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招かれざる客は、ハムだけは食したい②
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人がいないはずだったのに、これは一体どういうことなのだろう。
ルシータは、突然わちゃわちゃしだしたこの光景に顔をひきつらせた。
レオナードがエスコートしてくれたハナミズキの真下のこの席は、確かに周囲に人がいなかった。
……の、はずなのに、葉と一緒に咲いた薄紅色の花に一瞬だけ目を向けた隙に、あれよあれよいう間に人が集まってきたのだ。
しかも全員が女性。きゃあきゃあと黄色い声を上げながら、我こそはとテーブルを囲っているのは、もちろんレオナードがお目当てで。
「レオナードさま、このお菓子、とっても美味しいのです。お一ついかがでしょうか?」
「レオナードさま、今日のお召し物、とっても素敵です」
「レオナードさま、わたくし同じ科目を選択していたのですが、覚えていらっしゃいますか?」
「レオナードさま、今度わたくしの屋敷で夜会を開きますの。どうか招待状を受け取ってくださいませ」
───ったく、どいつもこいつも、レオナードさま、レオナードさま、レオナードさまとやかましいわ。
ルシータの不快指数は、どんどん増えていく。
気付けばポケットに手を突っ込み、ミランから託された下剤を握りしめていた。そして袖口に仕込むのは時間の問題で。
けれど、苛つくルシータとは裏腹にレオナードは涼しい笑みを浮かべるだけ。
レオナードは学生時代からとても人気があったのは、ルシータはちゃんと知っている。
彼と同じ学園に入学したのは、本当に偶然だった。だから入学して3日後、ばったり校舎の中庭でレオナードと出くわした時はとてもとても驚いた。
もちろん彼も、この邂逅に目を丸くしていた。そして互いに、ありきたりな挨拶をしようとした瞬間、キャーという黄色い声と共に女生徒達がウジ虫のように沸いて出てきたのだ。
そしてルシータが思わず息を呑んだのと、ウジ虫たちに弾き飛ばされたのはほぼ同時だった。目についた木の枝を掴むことができたので、転倒を避けることはできたのが唯一の救いだった。
けれど、レオナードとはそれっきり会話をすることはなかった。
学年が違ったし、選択する授業も違ったからという理由もある。けれど何より、ルシータが意識してレオナードを避け続けたから。
ちょっとでも彼の姿を視界に入れたら慌てて隠れた。あからさまに回れ右をしたことなど、一度や二度ではない。
ただ、レオナードの姿は良く見かけた。そこそこ広い校舎でやたらめったら鉢合わせしそうになるのは、これは偶然ではなく、何かしらの悪意が働いているのではないかとルシータが本気で恨んだくらいに。
その後、レオナードは卒業してすぐ、自分の領地で沢山のことを学び、家督を継いだ。でもって当主になった途端に、ルシータに求婚をした。
なのに、女性たちからの人気はうなぎ登り。
だから、きっとレオナードはこういうことに慣れているのだろう。婚約したことだって公表していないに違いない。
ルシータは苦々しい気持ちになっていく。
とどのつまり今日ここに自分を無理矢理誘ったのは、この黄色い声を浴びる様を見せつけたかった……と、いうことなのだろうか。
でもそれは、同じ学舎で過ごした時に、嫌というほど見ている。来世の分まで拝見させていただいた。だからもうお腹いっぱい。必要ないというのに。
そんなことを考えるルシータは、そっと舌打ちしながら辺りを見渡し、意識を逸す。
「───……ねえ、君たち、僕の婚約者の分のお茶はないのかな?」
風に乗って漂うハムの香りに思いを馳せていたら、そんな言葉が耳朶を刺した。
びっくりして思わず視界を正面に向ければ、あからさまにムッとした表情を浮かべたレオナードがいる。ついさっきまで、不機嫌そうではなかったはずなのに。
そして急に態度が変わった侯爵家のご当主さまに、どう対処して良いのかわからず、ついさっきまで、きゃいきゃい騒いでいた女性たちは、ただオロオロとするだけ。
ルシータも便乗するように同じ表情を浮かべてみる。
けれどレオナードはお構いなしに、更に理解不能な言葉を紡いだ。
「用意ができないなら、僕が淹れるよ」
ルシータはその言葉が、理解できなかった。
は?誰が、誰に、お茶を淹れる??
