上 下
54 / 142
一部 不本意ながら襲われていますが......何か?

3★

しおりを挟む
 冬の空気は澄んでいて、夜空に無数の星が煌めいているのが良く見える。

 宮殿の奥の一室で、一人の女性が長椅子にゆったりと腰掛け、窓の外を眺めている。月夜に照らされたその女性は、とても美しかった。

 波打つだいだい色の髪は艶々に輝いており、毎日手を抜かず櫛を通しているのが一目でわかる。

 髪だけではない。肌も、指先も、眉も、両手両足の爪さえも。彼女の身体の全てのパーツは完全な形をして、月が霞むほど光り輝いていた。

 けれどその手入れをしているのは、専属の侍女たち。女性は自分で自身を磨くという行為を知らなかった。自ら手足を動かすのは、寝台で男と身体を重ねる時だけだと決めつけている。

 だからこの女性は毎晩、沢山の侍女を使って全身を磨き上げる。少しでも気に入らないことがあれば、罵倒を浴びせ、白魚のような手で侍女の頬を叩き、長い足で許しを乞う侍女の身体を踏みつけた。

 非道な行為であるが、不快な思いをさせる方が悪いと、自分はかしずかれて当然だと、凝り固まった考えから彼女は罪悪感を抱くことはなかった。

 美しいこの女性は高位の貴族で、自分の両親と、外廷に勤める官職達に「貴女は皇后になるために生まれてきた」と、ずっと言われ続けてきた。

 彼女自身も美しさを持ってすれば手に入らないものは何もないと信じており、これまでどんな手段も厭わずに欲しいものを手に入れてきた。

「ねえ、わたくし常々思っていたのですが、異世界から召喚されたというだけで聖王妃になれるなんて、おかしいと思わない?」

 女性は窓から目を離して、部屋のある場所に向かって問いかけた。

 月明かりだけの部屋は暗いが、確かにそこには人影がある。

「そうですね。僕もそう思いますよ」

 男性にしては少し高めの、弦楽器のような艶のある声が部屋に響いた。

 ここは城の内廷の奥。一部の衛兵を除けば、ここは男子禁制の場所であるのに、少年がいる。

 少年の年齢は13、14か。しっかりした足取りで女性の元に来ると跪いた。仕草も容姿も、とても美しい。

 稲刈り直前の稲穂のような柔らかそうな髪に、熟す前の果実のような青紫色の瞳。身にまとっている衣装も品があり、どこかの貴族令息に見える。

 けれどこの少年は、自分の過去を語ることができない。もともと与えられたであろう名前すら覚えてはいない。やんごとなき人間が表沙汰にせず、秘密裏で処理したい案件を請け負うだけの存在だ。

 幼い暗殺者に、名前など必要ない。仮に必要な場合は、雇い主が適当に名を与え、用が終われば、その名も消える。

 少年は今、この女性からロタと呼ばれている。

 女性はロタが従順に跪くのを見て、目を細めた。彼女は自分の容姿に磨きをかけるのが好きだったけれど、美しいものを愛でるのも好きだった。

「あの娘……カレンっていったかしら?たいした女じゃないわよね?」
「そうですね。貴方様のほうがよっぽどお美しいです」

 予め用意されていたように、ロタは澱みなく女性の問いに答えた。

 すぐに女性の艷やかな唇が弧を描くのを見て、ロタはほっと息を吐く。しかしその中には、倦怠感も混ざっていた。

 ロタは、この女性が城の内廷に部屋を与えられた時に雇われ、かれこれ2年以上の付き合いだ。

 どこの世界にも、汚れ仕事を請け負う稼業──暗殺者はいる。

 暗殺者は表社会からつまみ出された訳あり者の集まりで基本的に集団で行動する。しかしロタは、どこの集団にも所属していない一匹狼だった。

 そんなロタを女性が選んだ理由は、ただ一つ。見目が良かった、それだけ。

「ねぇ、ロタ。覚えていまして?夜会の時、わたくしわざわざ挨拶をして差し上げたのに、無視をされましたのよ?」

 ロタがこの女性との出会いをぼんやりと思い返していたら、再び問いが降ってきた。

 内心面倒くさいと思いつつ、ロタは正しい答えがどれなのかだけを考えて口を開く。

「ええ、覚えていますし、見ておりました。きっと貴方様のお美しさに怯んでしまったのでしょう」

 そう答えながら、ロタは夜会の時の佳蓮の姿を思い出す。

 夜会会場の外からしか見てはいなかったが、佳蓮の容姿はそこそこ可愛かったし、この女性ほど性格は悪くはないと遠目からでもわかった。

 一番強烈に覚えているのは、この女性が引きつった顔で腰を落とす姿だ。久しぶりに腹を抱えて笑った。

 もちろんロタは、そんなことは口に出さない。自分の生まれも、正確な年齢も、本当の名前さえ知らないが、長年の経験から雇い主の望む言葉を紡ぐことができる。

(こんな女が皇后になれるかもしれないなんて、終わってるよね。この国は)

