは涙ながらに見事な敬礼をすると、傍らにいた悪魔の羽を引っ掴んで村の外へ駆け出した。

「行くぞ、悪魔! お嬢様のお望み通り狩りをする! 記念の大物狩りをな!」
「ま、待たんか、千切れる! それに何を狩れと言うのだ!?」
「それは勿論、最近山に住み着いた竜の事だろう……!」
「竜!? ちょっと待て、何かの間違いだろう!」

 慌てふためき、何とかその手から逃げ出そうとする悪魔。
 ミストはそれに底の見えない輝きを見せる瞳をぐいと近づけ、言った。

「お嬢様のお言葉は、何よりも優先される……ッ!」



 ――『聖魔狂騒時代』。
 人心が乱れ、信仰を否定されたその時代。
 ヴェルスト王国はその後、『偽王ビョルン』の治世を最後に歴史からその名を消した。

 しかしそれから。
 かつて王国の存在した土地の片隅に、奇妙な信仰を支えとした国が興った。
 飢える事無く、渇く事無く。
 その奇跡の少女の名は、長く人々の間で語り継がれていったと言う。
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