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4. 月夜の邂逅
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「気をつけるのよ」
「ありがとう、お母さん。行ってくるわ」
元気よく告げ、ルナは獣よけの香り袋の入った小さな籠を手に、家の裏手に広がる西の森へと向かった。
月明かりを頼りに草木の生い茂る森へと入り、確かな足取りで進んでいく。
狼の遠吠えが聞こえてくるが、香り袋の効果でその鳴き声が近付いて来る気配はない。
鬱蒼としていた森が開け、星の瞬く夜空を映し込んだ湖が視界一杯に広がった。
わあ、とルナは口元を手で覆う。
初めてここを訪れた時も、その光景の美しさに心奪われて息をすることすら忘れてしまった。
足元に黄色い花がところ狭しと咲いている。
見た目には小さく頼りない花だが、これらの花弁を煎じることで万病を治す薬となるのだ。
ルナは手に提げていた籠を下ろし、その中に黄色い花を摘んで入れていく。
「――人間の娘か」
「誰!?」
唐突に人の声がし、ルナはぱっと背後を振り返った。
立ち上がって辺りをきょろきょろと見回す。首を傾げたところでまた声がした。
「上だ……」
そう言った声は本当に上から聞こえたので、ルナは慌てて空を振り仰いだ。
月の光がたゆたう水面に色濃く影を落とす木の上に、声の主と思われる青年はいた。
太い幹に背中を預け、張り出された枝に軽く膝を立てるかたちで足を伸ばし、優美に腰かけている。
白金の髪がさらさらと夜風に流れ、月の光に照らされて青白く見える横顔は、村の教会に飾ってあった天使画から、この現世へ抜け出したのではないかと思うほど美しい。
けれど、天使と違いその瞳は仄かな紅い光を帯び、儚げな容姿に艶美な魅力を添えている。
「わぁ……」
きれいな人――
月光を紡いだ髪と、紅玉のような瞳に心が攫われる。
「何をしてるの……?」
青年の紅い瞳がじっとルナに注がれる。
僅かな間をおいてから彼はつと視線を上げた。
「月を見ている」
その視線を追って、ルナも同じように夜空を見上げた。
丸いお月さまが静かに湖面を見下ろしている。
「月は好きよ。あなたも月が好きなの?」
子供らしい無邪気な笑みを浮かべて訊くと、青年は眉ひとつ動かさずに答えた。
「好きなわけではない。他に愛でるものがないだけだ」
ルナは小鳥のように小さく首を傾けた。
「月が嫌いなの?」
「別に嫌いではない」
沈黙が落ち、その隙間を満たすように風が吹き抜けた。
水面が煽られ、湖面の月が歪み、再び静寂が訪れる。
青年はルナのことなど気にせずに月を眺めていたが、ふと思い出したように視線を落とし、僅かに表情を変える。
ルナはまだそこにいた。
素っ気ない態度をとられれば、誰しも興味を失い去って行くものだが、ルナはそんなことを思い付きもしなかった。
無邪気な笑みを崩さずに青年の言葉を待っていると、その態度に根負けしたのか、静謐な夜の空気を纏ったような凛とした声が降ってきた。
「そなたのような子供がこんな夜更けに……魔物に襲われてしまうよ?」
「まもの……?」
「そう……鋭い牙を持ち、人の命を喰らう」
ルナは大きな琥珀色の瞳をぱちりとさせ、それからにっこりと微笑んだ。
「平気よ。これがあれば狼だって近くに来られないわ」
ルナは、母親に渡された香り袋を持ち上げて見せた。
「獣よけか……。だが、本当に恐ろしい獣には効かないようだね」
言われた意味が分からず、ルナは首を傾げる。
その様子に、青年がふと笑ったように見えた。
「――近くで見るとなお小さい」
次の瞬間、目の前にいた。
「きゃあ!」
ルナは驚いた拍子に尻もちをついた。
「ありがとう、お母さん。行ってくるわ」
元気よく告げ、ルナは獣よけの香り袋の入った小さな籠を手に、家の裏手に広がる西の森へと向かった。
月明かりを頼りに草木の生い茂る森へと入り、確かな足取りで進んでいく。
狼の遠吠えが聞こえてくるが、香り袋の効果でその鳴き声が近付いて来る気配はない。
鬱蒼としていた森が開け、星の瞬く夜空を映し込んだ湖が視界一杯に広がった。
わあ、とルナは口元を手で覆う。
初めてここを訪れた時も、その光景の美しさに心奪われて息をすることすら忘れてしまった。
足元に黄色い花がところ狭しと咲いている。
見た目には小さく頼りない花だが、これらの花弁を煎じることで万病を治す薬となるのだ。
ルナは手に提げていた籠を下ろし、その中に黄色い花を摘んで入れていく。
「――人間の娘か」
「誰!?」
唐突に人の声がし、ルナはぱっと背後を振り返った。
立ち上がって辺りをきょろきょろと見回す。首を傾げたところでまた声がした。
「上だ……」
そう言った声は本当に上から聞こえたので、ルナは慌てて空を振り仰いだ。
月の光がたゆたう水面に色濃く影を落とす木の上に、声の主と思われる青年はいた。
太い幹に背中を預け、張り出された枝に軽く膝を立てるかたちで足を伸ばし、優美に腰かけている。
白金の髪がさらさらと夜風に流れ、月の光に照らされて青白く見える横顔は、村の教会に飾ってあった天使画から、この現世へ抜け出したのではないかと思うほど美しい。
けれど、天使と違いその瞳は仄かな紅い光を帯び、儚げな容姿に艶美な魅力を添えている。
「わぁ……」
きれいな人――
月光を紡いだ髪と、紅玉のような瞳に心が攫われる。
「何をしてるの……?」
青年の紅い瞳がじっとルナに注がれる。
僅かな間をおいてから彼はつと視線を上げた。
「月を見ている」
その視線を追って、ルナも同じように夜空を見上げた。
丸いお月さまが静かに湖面を見下ろしている。
「月は好きよ。あなたも月が好きなの?」
子供らしい無邪気な笑みを浮かべて訊くと、青年は眉ひとつ動かさずに答えた。
「好きなわけではない。他に愛でるものがないだけだ」
ルナは小鳥のように小さく首を傾けた。
「月が嫌いなの?」
「別に嫌いではない」
沈黙が落ち、その隙間を満たすように風が吹き抜けた。
水面が煽られ、湖面の月が歪み、再び静寂が訪れる。
青年はルナのことなど気にせずに月を眺めていたが、ふと思い出したように視線を落とし、僅かに表情を変える。
ルナはまだそこにいた。
素っ気ない態度をとられれば、誰しも興味を失い去って行くものだが、ルナはそんなことを思い付きもしなかった。
無邪気な笑みを崩さずに青年の言葉を待っていると、その態度に根負けしたのか、静謐な夜の空気を纏ったような凛とした声が降ってきた。
「そなたのような子供がこんな夜更けに……魔物に襲われてしまうよ?」
「まもの……?」
「そう……鋭い牙を持ち、人の命を喰らう」
ルナは大きな琥珀色の瞳をぱちりとさせ、それからにっこりと微笑んだ。
「平気よ。これがあれば狼だって近くに来られないわ」
ルナは、母親に渡された香り袋を持ち上げて見せた。
「獣よけか……。だが、本当に恐ろしい獣には効かないようだね」
言われた意味が分からず、ルナは首を傾げる。
その様子に、青年がふと笑ったように見えた。
「――近くで見るとなお小さい」
次の瞬間、目の前にいた。
「きゃあ!」
ルナは驚いた拍子に尻もちをついた。
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