 万が一、この女性が皇后の座に収まったのなら、早々に他国に流れようとロタは決めている。どう贔屓目に見ても、この帝国の未来は明るくない。 

 そんなふうにロタが意地の悪いことを考えていても、女性は気づかない。悔しそうに唇を歪めて、佳蓮への憎悪を吐き出す。

「今思い出しても……気が狂いそう……!わたくし、あんな小娘に頭を下げるなんて屈辱でしかなかったわ」
「ええ。貴方様は全ての人間にかしずかれる存在ですから」

 猫なで声でロタが女性に囁けば、赤い唇は満足そうに弧を描く。

 今日は調子がいい。普段ならこれだけ長く会話をしたら、数回は頬を張られているはずなのに。

 僅かに気が緩んでしまったロタは、次の質問で失態を犯してしまった。

「わたくし皇后になるために、血のにじむような努力をしてきましたのよ」
「はい。貴方様の並々ならぬ努力は全てこの国の母と──」

 言い終えぬうちに、ロタの言葉は女性のつま先によって封じられた。なんの躊躇もなく蹴られたのだ。

 無様に尻もちをついたロタが視線を感じて顔を上げれば、女性は鬼の形相で睨んでいた。

 その鋭い視線は、言い直せと訴えている。満足のいく正しい答えを口にしろと。

「……アルビス皇帝陛下の寵愛を受けるためでございます」
「ええ、そうよ」

 つい今しがた、自分よりはるかに幼い少年を蹴り上げたことなど忘れたかのように、女性は歯を見せて笑った。

 しかしすぐに、少女のような無邪気な笑顔を一変させ、鬼女のような表情になる。

「だから、ね。わたくしの邪魔をするものは消えてもらわないと。西のはずれのお城に引っ込んでもらうだけじゃ駄目。一生わたくしの目の届かないところに行ってもらわないと……そう思うでしょ?」
「もちろんでございます」

 ロタは間髪入れずに頷いた。聖皇后を暗殺するなど大罪中の大罪だというのに迷いはなかった。

(この女と離れられるなら、何でもするさ)

 なにせロタは、この女性について色々知りすぎてしまっていた。

 自身の立場を有利にするために他の皇后候補に嫌がらせをし続けていることとか、純潔が皇后候補の必須条件なのに、この女はそれを満たしていないとか。

 それだけじゃない。実はロタは、他の皇后候補にも雇われている多重暗殺者なのだ。

 このどれか一つでも知られてしまえば、間違いなく命を落とすだろう。ロタは生きることに対して楽しみを覚えることは一度としてないが、死に際は自分自身で決めたいと願っている。

 だから、だから……ロタは、この女性の望む言葉を紡いだ。

「僕があなたの願いを叶えましょう」

 ──お任せください、シャオエさま。

 少年はそう言ったあと、佳蓮に向ける憐憫の情をひっそりと隠して誠実な笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 529

あなたにおすすめの小説

結婚式をボイコットした王女

椿森
恋愛
請われて隣国の王太子の元に嫁ぐこととなった、王女のナルシア。 しかし、婚姻の儀の直前に王太子が不貞とも言える行動をしたためにボイコットすることにした。もちろん、婚約は解消させていただきます。 ※初投稿のため生暖か目で見てくださると幸いです※ 1/9:一応、本編完結です。今後、このお話に至るまでを書いていこうと思います。 1/17:王太子の名前を修正しました!申し訳ございませんでした···( ´ཫ`)

くたばれ番

あいうえお
恋愛
17歳の少女「あかり」は突然異世界に召喚された上に、竜帝陛下の番認定されてしまう。 「元の世界に返して……!」あかりの悲痛な叫びは周りには届かない。 これはあかりが元の世界に帰ろうと精一杯頑張るお話。 ──────────────────────── 主人公は精神的に少し幼いところがございますが成長を楽しんでいただきたいです 不定期更新

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

願いの代償

らがまふぃん
恋愛
誰も彼もが軽視する。婚約者に家族までも。 公爵家に生まれ、王太子の婚約者となっても、誰からも認められることのないメルナーゼ・カーマイン。 唐突に思う。 どうして頑張っているのか。 どうして生きていたいのか。 もう、いいのではないだろうか。 メルナーゼが生を諦めたとき、世界の運命が決まった。 *ご都合主義です。わかりづらいなどありましたらすみません。笑って読んでくださいませ。本編15話で完結です。番外編を数話、気まぐれに投稿します。よろしくお願いいたします。

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

城内別居中の国王夫妻の話

小野
恋愛
タイトル通りです。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

処理中です...