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一通の招待状と、悪役令嬢の婚約者③
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ルシータが口を開いたのは、ゆっくり5つ数えた後だった。
「......レオナードさま。驚きました」
「そうみたいだね。ごめんね、ルシータ。でも一応、ノックは6回したんだよ。───ね?カイルド」
丁寧な言い方とは裏腹に、ルシータの視線はしっかりと非難の色がある。
だがレオナードと呼ばれた青年は、茶目っ気ある謝罪をルシータにしただけ。
そしてすぐに、隣に立つパリッと隙の無い燕尾服に身を包んだ、この屋敷の執事カイルドに同意を求めた。
すかさずカイルドは「8回でございます」と執事らしい慇懃な口調で訂正を入れる。
そんな彼の髪は白髪交じりでルシータの父親より9つ年上。長年この家の雑事を全て引き受けてくれているなくてはならない存在だった。
もちろんルシータが生まれた時から、カイルドは父親に仕えている。だからルシータの性格も良く知っている。
例えばお喋りに夢中になったら、周りが見えなくなってしまうところとか。研究所で手伝えることがなければ部屋に籠って、本ばかり読んでいることとか。
……レオナードに対して、意識して距離を置こうとしていることとか。
だから何かに付けて居留守を使おうとするルシータを先読みしたのだろう。
お喋りに夢中になってルシータがノックの音に気付いていないのを良いことに、本日は強行突破に出たのだ。
とはいえ彼が執事という立場を差し引いても、この行動はいささか乱暴過ぎる。
けれども、研究に没頭するあまり、しょっちゅう寝食を忘れる父が、今日も元気にそれを続けられるのはカイルドのおかげ。言い換えるとこの執事は、時として手段を選ばない男だった。
そしてファルザ一家は彼に多大な感謝の念を抱いているので、この程度で楯突こうと思うものは誰もいない。
「───……それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
そんなこんなでカイルドは綺麗な所作で腰を折ると、あっという間に姿を消してしまった。
残されたレオナードは、軽く眉を上げて部屋にいる2人に問いかける。
「ところで僕は入って良いかい?」
「どうぞ、こちらに」
返事に困るルシータをよそに、ミランがそう言いながら、手のひらをこちらに向けるのが視界の端に映り込む。
入室の許可をいただくこの青年は、自分より格上の相手。まかり間違っても出て行けとは言いにくい。いや、言えない。
だからルシータは、嫌々ながらも彼を迎える為に席を立とうとする。
が、レオナードはそれを制するように手を挙げると、こんなことを口にした。
「実はねルシータ。僕も、同じものを持っていたりするんだけど」
そう言いながらレオナードは懐に手を入れて、薄薔薇色の封筒を人差し指と中指の間に挟んで、ひらひらと振ってみせた。
普段研究所内でその声を聞く時は、施設の責任者らしく硬質で、生まれながらに人の上に立つことが当然といった感じ。
なのに、今、ルシータに語りかけるものは、とろりと金色に輝くハチミツよりも甘いものだった。
そして深緑を基調とした貴族らしい服装は、この国で一番似合っている。
ということを口に出すことはせず、ルシータはしばしの間のあと、たった一文字を絞り出した。
「……嘘?」
「嘘じゃないさ」
そう言いながらレオナードは、床にもテーブルにも鏡台の上にも絶妙なバランスを保っている本の山脈の合間を縫って、ルシータの傍までやってきた。
足の踏み場を探さねばならないほど、床は薬草の専門書や、人体解剖学の本で溢れかえっている。
けれどミランは、瞬きする間にルシータの机の横にスペースを作ると、レオナードが着席できるよう椅子を置く。
ちなみにこの椅子は、読み終えた本置き場になっていたのだが、ものの数秒で人が着席できる家具に変えれるミランは、長ったらしい呪文を唱える魔法使いより出来が良い。
