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「まったくもう……」

 エレノアは土煙を上げ去って行く馬車を見送りながらため息を吐いた。
 これが父だった男との最後の会話と思うと、気も削がれるというものだ。
 気遣うような言葉の一つも無く、延々嫌味を垂れ流し罵声を浴びせに来ただけだ。

 もっともそうさせたのは、エレノアが最後に余計な一言を添えたせいでもある。

 しかし自身の言葉を後悔する事はあっても、反省する気など毛頭無い。
 自分はそういう人間なのだ、という諦観と矜持があった。
 あの場で毅然と自身の潔白と不義理を責めなければ、高潔な貴族として生きて来たエレノアは成り立たない。
 そうであるからこそエレノアはあの『聖女様』と争ったのだ。

 反省するべき事と言えばただ一点。
 最後の時まであのリッケン公爵を心の底からは父親だと感じられなかった事だ。

 エレノアには人には話せない秘密がある。
 それは物心ついた時から自分の中に、此処とは『異なる世界』で生きる別人の記憶があったという事。
 いわゆる『前世の記憶』というヤツだ。

 そんな物が常に頭の片隅にあるせいで、子供の頃から家族とは馴染めなかった。
 そして自分が『レベルが上がらない』という欠点を抱えているのもきっとこのせいだろう、とエレノアは思っている。
 きっと自分は魂からして異邦人で、この世界から逸脱した存在なのである。

 そう突飛な事を考えるだけの根拠はあった。
 エレノアはこの世界の事を、前世の時点で知っていたからだ。
 日本という国で生きた前世において、この世界は『ゲーム』と呼ばれる形式で描かれる物語の一つだったのである。

 その『ゲーム』の中に婚約者の王子も、あの『聖女』の姿もあった。
 彼らはいわゆる主役という立場で、学院で出会い、冒険を乗り越え、愛を紡ぎ合う物語の牽引役だ。
 その『ゲーム』を遊んだことのあるエレノアは、当然彼らの物語の行く末を最後まで詳細に知っていた。

 そしてエレノアという序盤の敵役が辿る末路も。

「結局、ですか……」

 自身の破滅を知っていたエレノアも、ただ漫然と日々を生きて来たわけでは無い。
 『ゲーム』のエレノアよりも遥かに努力し、貴族たらんと研鑽を積んでいた。
 また 『聖女』と諍いを起こしたとはいえ、理不尽な事で責め立てた覚えも無い。
 ただ貴族の女性として、王子の婚約者として当然の忠告をしたまでだ。
 しかしその結果が、この開拓村への追い込みである。

 不満はある。
 しかしだからと言ってあの少女におもねるべきだったか。

 ――否、である。

 この世界は前世では『ゲーム』だった。
 しかしエレノアが実際に生きたこの世界は紛れもない現実だ。
 ならばその事実に誠実に向き合って生きていかなければならない。
 そうでなければ人生に対して不義理である。

 そうしてエレノアはこれまで貴族の娘としての人生を歩んできた。
 だからこそ「命が惜しいから」と不実な輩に頭を下げるようであってはならない。

「あんな平民の暴挙を許して、どう今後の統制を取るおつもりなのか」

 独り言ちても、答えなど出る筈も無かった。

 婚姻の横やりに、身分と暗黙の了解の軽視。
 あまつさえ貧民救済と謳って政治に口出し。
 あの聖女の広げた傷は、きっと後になるほど多く血を流すことになる。
 これが『お話』ではなく『現実』ならば、誰かが頬を張って分からせてやらねばならない事だった。


 ◆


「あ、あのぉ? 公爵様はお出になられたんですかい?」

 エレノアが一人でこめかみを抑えていると、一人の男が慣れない敬語でおずおずと声を掛けて来た。
 体は大きいが髪はざんばら、目も落ちくぼんで、野党崩れと見紛う男だった。

「ええ、言うだけ言って行かれました」
「は、あの、大したお見送りもしてませんが……」
「良いんですのよ。どうせ気にも掛けて居ませんから」

 男は「はぁ」と気の無い返事をすると、後方に向けて目をやった。
 申し訳程度の開拓道具や資材の陰に、複数の人影がある。
 どうやらあの開拓民たちの中から代表して、この男が様子を聞きに来たらしい。

