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 まだ家もまばらな辺境の小さな村。
 そんな開拓真っただ中のヴァイス村に、ひどく不釣り合いな豪奢な馬車が停まっている。
 ここに住む公爵家の元ご令嬢、エレノアの実父が乗って来た馬車である。



「喜べ娘よ! 殿下はお前の事をお許しになられるそうだ!」

 先日とは打って変わって柔和な顔で、リッケン公爵は両手を大きく広げている。

「村の畑を見て来たぞ。素晴らしい力では無いか! 私もあえて厳しくお前に反省を促した甲斐があったというものだ」

 白々しい顔で勝手に納得したように頷くリッケン公爵。
 それを見るエレノアの顔は冷ややかだ。

殿。ご用件はそれだけでございますか? それではこんな村では本日お泊めする屋敷もございませんので、どうかお早くお帰り下さい」
「何を言うか! 殿下は貴族に戻る事をお許しなられるだけでは無く、お前を室に迎え入れるとまでおっしゃったのだぞ! ……まぁ、さすがにあの後では側室の一人という事になるが」
「そもそも殿下との婚姻自体、私が望んだ事ではありませんでしたよ」

 凍てつくような瞳で、淡々とそんな言葉を口にする。
 それに気分を害したのか、リッケン公爵の眉根が僅かに吊り上がった。

「……なんだ、小娘のように臍を曲げたか。いかんな、そんな事では。またいつ殿下の気が変わるかも知れないのだぞ」
「『気が変わった』程度でコロコロ処遇が変わるのなら、どうせまた都合が悪くなった時に唾を吐かれます」
「分かった風な口を利くな! これはお前には想像付かんような高度な政治の結果なのだ!」

 これは王都で変事が起きた付録であり、こんな幸運は二度と続かない。
 公爵はそう言ってエレノアに再度の家への服従を求めた。
 しかしエレノアの虫を憐れむような視線に変化は無い。

「そちらで何が起きたのか大体の予想は付いていますよ」
「何を小癪な」
「一つ、私が力を示したせいで王子と聖女様のお立場が無くなりつつある」

 公爵は図星を突かれ唸りを上げる。

「そしてもう一つ、そもそもの評判が王都でよろしく無い」
「く、口の利き方には気を付けろ!」
「ええ、尊ぶべきお方に向ける言葉ではございませんわね。謝罪して訂正いたしますわ」

 ですが、とエレノアはそこから語気を強める。

「私が彼女を苛んだというのは、そうした忠告の事です。学院の淑女として相応しい振る舞いをなさるように。廊下を走るな、大口を開けて笑うな。貴人には礼節を持って接しなさい。殿方と気軽に外出なさるなどもっての外。どれも目に余るならあって当たり前の忠告ですわよね?」
「それがどうした……」
「結局そうした事が今でも出来ていないから、評判が悪いのでしょう?」

 公爵は何も答えない。
 そうした噂、苦情は公爵の元へも度々届いている。

 ――目上の者として、アナタの方からも注意をしてくれ。
 階級社会においてそうした事は暗黙の義務でもある。
 かつて学院に在籍していた頃、エレノアもそう周囲から求められた事など容易に想像がついた。

「そうした忠告を私がしていた事は学院の皆も知る所です。しかしそれを彼女は『理不尽なイジメ』と言って、王子は私の貴族としての身分をはく奪為された。そんな事があった後で、誰が彼女の行動を諫める事が出来るというのですか」

 中にはエレノアの凋落をただ面白がっていただけの粗忽者もいただろう。
 しかし目端の利く者たちほど恐れを感じた筈だ。
 似たような事が起きれば、自分たちの身も容易く傷つけられるのだ、と。

 貴族としてせねばならぬ当たり前の諫言。
 それをすれば身の破滅も免れぬ。
 こんな厄介な事は無い。

「しかしそうなると貴族社会では色々と不都合が出る」
「……ああ」
「そうした諸々の不都合を、この機に一挙に解消させたいのでしょう?」

 エレノアを寛大な心で許し、室に迎え入れてやる。
 そういう事にすれば『豊穣の力』も当人が反省したからという事に出来るし、今後聖女絡みの面倒事はこれまで通りエレノアに押し付けられる。
 王宮にとってはこの上なく都合の良いお話だろう。

