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9ー②

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「無論殿下のお言葉を疑うような事はございませんとも。しかしきっとエレノアにも言葉に出来ない胸の内があった事でしょう」

 ビョルンに対するシュテルン伯の眼差しは冷ややかだ。

それを聞く事もありませんでした。そのように姪を思う血族の気持ちを、どうかご理解を賜りたいのです」

 その白々しい言葉は、僅かな怒気を孕んでいる。
 無理もない話だった。

 今となっては過去の話ではあるが、シュテルン伯は栄達が約束されていた。
 王子とエレノアの婚姻が現実のものとなれば、その親類として国の政務に携わる事が出来る。
 その為にこの十年余りの間、中央貴族とのコネづくりに奔走し、多額の資産も投入してきたのである。

 それがあの婚約破棄騒動で全て白紙に戻った。
 そしてエレノアという娘を生み出した血族として、多くの非難を浴びせ掛けられたのだ。

 ここで終わりならばまだ我慢も出来た。
 シュテルン伯がもっとも面白く無いのは、開拓民たちの事だ。
 恥を忍んで王家に預けていた自領の難民が、悪女エレノアを制裁する為のただの道具として消費された。
 その事実が、一領主としてどうにも許せる事では無かった。

 だが若き王子はそんな臣下の胸の内も知らず、ただの政治の駆け引きとして反論を続けた。

「お気持ちは勿論。ですがあれは当然の裁きであり、彼女に対する神の試練でありました」
「……なればこそ天より奇跡的な力を授かった彼女の側にも、一抹の理があるのではありませんか?」
「その奇跡的、というのが少し大げさなのではないでしょうか」

 『力』を手に入れたのは確かだろうが、それは凡百の持つモノと何ら違いは無い。
 ただ彼女がそれを上手くに使っただけ。
 だから先の裁きを覆す必要など無い、とビョルンは主張している。

「それまでただ安穏な日々を送っていた者が、地に着いた暮らしを初めてようやく『力』に目覚めただけの事。むしろ遅いぐらいです」
「しかしながら実際に商人と多額の作物の取引もございますが」
「だからそれをただのだと言っているのです! 実際に儲けが出ているのかも怪しいものだ!」

 エレノアは大地に豊穣を齎し、多くの作物を一夜にして育てると噂されている。
 だがそんなものは自身の立場を優位なものにする為、エレノアが仕組んだ事だとビョルンは疑っていた。

 そう考えるだけの根拠はある。

 まず作物が畑に実っているのは多くの者が目にし、実際にそれを買った商人もいるというからある程度は真実だろう。
 だが僅かな時間の内に作物を成長させるなど、そのような超常の力は何かしらの魔導の力が絡んでいるに違いない。
 ビョルンはそのように見ていた。

 そして魔術と言うものには必ず対価が必要となる。
 このような場合では、生命や時空といった高度な事象に干渉しなければならない。
 その対価ともなれば、並大抵のものでは足りないだろう。

「――ですからこれは一過性のものに過ぎません。収穫した作物以上に高価な触媒を用意し、あたかもそれが奇跡の業であるかのように演出しているのです」

 元を正せば裕福な公爵家のご令嬢。
 優れた魔術触媒を手にれる為の伝手や財を密かに隠し持っていたとしても何ら不思議では無い。
 ビョルンはそのように締めくくり、言動の正当性に胸を張った。

 しかしその自信はすぐ、シュテルン伯によって真っ向から否定される事になる。

「……エレノアの『恵み』は今も衰える事無く商人共の手に齎されておりますが?」

 むしろ耕作面積は時が経つにつれ増え、取引量だけなら増加傾向。
 最近は穀物相場にも影響が出始め、値崩れを起こし始めてるのだとシュテルン伯は語る。

 ビョルンはそれを聞き、顔に様々な感情を浮かべてただ混乱する他無かった。

「そ、そんな馬鹿な事が――!」
「僭越ながら我が領民のその後が気がかりで、実際に部下に調査させました」

 シュテルン伯は出過ぎた真似をした事を謝罪し、どのような罰も受けると言って王に向かって頭を下げる。
 しかし実際の所そんな殊勝な気持ちは無いのだろう。
 その口が王の返答を待つことは無かった。
 話を聞いて困惑する部屋の中の様子をよそに、そのまま畳かけるようにして更なる情報をぶつけていく。

「開拓地――ヴァイス村にはもう畑の他、家や穀物倉庫の建設が終了。畜舎の建設も始まっています」
「幾ら何でもそれは無いだろう! あまりに早すぎる!」
「事実です。なにやらエレノアが土に細工したとの話ですが」

 詳細は不明。
 シュテルン伯の調査ではそこまでしか分からなかった。
 居並ぶ諸侯は口々に「土の系統の魔術か」などと推論を述べるが結論は出無い。

 しかしシュテルン伯のその驚くべき報告も、まだ序の口だった。

「――そしてこれこそが本題ですが、ヴァイス村は山中に湖を発見。これを水源地とすべく先日着工致しました」

 それまで声を潜めていた者も、この報告には動揺を露わにした。
 どより、と室内に人の声が重く波打つ。

「その湖は周辺一帯の水量を確保するには十分な量とのことです」

 周辺、というのは何も村の一つ二つ程度の事では無いだろう。
 場合によっては河川の先、他領を跨いで影響を持つ可能性もある。
 水源を得るとはそれだけの大事である。

 常識で考えれば、水源地の整備など一つの村が担える事業では無い。
 国か、最低でも大きな力を持つ貴族の助力を乞わねば不可能な事だ。
 しかし件の開拓地はエレノアの『力』によって、この短い期間の内に村一つを完成させている。
 独力で水源地を手に入れる、というのも夢物語と笑い捨てる事は出来なかった。

