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3.待てば甘味の恵み有り。とはいえ、悪縁契り深しかな

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 ミルラの手料理を絶賛しながら、しっかりと味わい完食する。

 そして、ごちそうさまを言い合った後、ソレールは食器を洗うために席を立つ。
 アネモネも食べ終えた食器をキッチンに運ぶ。でも、やらせてもらえるのはここだけ。

 ソレールが留守にしている間の朝食や昼食の洗い物はアネモネがやっているので、家事ができない女と思われているわけではない。

 その証拠に、ソレールは食後のお茶を淹れるという勅命をアネモネに出してくれた。

 もちろんアネモネは、ソレールの邪魔にならぬよう気を付けながらポットとティーカップを用意する。

 そして茶葉とお湯をティーポットに入れて砂時計をひっくり返した後は、じっと砂が落ちるのを見続ける。他にやることがないからだ。

 サラサラと落ちていく砂をぼんやり見つめていると、後ろからソレールが食器を洗う音が聞こえてくる。

 カチャカチャとリズミカルな音を聞くだけで、彼がどれだけ手際が良いかわかる。ちょっと悔しい。

 そして不貞腐れた表情を作った途端、可愛らしくラッピングされた箱が視界に入った。

「ソレール、デザートの箱を開ける許可を与えてください」
「よかろう」

 わざと上官ぶったソレールに吹き出しつつ、アネモネは菓子の箱を引き寄せた。

 宝物を扱う手つきで蓋を開ければ、手のひらサイズの桃が乗ったパイがあった。
 
 表面は瑞々しい果実がツヤツヤと輝いているが、それを取り囲むパイ生地はこんがりと焼けていて、食べる前からサクサク感が伝わってくる。そして、バターの甘い香り。

 これはもう、絶対に美味しい。確定だ。 

 でも、アネモネの表情は浮かなかった。良く見れば、箱を手にしたままプルプルと震えている。それは箱に入っていたパイの数が3個だったから。

 なぜ奇数を買ってきたんだ?!

 施しを与えてもらう側の分際で、アネモネはそんなことを心の中で叫んだ。しかしもう一方の頭の中で、素早く計算する。

 やはり、ソレールが2個で、自分が1個なのが妥当だろう。本音は2個食べたいが、さすがに説礼を欠く行為だ。

 そんなふうに理性と欲求の狭間で葛藤するアネモネは、洗い物を終えたソレールが背後にいることに気付かなかった。

「私は一つで良いよ。お腹に余裕があるなら、全部どうぞ」

 肝っ玉のでかいことを言われ、アネモネは思わず後退りしてしまった。

 情けないが、自分なら絶対にできない所業だ。

 育ての親のタンジーにさえ言えない台詞だし、亡き師匠に対しても譲ることはできなかっただろう。

「……で、できません」

 甘い誘惑に抗うのに少し時間はかかってしまったが、アネモネは半泣きになりながら首を左右に振った。
 
 そしてソレールが何か言う前に、ナイフとお皿を持ってくると、菓子の一つを半分に切った。

「一緒に食べましょう。そのほうが美味しいですからっ」

 一つと半分のパイが乗ったお皿をソレールの前にどんと置く。

 早く食べろと目で訴えながらも、すでにアネモネはフォークを手に持ち一口大に切り分ける。そして口に含んだ。

「んんー」

 食べ物を口に入れたままお喋りをするのは無作法だということくらいは知っているアネモネは、もぐもぐと咀嚼しながら身悶える。

「美味しそうに食べるなぁ。やっぱり私の分も」

 呑気な口調でそんな誘惑をしてくるソレールに、アネモネは「めっ」と目で叱った。

 ソレールはちょっと残念そうな素振りを見せたけれど、それ以上戯言を口にすることはせず食べ始めてくれた。

「確かに旨いな」
「─── んっ……で、でしょ?!」

 ちゃんと飲み込んでから、アネモネは声をあげる。

 紡織師を継いでからのアネモネの人生は、他人の感情や記憶を心の中に置くせいで、色褪せてしまっていた。

 いや、アネモネが意識的にそうしてきた。

 タンジーの受け売りじゃないけれど、自分はキャンパスで、そこに描かれたものを届けるような気持ちでいた。

 真っ白なキャンバスでいるためには、心を必要以上に揺さぶらせてはいけない思っていた。

 もちろんこれはアネモネの勝手な解釈で、紡織師にはそんな義務はない。
 でもそれを違うと言ってくれる同じ職業の者は誰もいなくて。

 そんなアネモネの心に変化を与えたソレールは、ただただ穏やかに目を細めている。

「こっちの方が美味しい。……不思議」

 フォークをぎゅっと握ったままアネモネは呟いた。

 食べた量は少ないけれど、どう考えても一緒に食べるほうが美味しかった。ソレールも少し間を置いて「そうだね」と言ってくれる。

 なぜだろう。
 ソレールのたった一言で、お腹に入ってしまったパイが、更に美味しく感じてしまう。

 そして、ソレールの「明日は木苺のパイを買ってこよう」という発言に、アネモネは涎を呑み込んで目を輝かせた。
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