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14. エピローグ
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シファールが横たわっていた筈の場所には、もう何も残されてはいなかった。
風に吹かれるままにその身を揺らす草花と違い、彼はその場に留まることを許されなかった。
彼の姿は砂塵のように崩れていき、風と共に儚く消えてしまったのだ。
シファールの手にかかって無残にも命を散らした者たちを思い、ルナは目を閉じて月に祈りを捧げた。
そしてそんなルナを、後ろから包み込む人影があった。
「無茶なことをする……」
ハディスの言葉に、ルナは静かに微笑んで見せた。
「でも、私を信じてくれたから許してくれたのでしょう?」
「そなたを危険に晒すのは本意ではないよ」
「怒ってるの?」
「怒ってなどいない。ただ……」
目を伏せて、淋しげに言う。
「守ると言いながら、私はそなたを守ることが出来なかった。それが許せないだけだよ」
ルナは瞬き、その瞳を優しく和ませた。
「それは嘘ね。あなたはちゃんと私を守ってくれたわ」
鼓動を確かめるように、胸に手を当てて言う。
「あなたの血が私を守ってくれたのよ。あなたを近くで感じることが出来たから、怖いものは何もなかったわ」
「ルナ……」
ハディスの口元に笑みが浮かんだ。しかし、すぐに忌々しげに歪められる。
「だが、そなたを一時でもあの男の自由にさせてしまった」
頬に触れていた手を、ゆっくりと首筋へ移していく。
「……ルナ、これが最後だよ」
「え?」
ルナは驚いたようにハディスを見上げた。
「あの男の血はもう残っていないから、あとは私の血を浄化すれば、そなたは人として生きていける。私の血は多量に飲ませてしまったが、自分の血が私を害すことはないから安心していい」
そう言ってハディスは穏やかに微笑するけれど、ルナは少しも安心することなんて出来ない。
「あなたは、私を置いて行ってしまうつもりなの?」
悲しげに目を細めてハディスを見ると、彼の手が再びルナの頬に触れた。
「ルナ……そなたは大切なものを失った。私と共に行くということは、更に色々なものを失うということだよ」
ルナは想いを籠めて、優しく微笑んだ。
「ハディス、私の心は初めて逢った日から決まっていたのよ。それなのに――」
睫毛を伏せ、憂いを滲ませて言う。
「どうしてあの約束を忘れていられたのか――」
唇に指を当てられ、ルナは言葉を呑み込んだ。
「私は一つだけルナに嘘をついた」
「え……?」
ハディスはやんわり微笑むと、戸惑うルナの頬にかかる髪をそっと払う。
「忘れられても悲しくはなかった、と言ったのは嘘だ。思い出してくれたと知った時、自分でも驚いてしまうほど嬉しかったのだから」
ルナの目元に溜まっていた涙が、堪え切れずに滑り落ちる。
「一緒に連れていって。あなたを一人にしないと約束するから」
「ルナ……私もそなたを一人にはしないと約束する」
ハディスはルナを抱き寄せると、蕾のような唇に優しく接吻をする。
「もし望むなら、私はそなたの悲しみを消すことが出来る。だが……」
ルナはハディスの言わんとしていることを察し、首を横に振った。
「それは、みんなのことも忘れてしまうってことでしょ? あなたも言ったわよね。忘れられたら悲しいわ……」
「ああ、そうだな」
ルナは彼の背中に手をまわした。
ハディスの肩越しに、金色に輝く月が見える。
「ねぇ、見て。月が私たちを祝福してるわ」
ルナはつとめて明るく言う。
「そなたは月が好きなのか?」
ルナはぱちりと目を瞬いた。あの日交わした言葉を想い出し、
「ええ、好きよ。ハディスは?」
同じ月の夜を想い、ハディスも優しい眼差しでルナを見る。
この夜の世界に、月以外に愛でるものがなかった。
でも、今は――
「ああ、好きだよ。とても……」