 諸侯は恐る恐るといった調子で主の顔色を伺う。
 王は僅かに目じりを上げ、シュテルン伯に疑問を投げかけた。

「……あの開拓地周辺には竜の巣があったはずだ」
「やはりご存知でしたか。私も民をお預けしている身、せめてその事は知らせて頂きたかった」
「はて、あくまで数ある予想の一つでな。開拓には付き物だろう?」

 王は呑気な声でシュテルン伯の怒りを躱す。
 しかし同時にその不敬な言動を咎める事も無い。
 今聞きたい事は、謝罪の言葉などでは無いのだ。

「それで竜はどうなった?」
「村人の手によって無事討伐されました」
「……何だと?」
「傭兵上がりの男が、罠と毒を用いて討伐致しました。周辺の魔物も同様に。その結果、開拓民たちのレベルも相当なものになっております」
「待て待て待て! それは確かなのか!? 竜だぞ! 火蜥蜴サラマンダーか何かと間違えておるのではないか!?」
「現在王への献上品として、王都に向け竜の首が運ばれております」

 確固たる証拠が馬車に乗ってもうじきやって来る。
 真偽を確かめる事など容易い事だろう。
 そしてそれは市井の目からしても同じことだ。

 竜の首など、目立つ事この上ない。
 わざわざ「献上品」などと言って一番希少な部位を送る以上、その馬車も人目を忍ぶ事など無い。
 武威を喧伝するべく、これ見よがしにその首を見せつけるに決まっている。
 これまでの先例を見ても、そうするのが当然なのだ。

 そしてこうなると無視をするわけにも、陰に葬るわけにもいかなかった。
 既に人目に晒されているし、名目上は王への敬意を示しているのだから。

「……その者の名は」
「ヨトゥンと。先代から仕える部下の中に、その名に覚えがある者がおりました。良く働く傭兵団の長だったと」

 加えて、それなりに有名人。
 ないがしろに扱えば異を唱える者が出るのはもう確実だ。

 王は唸りながら、懸命に考えを巡らせた。
 しかし結局のところ、頭に浮かんだ答えは面白みも無いありふれた策だった。

「竜を討伐した者はそのヨトゥン。水源地はヴァイス村の管理だったな」
「相違ございません」
「ではその者の功績を讃え、ヴァイス男爵の名乗りを上げる事を許そう」

 そして村も水源地も、新男爵のものとなる。
 それがもっとも妥当な所だった。

「新たな領主の擁立ともなれば、交渉の余地も出てくるだろう」

 他の開拓村の面倒を見なければいけないし、街道や河川の整備もある。
 それらを助ける見返りに水源地の権利に食い込む事も出来るし、婚姻で縛っても良い。
 王はそのように試算し、最後にビョルンに声を掛けた。

「ビョルン。お主が彼の地に赴いてその者を取り込め」
「何をおっしゃるのですか、父上!」
「王族が直々ともなればその者の心も動くだろう。お主もそうした政治を学んで良い年だ」

 それにそのようにビョルンが足に泥を付ける事で、溜飲が下がる者もいる。
 王はそれを言葉に出さず、シュテルン伯に目を向けることでビョルンに示した。

 だがビョルンはこれに強く反発した。

 その竜狩りの功績は讃えられる事だし、水源地の開発にしてもそうだ。
 しかしそれらが中央の政治によって左右されてはいけない。
 詳しく調べればそれぞれの貢献者は他にもいるだろうし、その全ての功績を一人に集中させて片づけるのはコチラの都合に過ぎない。

 そのような暗闘をする事は、彼の最も嫌う所だった。
 そもそもそうした不義を嫌い開かれた公平な政を行いたいが為、その純朴な夢を応援してくれたカリンと結ばれる事を望んだのだ。

 そして何より嫌なのは。

「それにエレノア嬢の事、直接お主が会って事を収めねばならぬ」

 噂が確かならば、まず開拓地からエレノアを動かさなければ意味が無い。
 先にエレノアが件の竜狩りを懐柔し、水源地開発までも自身の手柄としたら余計に面倒臭い事になる。
 その為には先にエレノアと話を付けなければならないし、それには最終的にビョルンとの和解が必要だった。

 ビョルンは助けを求めるように狭い室内を見渡すが、皆顔を伏せて目を合わせようともしなかった。
 ただでさえ一連の騒動で恥を掻き、こんな部屋の中で隠れる様に会議をしている集団である。
 これ以上の恥を掻くような真似は、何としても避けたいというのが本音なのだろう。

「では頼んだぞ」

 そう短く王が告げると、皆虫のように部屋から逃げ出していくのだった。
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