「そう恐々としなくてもよろしいですわよ。アナタたちと同じ身の上なのですから」
「そうは言われましても、オレたちにとってはお嬢様で……」
「敬語も結構」

 なおも目下として自分を立てようとする男に、エレノアは申し訳ないような心持ちを抑えられずにいた。
 近年急増した魔物の被害で故郷を失った者たち。
 エレノアの母方の実家であるシュテルン伯爵領の領民だった。
 血筋であるエレノアが不祥事を起こした為、半ばそれに巻き込まれる形でこの開拓に参加させられたのだった。

 王子――そして聖女がエレノアに下した罰は、彼らと新しい住まいを築く事。
 この魔物が跋扈する辺境で、見知らぬ平民と共に、だ。

 要するに、見せしめ。

 貴族の下には領民が居る。
 そして守るべき彼らの生活と利益がある。
 彼らの楯であり看板である貴族が舐められれば、こうして実害が彼らを襲うのだ。

「まぁ、私は今日から平民とはなりますが、最後のケジメとしてアナタ達の生活は保障いたします」

 そして貴族としての義務を果たすのはこれが最後となる。
 エレノアは倦怠を息にして大きく吐き出した。

「お気持ちはありがたいんですが、その……」
「レベルが上がらない、魔術も使えない非力なお嬢様には無理だと?」

 意地悪くそう問うと、男はひとしきり悩んだ後にはっきりと「はい」と答えた。

「無理為されて怪我でもされたら事なんで……」
「あら、ま」

 出て来たのは明らかな拒絶の言葉ではあったが、それは身を案じての事。
 男の誠実な姿勢を見て、エレノアは今日初めて頬を緩めた。

「しかしそうまで言われたら増々引けませんわね」

 そう言うとエレノアは資材置き場の中からクワを一振り手に持った。
 開拓民たちが心配そうに、それを元に戻すよう説得する。
 しかしそれにエレノアは笑みを返した。

「まあ見てなさいな。レベルは上がらないけど、魔法は使えるのよ私」

 そしてエレノアは勢いよく大地にクワを振り下ろした。
 農具など手にしたことも無いであろうお嬢様なのに、その所作は中々堂に入ったものだった。

 不思議な事はそれだけでは無い。
 固い石交じりの荒野の大地。
 それが非力な少女がクワを突き立てただけで、ふかふかの畑に変貌したのだ。

 おお、と開拓民たちの中から驚きの声が上がる。

「な、なんですかい、コレは!」
「魔法、といったでしょう。私が農具を使うと何故かこうなりますの。理屈は分かりませんが」

 半分ほどは嘘である。
 理屈は分からないが、心当たりはあった。

 前世でこの世界は『リスティ・ワールド』というタイトルの、いわゆる『乙女ゲー』でそれなりの人気を博していた。
 エレノアも前世でこれを結構やり込んだものだったが、一番好きな 『ゲーム』かと問われればそうでも無い。
 『リスティ・ワールド』のメインは所謂アクションRPGで、すっとろいエレノアには不向きなゲームだったのだ。

 総プレイ時間だけなら、同じ会社の出した『ファーミング・シムズ』という農業系シミュレーションゲームの方がはるかに長い。
 名前通りのんびりとしたゲームで、そのせいか時間を忘れて遊んだものだった。

(やっぱあの『ファーミング・シムズ』のせいかしらねえ……)

 クリック一つで畑を耕し、僅か数日で作物が取れる。
 現実に落とし込むとトンデモな能力である。

 前世でやり込んだ『時間』や『思い入れ』が原因か。
 それとも同社の『ゲーム』だったから何かの『間違い』が起きたのか。
 神ならぬ身のエレノアには分からない事だ。

 今までは教会の目やら穀物相場に対する懸念などもあり、親にすらこの力の事はひた隠しにしていた。
 しかし今の状況でこんな得体の知れない力でも使わない手は無かった。
 
「……お、お嬢さまはレベルが上がらないはずでは?」
「ええ。だからこれがその代わりなのでしょう。神はすべからく地に生くる者に恩寵を与えたもう――教典の聖句の通りではありませんか」

 それを聞いた開拓民たちは顔を見合わせ、俄かにその顔を紅潮させた。
 ただでさえ開拓というのは命がけの大仕事
 大勢が野垂れ次ぬかもしれない中で、確かな光明が見えたのだ。
 これが嬉しく無いわけが無いだろう。

 もうエレノアが義務を果たすべきは、この開拓民の生活の安寧ぐらいのものだ。
 それ以外の面倒事は、もう気を払う必要すら感じない。

「さあさあ、まだ季節は冬とはいえ麦の種撒きには少し遅いぐらいです。さっさと土を耕して一面小麦畑にしますわよ」

 荒野の片隅で、開拓民たちの威勢の良い声が上がった。
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