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16-①

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 伝説に謳われる魔神の復活より七日。
 その僅かな時の間に、王国全土は混乱の渦の中へと突き落とされた。

 山野に魔物が溢れ、街道は寸断され、人々の心に大きな影を落とす。
 歴史あるヴェルストの国家としての秩序は、砂糖菓子が雨に打たれるかのように崩壊しつつあった。

 だが、何事にも例外があるのが人の世の常というものだ。

「さあ、今日も魔物を血祭りにあげるか!」

 冗談めかした台詞を口にしながら、農夫たちは飛び切りの笑顔を交わす。
 如何に多くの魔物の首を上げるか。
 ヴァイス村においてそれは、最も手軽な娯楽である。

 村を悩ませていた『騎士崩れ』の姿も今は無い。
 こんな辺境でちまちまと名声を稼がなくとも、この状況なら士官先と戦場には事欠かないのだから。

 そんな具合でヴァイス村の住人たちはこの所、娯楽と農作業に明け暮れる充実した毎日を過ごす事が出来ている。
 皮肉な事に魔神の復活は世情とは真逆に、ヴァイス村へひと時の安寧を齎したのだった。

 とは言え、それが一時的なガス抜きでしか無い事もまた事実。

「やっぱりアイツらに食料コレ売らなきゃダメでしょうか……?」

 村娘は内心の不満を捨てきれないのか、本日何度目かになる抗議を主へと送る。
 エレノアは申し訳なく思いつつも、やんわりと首を横に振って応えた。

「今は街の方も兵の糧秣が必要ですからね。軍の動きが鈍ればこの辺りの治安も乱れますよ」
「ごもっともな事とは思いますが、それで助かるのが他の村アイツラというのが納得いかないんです……」
「もし村が滅んで難民が出れば一部がここに流れて来るか、最悪の場合山賊化して襲ってきますので」

 そしてそれらを無視したり返り討ちにした場合、後であの王子が突っついてくるのは目に見えている事だった。

「それに住む場所が無くなる辛さはアナタ達もよく分かっているでしょう?」

 少し卑怯な物言いか、とエレノアは罪悪感を覚えながらそう口にした。
 村娘は唸りを上げつつ、何とか内心の不満を封じ込めようとしている。

「で、でも! 格安で売るのは仕方ないにしても、せめてカブ! アイツらに売るのはカブだけって事にしましょう! 街の奴らも散々フザケタ真似してくれたんですからッ!」
「え、ええ……? それでアナタの気が済むなら次回からはそうしますが」
「ありがとうございます、お嬢様! うへへ、見てろよぉ……。全部カブの酢漬けでぎゅうぎゅうにしてやる……!」

 それが嫌がらせになるのかどうかエレノアには判別が付かなかったが、村娘はそれで納得したようである。
 とりあえず軍が漬け物臭くなることだけは確実だろう。

「それじゃあ、後はお願いね。本当は私が街まで行ければ良いのだけど」
「今は魔物が多いですからどうかお嬢様はご自愛ください。こんな些事は私の仕事で十分です」
「アナタも女の子なんだから、道中怪我しないようにね?」
「お任せください! 魔物の鎮圧は弟たちの世話で慣れてますから!」
「……弟さんたちは随分とたくましい教育法を受けてらっしゃるようで」

 エレノアは遠い目をしながら村を出る荷馬車を見送った。
 あの調子なら村娘もちゃんと『お役目』を果たす事が出来るだろう。

 今はヴァイス村を取り巻く状況が好転しているとはいえ、それも結局は一時的な事。
 いつまたビョルンの嫌がらせが始まるのか分かったものでは無い。
 そして村人の限界点も案外低い事を、先日の騒ぎでエレノアは思い知った。

 だからこそ今の内に、街に恩義を売りつつ釘を刺しておくべきなのだ。
 そして村の中で一番圧が強いであろう人物は、あの村娘をおいて他は無い。

「交渉事は強気で攻めるのが基本ですわよね」

 次は自分の仕事をする番である。
 エレノアは独り言を呟きながら気合を入れ、自宅の扉をゆっくりと開く。
 そして部屋に入り切る前に、顔に不穏な笑みを張り付けるのだった。

「――さて、では弁解をお聞きしましょうか?」

 エレノアが微笑みかけた先には、翼を畳んで縮こまっている悪魔の姿があった。



 世の中にはどんな国、文化においても変わることの無い普遍的常識というものがある。
 すなわち、報告・連絡・相談。
 異なる世界で二度の人生を経験したエレノアから見ても、それは社会人の常識だと断言出来た。

 土台取引というものは互いに相手を敬う事で成立するものである。
 自分の都合で相手の都合をかき乱し、それで信頼関係など築けるわけなどないのだから。

 エレノアの目の前の悪魔もそれが分かっているのか、居心地が悪そうに冷や汗をかいていた。

「えー……、本日は多大なるご迷惑をお掛けいたしました事を深くお詫び申し上げる次第でございまして。しかしながら今回の件につきましては、日々目まぐるしく変わる社会情勢に対応するべくイニシアチヴを取り、それによるベネフィットを関係する皆様とシェアするべく、エレノア様とのコミットメントを――」
「要するにアナタ方の勝手な都合でコチラは振り回された、と」

 机を指先で叩きながら言葉を遮ると、悪魔はびくりと震えた。
 気の毒な様ではあるが、だからと言ってエレノアはこれで矛を収める気も無かった。

「先に取引を持ち掛けて来たのはそちらですわよね」
「そ、そうでございますです、はい」

 悪魔は先日の横柄な態度もなりを顰め、言葉遣いまで怪しくなる始末。
 頬も痩せこけている辺り、ここに来る前から問題の対応に走り回っていたであろう事が伺い知れる。

 そも魔神の宣戦布告はエレノアの知識よりも一か月以上早い。
 本来それが兵力確保に充てるべき時間であったのならば、今の状況は魔神の配下からしても不測の事態に違いない。

「先に動かれては共闘も何も無いでしょう。こちらにも相応の準備というものがあります」
「おっしゃる通りです。調整に纏わる損失に付きましては、全面的にこちらの方で負担をさせて頂きますので」
「損失がどうこうでは無く、これは信頼の問題です。こんな事では今後の契約も見送らなければなりませんわね……」
「そ、そんな! お待ちください! 今アナタとの大口契約まで失ってしまうわけにはいかないんです! ただでさえ愛想を尽かして離反者が出ているのに、失態が続けばそれに拍車がかかるじゃないですか!」

 悪魔は自分が失言をした事に気づかず、必死にエレノアを引き留めようとしている。
 どうやら中間管理職営業マンのおかれている状況は相当に悪いらしい。

「せめて誠意を見せて頂きたいものですわね……」

 エレノアはわざとらしくため息を吐いた後、内心で悪魔に詫びを入れた。
 これはただの『ポーズ』である。
 魔神との協力をする気など端から無い。
 国を滅ぼしたところで得られるものは一時の解放感ぐらいのものだ。

 それでもこうして交渉する振りをするのは、ただ情報が欲しいからに他ならない。
 こんな混乱を引き起こされて、この先世情がどう動くのか。
 それはもう神にだって分からないことだろう。

 そしてエレノアを取り巻く問題には、何をしでかすか予想の付かない爆弾ビョルンが付いて回るのだ。

「……分かりました。恥を忍んで全てお話しましょう」

 悪魔はしょんぼりと肩を落とし、ついに根を上げた。
 魔神側でどのような問題が起きたのか。
 それが判明すればある程度は先の見通しも立つと言うものだ。
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