 そう指摘すると、開き直った公爵は真正面からエレノアを見据えて言った。

「ならば分かっているだろう。これはお国の為だ。腹が立とうが貴族としてどう振舞うべきか」

 これは貴族の家に生まれた者の義務。
 そう言って憚らない。

 そう強弁するだけの自信が公爵にはあった。
 エレノアは貴族として生きて来た娘。
 その自覚を強く持っているし、先の騒動はその結果だとさえ言える。
 『貴族の義務』を全面に押し出せば、きっと折れるに違いない。

 しかしその公爵の目論見は打ち砕かれた。

「今は平民ですので」
「な、何だと貴様! それが公爵家の娘の言葉か!」
「貴方様がそれを否定なさりました」

 エレノアの言葉は決して強くは無かったが、有無を言わせぬ迫力があった。

「親として、そして貴族として。兄と王子の暴挙はアナタが諫めるべきでした」
「それはお前が口を挟むことで無いッ!」
「守るべき者が義務を果たさなかったのです。そうして今後も同じ問題が起きたならどうなさるのです?」

 聖女はほぼ確実に、先の騒動と同じ問題を起こすだろう。
 巻き込まれれば碌な目に遭わないことは目に見えている。
 エレノアはそう首を横に振った。

「つまりは信用できません。義理にも限度があります。愛想は尽き、切れた縁は二度と結びません。先刻そう申し上げた筈ですが?」
「な、なんという、父に向かって何という残酷な言葉を向けるのだ!」
「もう父ではありません。そうしたのはアナタで、そうさせたのは殿下たちです」

 公爵は怒りのあまり言葉を紡げず、ぱくぱくと口を動かすだけだった。
 そのうち何事か思いだったのか、扉の方を向く。
 そして声を張り上げると、外にいる者たちに声を掛けた。

「もう良い! 無理やりにでも連れていく! お前たち、この不出来な娘を縛ってでも馬車に入れろ!」
「では連れて行かれた先で、もう一度身の潔白と殿下と聖女の非道を訴えましょう。あの日と同じように満座の席で」
「……ぐッ! う、うるさい! それまでにお前を 『反省』させれば良いだけだ!」

 公爵はそう啖呵を切って兵たちが入って来るのを待った。
 しかしいくら待とうとも、扉が開く気配は無い。

 遂にしびれを切らした公爵は、自ら扉を開けた。
 そこで目に入ったのは困ったような兵たちの目。

「お前たち! 何故私が呼んだのに入って来ない!」
「申し訳ございません。しかし少々厄介な事がありまして……」
「なんだと……!?」

 兵が目で促した先には、一面の人の群れ。
 開拓村の村民たちが一堂に会してそこにいた。
 皆目に剣呑な光を宿し、車座になって公爵のいる小屋を取り囲んでいる。

「何だ貴様らはッ!」
「はぁ、どうにもの事が心配でしてね?」

 野盗のような人相の悪い男がその中から進み出ると、ちっとも友好的ではない笑みでそんな事を言う。

「仲間? 中には貴様の言うような者は誰もおらんわ!」
「嫌ですねえ、お貴族サマはご冗談もお好きだ」

 今度はのどかな顔の村娘が、狼のような目で微笑みながらそこに加わる。

お嬢様が中におられますよね? 勝手に連れて行かれちゃ困りますよぉ」

 それから我も、我もといった調子で何十人もの村人が口を開く。
 皆一様に笑顔で、やんわりとした口調。
 だが身に纏っている空気は明らかに危険なものを孕んでいた。

「うっ……」

 公爵は戦慄した。
 もしこれが暴発したらどうなるか。
 怪我では済まない、という事も十分にありうる。

 一方で当然のように兵たちに剣を抜かせる事も考えるが、やはりこれも碌な結果を招きそうに無かった。
 数はあちらが多いとは言え、完全武装で熟達した兵の敵ではない。
 だがそれをやれば間違いなく大騒ぎになるだろう。

 それは公爵にとって敗北に等しい。
 そもそも王都の問題を密かに解決する為に娘の身柄が必要なのだ。
 その為に新たな醜聞を引き起こしては本末転倒も良い所だろう。

「と、とにかく! 今度来るまでに覚悟を決めて置くように! 良いな!」

 結局最後はそんな捨て台詞を残してくことしか公爵には出来ないかった。
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