そしてレオナードは、至極当然のといった感じで優雅に着席する。
ルシータは、机に積み上げてある本に肘を置き、こちらを伺っているレオナードをそっと盗み見る。
本だらけの部屋は、お世辞にも美しく整えてあるとは言い難いが、レオナードの顔は申し分なく美しかった。
今日の日差しよりも眩しい金色の前髪は長くて、優美な線を描く眉の下にある翡翠色の瞳に少しかかっている。
これがまた魅惑的で、時折前髪をかき上げるその仕草は、女性の黄色い悲鳴の製造機と言っても過言ではない。
「ここは落ち着くな。でも本が多すぎる。こんなに死角が多いと、ちょっと落ち着かない気持ちになってしまうね」
さらりと矛盾することを言ってのけるレオナードに、ルシータは肩を竦めてみせた。
それを苦笑で受ける彼の正式名称はレオナード・ロッドという。
侯爵家の長男として生まれた彼は、齢20で家督を継いだ若き侯爵様であり、このマークランズ研究所の最高責任者でもある。
またすらりと長身で、さらりとした金髪に紺碧の瞳。女性の心を鷲掴みにするる為に生まれてきたような、まさに絵に描いたような美男子だった。
そんな非の打ち所がない彼は、実はルシータの婚約者であったりもする。
大事なことなので復唱するが、レオナードの婚約者はルシータだったりもする。
ちなみにレオナードとの初対面は、とある新薬の研究が成功した祝賀会の時だった。
白衣に何だかよくわからない液体の染みをつけたままグラスを傾ける大人に混じって、レオナードは父親と共に出席していた。
まだ10歳にもならなかったルシータは、初めて会う少年がなぜ白衣を着ていないのか不思議で首をかしげたのを良く覚えている。
そして彼がこの研究所の出資者兼最高責任者の息子であることを知ったのは、それからしばらくたってのこと。
あの時、うっかりレオナードを研究員の息子だと勘違いしなくて良かったと胸を撫で下ろしたことも、ルシータはしっかり覚えている。
でも幼少の頃から気さくな彼とは、随分一緒に遊んだりもした。
実は二人はアイセルイン学園でも先輩と後輩の仲であり、身分の差を抜きにすれば、所謂幼馴染みでもあったりする。
けれど幼馴染みという理由ごときで、侯爵家の若きご当主が、底辺貴族の男爵令嬢に求婚をするのは、いささか信じ難い。
はっきり言って、ロマンス小説になりそうなほど有り得ないことだ。
しかもあろうことかルシータは、未だにきちんと社交界にデビューしていない。
名のある貴族令嬢は、王城で開催される夜会でデビューをする。けれど、末端貴族や財だけある商人の娘達は大抵自宅で夜会を開き、客人に披露をする。
ではルシータはどうしたかというと、夜会を開くことはせず、昼間の適当な時間に研究所へ赴き、新薬の開発に没頭している人達に挨拶周りをしただけだった。
一応白いドレスを着て、挨拶をしたルシータに研究員たちは忙しかったのか「あーはいはい」という雑な返事を貰っただけ。
ただ一応御披露目なるものをしたのは間違いない。翌日からルシータは一人前の淑女として扱われるようになったのだから。
ただそれが夜会のお誘いなどではなく、研究所での雑用一般を任されるという扱いだった。けれど、ルシータは特に不満もなく、いやむしろ喜んで引き受けていたりもする。
だから貴族令嬢としての枠に入ってない中途半端な状態のルシータに求婚をするなんて、どう考えてもとち狂ったとしか考えられない。
当然のごとくルシータも求婚された当初も、今も、この事実が信じられないでいる。
よほど自分の領地で嫌なことでもあったのだろうか。
それとも逆に、なにか人には言えない悪行をして、自分の身を辛い環境に置きたいのだろうか。
そんなことを心配してしまうほどに。
とはいえはっきりとそれを言葉にして聞くことはしない。
なぜなら、もうこの件については、十分に考え尽くしたから。
そしてこれといったものを見つけられなかった以上、ルシータの望む答えではないことだけは確かだから。