侯爵家ご当主様が、底辺貴族にお茶を淹れるだと?!
いやいやいやいや。控え目に言って、それは有り得ないでしょう。
そんな至極当然のことをルシータは、かなりの時間をかけて理解した。そして理解した途端、もう既に首は左右に振っていた。
ちなみにレオナードを取り巻いていた女性たちも、同じタイミングで我に返ったようだ。ポカンとした顔から、尊い何かが消え失せてしまったかのような悲し気な表情に変わっていく。
なかには「神よ……」と胸に十字を切りながら、祈りの言葉を紡ぐ者すらいる。
それはさすがに失礼ではないか。
ルシータはそんなことを思ったけれど、そうしたくなる気持ちはよくわかる。
けれど、レオナードはどうやら本気のようで、近くにいたメイドを呼び止めると、お茶一式を運ぶよう指示を出す。
事情を知らないメイドは、イケメンに声を掛けて貰えたのが嬉しいようで、異常な早さで、テーブルに茶器のセットが一式置かれてしまう。
そしてレオナード以外のここにいる全員が固唾を呑んだ瞬間、場違いな程、浮かれた女性の声がこの場に響いた。
「あら、こんなところにいたのね、ルシータ。まさか庭園の一番端っこにいたなんて思わなくって、随分と探したわ」
聞き間違えであれば、どれほど嬉しかったか。
けれど、この声の主は強い意思を持って、ルシータの視界に入り込む。
……ああ、見つかってしまった。
そんなことを心の中で呟いてみたけれど、今更遅い。
視界の7割を占めているこの女性は、婚約者と仲良く腕を組んで、にぃっと口の両端を持ち上げている。
どう見ても婚約が決まって幸せの絶頂にいるというそれではない。
そしてルシータが、ハムに惹かれた自分を呪ったのは言うまでもなかった。
ルシータは、突然わちゃわちゃしだしたこの光景に顔をひきつらせた。
レオナードがエスコートしてくれたハナミズキの真下のこの席は、確かに周囲に人がいなかった。
……の、はずなのに、葉と一緒に咲いた薄紅色の花に一瞬だけ目を向けた隙に、あれよあれよいう間に人が集まってきたのだ。
しかも全員が女性。きゃあきゃあと黄色い声を上げながら、我こそはとテーブルを囲っているのは、もちろんレオナードがお目当てで。
「レオナードさま、このお菓子、とっても美味しいのです。お一ついかがでしょうか?」
「レオナードさま、今日のお召し物、とっても素敵です」
「レオナードさま、わたくし同じ科目を選択していたのですが、覚えていらっしゃいますか?」
「レオナードさま、今度わたくしの屋敷で夜会を開きますの。どうか招待状を受け取ってくださいませ」
───ったく、どいつもこいつも、レオナードさま、レオナードさま、レオナードさまとやかましいわ。
ルシータの不快指数は、どんどん増えていく。
気付けばポケットに手を突っ込み、ミランから託された下剤を握りしめていた。そして袖口に仕込むのは時間の問題で。
けれど、苛つくルシータとは裏腹にレオナードは涼しい笑みを浮かべるだけ。
レオナードは学生時代からとても人気があったのは、ルシータはちゃんと知っている。
彼と同じ学園に入学したのは、本当に偶然だった。だから入学して3日後、ばったり校舎の中庭でレオナードと出くわした時はとてもとても驚いた。
もちろん彼も、この邂逅に目を丸くしていた。そして互いに、ありきたりな挨拶をしようとした瞬間、キャーという黄色い声と共に女生徒達がウジ虫のように沸いて出てきたのだ。
そしてルシータが思わず息を呑んだのと、ウジ虫たちに弾き飛ばされたのはほぼ同時だった。目についた木の枝を掴むことができたので、転倒を避けることはできたのが唯一の救いだった。
けれど、レオナードとはそれっきり会話をすることはなかった。
学年が違ったし、選択する授業も違ったからという理由もある。けれど何より、ルシータが意識してレオナードを避け続けたから。
