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おかしい。お愛想で可愛いと言われてただけなのにドキッとするなんて

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 ノアは自分の欲に負けた。しかし、世界中のキノコ料理を食せるという希望を手に入れた。

 これは勝負に勝って戦いに負けるということなのか。
 それとも身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれということなのだろうか。

 …… いやそんな、いなせな表現は似つかわしくない。ただ単に食い意地が張っていただけである。



「宮廷内では、身分の低い者から高い者に最初に声をかけてはいけない決まりがあります。ノア様は殿下の婚約者。ですので、ほとんどの参列者から声を掛けられることはございません。しかし、全てを無視するというのは、マナー違反となります。で、これが当日ノア様から声を掛けなければいけない参加者のリストです。あと、こっちが挨拶文です。まぁ何種類か用意しましたが、だいたいの内容は一緒で、要は……─── ノア様、意識を飛ばさないでください」
「…… 無理です」

 絶対零度の視線を受けたノアは、頭をぐらつかせながら素直な気持ちを吐露した。

「無理ではないです。たった一晩で高級キノコの名称と成分と形とベストな調理方法を覚えたあなた様なのですから、3日もあれば覚えられるでしょう。さぁ、弱音は夜会後にいくらでも聞きますから、続けますよ」
「……っ」

(夜会終わってから、弱音を吐いてももう遅い!!)

 ノアは押し付けられた来場者リストで顔を隠しながら舌打ちした。

 興味が無いものを覚えろと言ったって、土台無理な話だ。ウサギにお手を覚えさせるようなもの。無茶ぶりにも程がある。

 ちなみに手にしているリストと挨拶の台詞カンペは、シイタケのカサくらいの厚みがある。控え目に言って分厚い。

 たった2行の魔法文字の暗記に一か月かかったノアにしたら、必死に覚えようとしたって、来世までかかると豪語できる。

(あー……意識が遠のく)

 一度はグレイアスのお叱りで目が覚めたノアではあるが、いつでも宮廷魔術師の室温が快適なのも手伝って、小さくあくびをしてしまう。 

「……ノア様、夜会に出ると決めたのは、他でもないあなた自身です。それをお忘れなく」

 ふぁーっと息を吐いた瞬間、ぞっとするほど低い声が降ってきて、ノアはリストをぎゅっと握る。  
 
 ぐうの音も出ないとは、まさにこのこと。

 でも、キノコという狡いカードを出してきたグレイアス先生は、ぶっちゃけ姑息な奴ではないのだろうか。いや、絶対に卑怯者だ。

 もちろん最終的に是と頷いたのだから、ノアは夜会のための授業を毎日受けている。もう10日経つが、逃亡なんて一度もしていない。

 そして、一度決めたからには、これからも毎日出席する所存だ。

(ただ……これくらいの要望は聞き入れて欲しい)

「グレイアス先生、前向きなお願いがあります」
「内容によりますが……まぁ、良いでしょう。言ってみなさい」

 上から目線のグレイアスの物言いにカチンときたノアであるが、それをぐっと押さえてこんな主張をした。

「これからのテキストは、全てキノコに例えた文章にしてください。そうしたら、私、もっと頑張りますから!」

 なかなかの折衷案を出したノアではあったが、グレイアス先生からの返事は「善処します」という、ひどく素っ気ないものだった。
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