その意味を本当には分かっていなかったけれど、ハディスの答えにルナは嬉しそうに微笑んだ。
【了】
風に吹かれるままにその身を揺らす草花と違い、彼はその場に留まることを許されなかった。
彼の姿は砂塵のように崩れていき、風と共に儚く消えてしまったのだ。
シファールの手にかかって無残にも命を散らした者たちを思い、ルナは目を閉じて月に祈りを捧げた。
そしてそんなルナを、後ろから包み込む人影があった。
「無茶なことをする……」
ハディスの言葉に、ルナは静かに微笑んで見せた。
「でも、私を信じてくれたから許してくれたのでしょう?」
「そなたを危険に晒すのは本意ではないよ」
「怒ってるの?」
「怒ってなどいない。ただ……」
目を伏せて、淋しげに言う。
「守ると言いながら、私はそなたを守ることが出来なかった。それが許せないだけだよ」
ルナは瞬き、その瞳を優しく和ませた。
「それは嘘ね。あなたはちゃんと私を守ってくれたわ」
鼓動を確かめるように、胸に手を当てて言う。
「あなたの血が私を守ってくれたのよ。あなたを近くで感じることが出来たから、怖いものは何もなかったわ」
「ルナ……」
ハディスの口元に笑みが浮かんだ。しかし、すぐに忌々しげに歪められる。
「だが、そなたを一時でもあの男の自由にさせてしまった」
頬に触れていた手を、ゆっくりと首筋へ移していく。
「……ルナ、これが最後だよ」
「え?」
ルナは驚いたようにハディスを見上げた。
「あの男の血はもう残っていないから、あとは私の血を浄化すれば、そなたは人として生きていける。私の血は多量に飲ませてしまったが、自分の血が私を害すことはないから安心していい」
そう言ってハディスは穏やかに微笑するけれど、ルナは少しも安心することなんて出来ない。
「あなたは、私を置いて行ってしまうつもりなの?」
悲しげに目を細めてハディスを見ると、彼の手が再びルナの頬に触れた。
「ルナ……そなたは大切なものを失った。私と共に行くということは、更に色々なものを失うということだよ」
ルナは想いを籠めて、優しく微笑んだ。
「ハディス、私の心は初めて逢った日から決まっていたのよ。それなのに――」
睫毛を伏せ、憂いを滲ませて言う。
「どうしてあの約束を忘れていられたのか――」
唇に指を当てられ、ルナは言葉を呑み込んだ。
「私は一つだけルナに嘘をついた」
「え……?」
ハディスはやんわり微笑むと、戸惑うルナの頬にかかる髪をそっと払う。
「忘れられても悲しくはなかった、と言ったのは嘘だ。思い出してくれたと知った時、自分でも驚いてしまうほど嬉しかったのだから」
ルナの目元に溜まっていた涙が、堪え切れずに滑り落ちる。
「一緒に連れていって。あなたを一人にしないと約束するから」
「ルナ……私もそなたを一人にはしないと約束する」
ハディスはルナを抱き寄せると、蕾のような唇に優しく接吻をする。
「もし望むなら、私はそなたの悲しみを消すことが出来る。だが……」
ルナはハディスの言わんとしていることを察し、首を横に振った。
「それは、みんなのことも忘れてしまうってことでしょ? あなたも言ったわよね。忘れられたら悲しいわ……」
「ああ、そうだな」
ルナは彼の背中に手をまわした。
ハディスの肩越しに、金色に輝く月が見える。
「ねぇ、見て。月が私たちを祝福してるわ」
ルナはつとめて明るく言う。
「そなたは月が好きなのか?」
ルナはぱちりと目を瞬いた。あの日交わした言葉を想い出し、
「ええ、好きよ。ハディスは?」
同じ月の夜を想い、ハディスも優しい眼差しでルナを見る。
この夜の世界に、月以外に愛でるものがなかった。
でも、今は――
「ああ、好きだよ。とても……」
その意味を本当には分かっていなかったけれど、ハディスの答えにルナは嬉しそうに微笑んだ。
【了】
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