そしてルシータは、レオナードの口からはっきりと求婚した理由を言葉にして聞くのが怖いのだ。
だからずっと胸に抱えている疑問は、声に出すことなく、ぐるぐるとルシータの中で暴れているだけ。
「......レオナードさま。驚きました」
「そうみたいだね。ごめんね、ルシータ。でも一応、ノックは6回したんだよ。───ね?カイルド」
丁寧な言い方とは裏腹に、ルシータの視線はしっかりと非難の色がある。
だがレオナードと呼ばれた青年は、茶目っ気ある謝罪をルシータにしただけ。
そしてすぐに、隣に立つパリッと隙の無い燕尾服に身を包んだ、この屋敷の執事カイルドに同意を求めた。
すかさずカイルドは「8回でございます」と執事らしい慇懃な口調で訂正を入れる。
そんな彼の髪は白髪交じりでルシータの父親より9つ年上。長年この家の雑事を全て引き受けてくれているなくてはならない存在だった。
もちろんルシータが生まれた時から、カイルドは父親に仕えている。だからルシータの性格も良く知っている。
例えばお喋りに夢中になったら、周りが見えなくなってしまうところとか。研究所で手伝えることがなければ部屋に籠って、本ばかり読んでいることとか。
……レオナードに対して、意識して距離を置こうとしていることとか。
だから何かに付けて居留守を使おうとするルシータを先読みしたのだろう。
お喋りに夢中になってルシータがノックの音に気付いていないのを良いことに、本日は強行突破に出たのだ。
とはいえ彼が執事という立場を差し引いても、この行動はいささか乱暴過ぎる。
けれども、研究に没頭するあまり、しょっちゅう寝食を忘れる父が、今日も元気にそれを続けられるのはカイルドのおかげ。言い換えるとこの執事は、時として手段を選ばない男だった。
そしてファルザ一家は彼に多大な感謝の念を抱いているので、この程度で楯突こうと思うものは誰もいない。
「───……それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
そんなこんなでカイルドは綺麗な所作で腰を折ると、あっという間に姿を消してしまった。
残されたレオナードは、軽く眉を上げて部屋にいる2人に問いかける。
「ところで僕は入って良いかい?」
「どうぞ、こちらに」
返事に困るルシータをよそに、ミランがそう言いながら、手のひらをこちらに向けるのが視界の端に映り込む。
入室の許可をいただくこの青年は、自分より格上の相手。まかり間違っても出て行けとは言いにくい。いや、言えない。
だからルシータは、嫌々ながらも彼を迎える為に席を立とうとする。
が、レオナードはそれを制するように手を挙げると、こんなことを口にした。
「実はねルシータ。僕も、同じものを持っていたりするんだけど」
そう言いながらレオナードは懐に手を入れて、薄薔薇色の封筒を人差し指と中指の間に挟んで、ひらひらと振ってみせた。
普段研究所内でその声を聞く時は、施設の責任者らしく硬質で、生まれながらに人の上に立つことが当然といった感じ。
なのに、今、ルシータに語りかけるものは、とろりと金色に輝くハチミツよりも甘いものだった。
そして深緑を基調とした貴族らしい服装は、この国で一番似合っている。
ということを口に出すことはせず、ルシータはしばしの間のあと、たった一文字を絞り出した。
「……嘘?」
「嘘じゃないさ」
そう言いながらレオナードは、床にもテーブルにも鏡台の上にも絶妙なバランスを保っている本の山脈の合間を縫って、ルシータの傍までやってきた。
足の踏み場を探さねばならないほど、床は薬草の専門書や、人体解剖学の本で溢れかえっている。
けれどミランは、瞬きする間にルシータの机の横にスペースを作ると、レオナードが着席できるよう椅子を置く。
ちなみにこの椅子は、読み終えた本置き場になっていたのだが、ものの数秒で人が着席できる家具に変えれるミランは、長ったらしい呪文を唱える魔法使いより出来が良い。
そしてレオナードは、至極当然のといった感じで優雅に着席する。
ルシータは、机に積み上げてある本に肘を置き、こちらを伺っているレオナードをそっと盗み見る。
