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「我らは聖ファンゴ赤鎧騎士団! 闇を切り咲く光となるべくこの地に――」
「稲刈り切り!」
「ぬわーーっっ!」

 今日もヴァイス村に悲鳴が響く。

「私は旅の騎士ビゴー! 村の者よ、安心するが良い――」
「稲刈り切り!」
「グワー!」

 『正義の』挑戦者の列は今日も途切れる事なく続く。

「ドーモ、農夫サン――」
「稲刈り切り!」
「アイエエエ!?」

 もう名乗りを聞くのもおっくうなほどだ。
 理由はいわずもがな、この村に住む『魔女』エレノア。

 ビョルンの小手先の策略は、今の所着実な成果を上げていた。
 本物の騎士が公式にエレノアを捕らえに来るような事こそ無いものの、多くの無頼の輩がこの辺境の村に集まってきている。

 名声を高める為にはエレノアという『悪』はさぞ都合の良い獲物に違いない。
 もしこれが『手柄』と認められるなら、士官の道も夢ではないのだ。

 ヴァイス村の開拓民たちは本来一年の内で最も畑仕事に従事せねばならない時期に、そんな騎士崩れたちの相手をさせられていた。



「もうみんな殺して吊るしましょう」

 満面の笑みの村娘は、ちっとも笑っていない目でそんな事を言う。
 手に持つ縄にぎちぎちと悲鳴を上げさせながら。

「却下します」
「そ、そんな……! どうかお考え直し下さいッ!」

 しかし主と仰ぐエレノアから即座にその提案を却下され、村娘の顔は絶望の表情へと変わる。
 それでも、なおも食い下がる事を止めはしない。
 主の言葉に反抗するなど、この村娘にしては珍しい事だった。

「彼らが村の安全を脅かし、罰を受けるべき存在だという事に異論はありません。しかしだからこそ外の判事の元に護送しているではありませんか」

 正式な権限を持つ者が公正に裁きを下せばそれで良し。
 エレノアはそのような方針を掲げ、村人が捉えた『騎士崩れ』達を例外無く司法機関の存在する街まで送り届けていた。

 だが人の忍耐には限度と言うものが存在する。

「幾ら何でも多過ぎます! それにこの前なんか一度送り届けた筈のヤツがまた村に来てましたよ!」
「それは――」
「街の連中が碌な裁判もせずに解き放っているのは明白です! ならケジメつけてやりましょう!」

 その言葉は村娘だけのものでは無い。
 背後へと視線を向けると、主だった村の面々は同意するように力強く頷く。

 エレノアは盛大にため息を吐きたい気持ちをぐっと堪えた。

 気持ちは痛いほど分かる。
 そも原則論を唱えるならば、わざわざ罪人を街まで護送する必要も無い。
 見せしめに賊を村の入り口に吊るすなど、村の自治権の範疇で可能な事だ。

 しかし敢えてそんな慣習を無視しているのにも理由というものがある。

「それこそ相手の策かもしれないでしょう? 村ぐるみで旅人相手に山賊行為を働いている、なんて言いがかりもありうるわ」
「うぅッ!」
「面倒でもこれが一番穏当なのよ。アナタたちには迷惑をかけてしまうけど……」

 その相手、というのが誰を指すのかなどこの場にいる者は全員承知している。
 エレノアを貶めたあの王子なら、そんな不実な真似をしてもおかしくは無い。

 ただでさえ此処は開拓地。
 開拓に失敗し、やむなく村ごと山賊へと身をやつすなどあり触れた話だ。
 戦略の上ではここは大人しく耐え忍ぶ場面である。

「本当にコケにされたまま黙ってろって言うんですかい!? 他の村も手の平返しやがって!」

 だが理より感情が先立つのが下で生きる者のサガというもの。
 村人の中から、憤慨する声が幾つも上がった。

 今後の付き合いを考慮して、様々な支援を行った近隣の開拓村。
 その内からもエレノアの存在を疑問視する者が顕れ、悪評を振りまかれているのもまた事実。
 早急に噂を払拭したい、いっそ真っ向から叩きのめしてやりたいと思う者が出るのも当然と言えた。

 しかし感情に任せてそれを行えば先は無いのだ。

「それは私の落ち度です。見通しが甘かった。ですが何も全ての村が大声で責め立てているわけでも無いでしょう」
「それは、そうですが……」

 結局はただの陰口。
 援助した村の中にも、「気に入らない」と僻みを口にする者もいるという程度。
 元支配者層のエレノアからすれば、その程度のやっかみは日常のものとすら言えた。

「それにそもそも人助けとは見返りを求めるものではありません。気持ちが通じなかったのは残念。それで終わらせなければならないことです」

 本音を言えば、「村の交流」という実利は狙っていた。
 そして村の共有財産を融通した以上、当然今後の関係を見直す必要も出て来る。
 だが表向きは粛々とした姿勢を見せた方が世間のウケは良い。

「……ご立派なお考えだと思います」

 そんなエレノアの考えに一定の理解を示しつつも、村人の多くはやはり納得がいかないようだった。

「でも、俺たちゃ悔しいんです……! 村が潰れて、こんな辺境に追いやられて……その、悪女の土地の人間だって馬鹿にされて。それでもお嬢様と一緒に頑張って、やっと世間様に胸を張れるようになったのに! それなのに、オレ達のお嬢様の事バカにされて、俺ぁ悔しくて悔しくて堪らないんだよぉ!」
「……ごめんなさい。それでもどうか今は堪えて欲しいんです」
「それとも仲間だと思ってたのはオレ達だけだったのかよ!? どうなんだよ、お嬢様!」