ちょっとでも彼の姿を視界に入れたら慌てて隠れた。あからさまに回れ右をしたことなど、一度や二度ではない。
ただ、レオナードの姿は良く見かけた。そこそこ広い校舎でやたらめったら鉢合わせしそうになるのは、これは偶然ではなく、何かしらの悪意が働いているのではないかとルシータが本気で恨んだくらいに。
その後、レオナードは卒業してすぐ、自分の領地で沢山のことを学び、家督を継いだ。でもって当主になった途端に、ルシータに求婚をした。
なのに、女性たちからの人気はうなぎ登り。
だから、きっとレオナードはこういうことに慣れているのだろう。婚約したことだって公表していないに違いない。
ルシータは苦々しい気持ちになっていく。
とどのつまり今日ここに自分を無理矢理誘ったのは、この黄色い声を浴びる様を見せつけたかった……と、いうことなのだろうか。
でもそれは、同じ学舎で過ごした時に、嫌というほど見ている。来世の分まで拝見させていただいた。だからもうお腹いっぱい。必要ないというのに。
そんなことを考えるルシータは、そっと舌打ちしながら辺りを見渡し、意識を逸す。
「───……ねえ、君たち、僕の婚約者の分のお茶はないのかな?」
風に乗って漂うハムの香りに思いを馳せていたら、そんな言葉が耳朶を刺した。
びっくりして思わず視界を正面に向ければ、あからさまにムッとした表情を浮かべたレオナードがいる。ついさっきまで、不機嫌そうではなかったはずなのに。
そして急に態度が変わった侯爵家のご当主さまに、どう対処して良いのかわからず、ついさっきまで、きゃいきゃい騒いでいた女性たちは、ただオロオロとするだけ。
ルシータも便乗するように同じ表情を浮かべてみる。
けれどレオナードはお構いなしに、更に理解不能な言葉を紡いだ。
「用意ができないなら、僕が淹れるよ」
ルシータはその言葉が、理解できなかった。
は?誰が、誰に、お茶を淹れる??
侯爵家ご当主様が、底辺貴族にお茶を淹れるだと?!
いやいやいやいや。控え目に言って、それは有り得ないでしょう。
そんな至極当然のことをルシータは、かなりの時間をかけて理解した。そして理解した途端、もう既に首は左右に振っていた。
ちなみにレオナードを取り巻いていた女性たちも、同じタイミングで我に返ったようだ。ポカンとした顔から、尊い何かが消え失せてしまったかのような悲し気な表情に変わっていく。
なかには「神よ……」と胸に十字を切りながら、祈りの言葉を紡ぐ者すらいる。
それはさすがに失礼ではないか。
ルシータはそんなことを思ったけれど、そうしたくなる気持ちはよくわかる。
けれど、レオナードはどうやら本気のようで、近くにいたメイドを呼び止めると、お茶一式を運ぶよう指示を出す。
事情を知らないメイドは、イケメンに声を掛けて貰えたのが嬉しいようで、異常な早さで、テーブルに茶器のセットが一式置かれてしまう。
そしてレオナード以外のここにいる全員が固唾を呑んだ瞬間、場違いな程、浮かれた女性の声がこの場に響いた。
「あら、こんなところにいたのね、ルシータ。まさか庭園の一番端っこにいたなんて思わなくって、随分と探したわ」
聞き間違えであれば、どれほど嬉しかったか。
けれど、この声の主は強い意思を持って、ルシータの視界に入り込む。
……ああ、見つかってしまった。
そんなことを心の中で呟いてみたけれど、今更遅い。
視界の7割を占めているこの女性は、婚約者と仲良く腕を組んで、にぃっと口の両端を持ち上げている。
どう見ても婚約が決まって幸せの絶頂にいるというそれではない。
そしてルシータが、ハムに惹かれた自分を呪ったのは言うまでもなかった。
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