本だらけの部屋は、お世辞にも美しく整えてあるとは言い難いが、レオナードの顔は申し分なく美しかった。
今日の日差しよりも眩しい金色の前髪は長くて、優美な線を描く眉の下にある翡翠色の瞳に少しかかっている。
これがまた魅惑的で、時折前髪をかき上げるその仕草は、女性の黄色い悲鳴の製造機と言っても過言ではない。
「ここは落ち着くな。でも本が多すぎる。こんなに死角が多いと、ちょっと落ち着かない気持ちになってしまうね」
さらりと矛盾することを言ってのけるレオナードに、ルシータは肩を竦めてみせた。
それを苦笑で受ける彼の正式名称はレオナード・ロッドという。
侯爵家の長男として生まれた彼は、齢20で家督を継いだ若き侯爵様であり、このマークランズ研究所の最高責任者でもある。
またすらりと長身で、さらりとした金髪に紺碧の瞳。女性の心を鷲掴みにするる為に生まれてきたような、まさに絵に描いたような美男子だった。
そんな非の打ち所がない彼は、実はルシータの婚約者であったりもする。
大事なことなので復唱するが、レオナードの婚約者はルシータだったりもする。
ちなみにレオナードとの初対面は、とある新薬の研究が成功した祝賀会の時だった。
白衣に何だかよくわからない液体の染みをつけたままグラスを傾ける大人に混じって、レオナードは父親と共に出席していた。
まだ10歳にもならなかったルシータは、初めて会う少年がなぜ白衣を着ていないのか不思議で首をかしげたのを良く覚えている。
そして彼がこの研究所の出資者兼最高責任者の息子であることを知ったのは、それからしばらくたってのこと。
あの時、うっかりレオナードを研究員の息子だと勘違いしなくて良かったと胸を撫で下ろしたことも、ルシータはしっかり覚えている。
でも幼少の頃から気さくな彼とは、随分一緒に遊んだりもした。
実は二人はアイセルイン学園でも先輩と後輩の仲であり、身分の差を抜きにすれば、所謂幼馴染みでもあったりする。
けれど幼馴染みという理由ごときで、侯爵家の若きご当主が、底辺貴族の男爵令嬢に求婚をするのは、いささか信じ難い。
はっきり言って、ロマンス小説になりそうなほど有り得ないことだ。
しかもあろうことかルシータは、未だにきちんと社交界にデビューしていない。
名のある貴族令嬢は、王城で開催される夜会でデビューをする。けれど、末端貴族や財だけある商人の娘達は大抵自宅で夜会を開き、客人に披露をする。
ではルシータはどうしたかというと、夜会を開くことはせず、昼間の適当な時間に研究所へ赴き、新薬の開発に没頭している人達に挨拶周りをしただけだった。
一応白いドレスを着て、挨拶をしたルシータに研究員たちは忙しかったのか「あーはいはい」という雑な返事を貰っただけ。
ただ一応御披露目なるものをしたのは間違いない。翌日からルシータは一人前の淑女として扱われるようになったのだから。
ただそれが夜会のお誘いなどではなく、研究所での雑用一般を任されるという扱いだった。けれど、ルシータは特に不満もなく、いやむしろ喜んで引き受けていたりもする。
だから貴族令嬢としての枠に入ってない中途半端な状態のルシータに求婚をするなんて、どう考えてもとち狂ったとしか考えられない。
当然のごとくルシータも求婚された当初も、今も、この事実が信じられないでいる。
よほど自分の領地で嫌なことでもあったのだろうか。
それとも逆に、なにか人には言えない悪行をして、自分の身を辛い環境に置きたいのだろうか。
そんなことを心配してしまうほどに。
とはいえはっきりとそれを言葉にして聞くことはしない。
なぜなら、もうこの件については、十分に考え尽くしたから。
そしてこれといったものを見つけられなかった以上、ルシータの望む答えではないことだけは確かだから。
そしてルシータは、レオナードの口からはっきりと求婚した理由を言葉にして聞くのが怖いのだ。
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