 村人の一人が周りの制止も聞かずに叫ぶ。
 するとそれを無理やり遮るようにして、ドゴンと鈍い音が足元に響いた。

「お嬢様のお言葉は、何よりも優先される……ッ!」

 音の中心に居たのは、いつもエレノアの身の回りの世話をしている村娘。
 足元には力一杯殴りつけたのか、拳型の大穴が開いていた。

「お耳汚しを、失礼いたしました……ッ! それでは私たちはこれで失礼させて頂きます……ッ!」

 最も年若い者が勝手にその場を仕切り、主との話を打ち切る。
 だがその場に居た誰もが、それを咎める事はしなかった。
 自分たちの内、一番辛い気持ちなのはこの娘だと皆わかっているからだ。

 結局、その日の会合は目と鼻と口から血を流す村娘によって終わりを告げるのだった。



「やっぱりそろそろ限界よね……」

 誰もいなくなった部屋でエレノアは独り言ちる。
 平民である村人と、元貴族であるエレノア。
 その感性の違いは頭の上で分かっているつもりだったが、やはりどこかで甘えがあったのだろう。

 つまるところエレノアという女は、どこまでも異邦人なのだ。

 どれだけ開拓が上手く行き、村人のレベルが上がっても、ヴァイス村は50人そこらの小村に過ぎない。
 冤罪でも不平等でも、国が相手なら大概のものは泣き寝入りする他無い。
 そんな事は誰でも分かる事だし、平民ならばある意味で慣れている事の筈――自然とそのように考えていた。

 しかし実際は違った。
 村人は思っていたより感情の生き物だったし、誇りを汚された怒りの大きさはエレノアの予想を遥かに超えている。

 上に立つ者は、その下に生きる者たちを代表する看板。
 それを汚されるという事は、自分たちの顔を潰されるのと同義だ。

 だがだからと言ってやはりヴァイス村独力で抗うのには無理がある。
 非道を訴えるにしても、その本来訴えるべきモノが敵に回っているのである
 嵐が過ぎるのを待つ、というのが『お利口な』選択なのも間違いはない。

 それでも打って出る、というのなら他所を巻き込む他無いだろう。

「……叔父様の助けを借りるか」

 脳裏に浮かぶのは、厳ついシュテルン伯の顔。
 今現在この村の置かれている状況も、あの叔父なら知っているに違い無い。

 エレノアもシュテルン伯が定期的にヴァイス村に探りを入れて来ている事は知っていた。
 一時期風向きが変わり、エレノアの評判が良くなった時などいち早く曖昧な文言でしたためた謝罪の手紙を寄こしてきたぐらいだ。

 シュテルン伯は領民に対してはきちんと責任を持つ貴族。
 村人たちの力にはなってくれそうではある。

 彼を通して正式に抗議を入れるか、世の中に不正を喧伝して貰えればこんな子供染みた嫌がらせはすぐ潰せるだろう。

 しかし懸念が無いわけでも無い。
 彼は決して「お優しくて善良な人間」などでは無いのだ。
 自領の利益を天秤に乗せ、割が合わなければエレノアの時のように容易く見限る事だろう。
 大の為に小を切り捨てる、そんな貴族らしい人物でもある。

「まぁ、それでも頼むだけなら無料タダよね……」

 エレノアは半ば諦め気味に、叔父へ向けた手紙をしたため始める。
 自分の名誉が取りもどせれば、叔父も「血族から罪人が出た」という不名誉を消せる。
 それは悪くない見返りの筈だ。

 それに魔神の事もある。
 彼が人類へ向けて宣戦布告をするのは夏の終わり。
 まだ一か月ほど先の事だが、そうなればエレノアの常識外れな『力』も活きる場面が出て来るだろう。

 エレノアは自身の能力について、それがシュテルン伯爵領の糧秣を十分に補償し得るものである事を強調しながら手紙に書き連ねていった。

「……はぁ、これは更に畑も増やして冬の間も働きづめになりますわね」

 令嬢らしからぬ重労働に頭を悩ましながらもは手紙を書き終える。
 グリフォンの特急便を使えば明日にでもシュテルン伯の元へ届くだろう。
 そうしてエレノアは手紙を出すべく家の扉を開けた。

「お嬢様!」
「あら、丁度良かった。ちょっと手紙を出したいのだけど」

 扉を開ければ、そこにはいつもの村娘が居た。
 これ幸い、とエレノアは手紙を渡そうとする。

「急ぎのものだからすぐに町へ行って特急便に出して欲しいの。村で一番足が速いのは――」
「そ、それどころじゃないんですよッ!」

 しかしどうにも村娘の様子はおかしい。
 呼吸は乱れ、肌には玉のような汗が滲み出ている。
 エレノアの元へ走って来た事だけが原因では無いだろう。

 そしてふと気が付いてみれば、おかしいのはこの村娘だけでは無かった。
 まだ昼過ぎになったばかりのはずなのに、辺りが薄暗い。

「一体何が――」

 ほとんど反射的に顔を空へと上げ、エレノアはようやく異変の原因に気が付く。

 そこには顔があった。
 怪しく紫に染まった天に、力強い笑みを湛えた浅黒い美丈夫の顔が浮かんでいる。
 それはこの世で最も悍ましく美しい異形の姿。
 頭には一対の角を持ち、背からはぬらめく触手を生やし、腰から下に竜と山羊の脚を持つ。

『ご機嫌よう、愚かな人族諸君――』

 エレノアの記憶の中で『魔神』と呼ばれていたその存在は、季節のあいさつでもするようにこの世界への宣戦を布告するのだった。
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