65 / 142
一部 不本意ながら襲われていますが......何か?
14
しおりを挟む
アルビスの狡い心を見透かした佳蓮は、馬乗りになったまま動かない。
またがったままでいるのは、気が変わってとどめを刺したいだからじゃないし、これから先の未来に絶望して呆然としている訳でもない。
佳蓮は、ただただ考えていた。寒さも感じない程、あることだけを一心に考えていた。
アルビスは、これまでずっと頑張ってきた。
色んな人から押し付けられたものを背負わされ、追い詰められたのに、一つも捨てることなく完璧な皇帝を演じてきた。
それはきっと真っ暗な嵐の海の中を、一人で泳ぎ続けるようなものなのだろう。
孤独で、寂しくて、苦しくてやるせなくて。吹きすさぶ風は冷たく、荒れ狂う波に何度も飲まれそうになって、いっそ海の藻屑になりたいと思ったこともあっただろう。
けれど自分が死ねば国が荒れることを知っているアルビスは、泳ぎ続けた。望んでなどいないのに。
それなのに頑張った人間が最後に辿り着く場所が、こんなうら寂しい林の中でひっそりと息絶える。そんな悲しい結末などあってたまるものか。
何の抵抗もしないアルビスの整った顔は、間近で見ると目の下の深い影があった。多分もうずっと眠っていなかったのだろう。青い唇。ひどくやつれた顔。張られた頬は赤く痛々しい。
そんな顔を見てしまったら、佳蓮はこれ以上、怒りをぶつけることができない……わけじゃない。
むしろ何でこんなふうに自分勝手に振舞えることが不思議だったし、こうしたら相手が傷付くとか考えないで好き勝手なことができる図太い神経を羨ましいと思った。
自分が嫌だと思うことは他の人にやってはいけない。人には優しく接しましょう。相手の悪いところではなく、良いところを探すようにしよう。困っている人には自分から手を差し伸べよう。
そういう善意は、小さい頃から培われて心の根底にあった。だから佳蓮は無視をすれば罪悪感を持っていたし、何かにつけて疑ってしまう自分を恥じていた。
でも、もういいじゃん。アルビスにそんな気持ちを持ったって仕方ないじゃん。元の世界の道徳心なんて意味がないと。
そんなふうに諦めにも似た感情を抱えた佳蓮は、泣いているようにも笑っているようにも見えた。
月は変わらず、木々の隙間から二人を照らしている。風が吹き、地面に積もった雪が舞い上がる。
二人の髪が風にさらわれ、アルビスの頬に生暖かい雫がはたりと落ちる。それは次第にぽたぽたと断続的に続き、まるでアルビスが涙を流しているかのようだった。
けれど泣いているのは佳蓮の方だった。微かに嗚咽を漏らしながら泣いていた。
佳蓮は涙をぬぐうことはせず、ぐちゃぐちゃになった表情のまま、アルビスに問いかけた。
「ねえ、私のこと……好き?」
「ああ、好きだ」
顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした女を好きだなんて。しかも馬乗りになって自分を殺そうとしているのに、堂々と好きと言うこの男は気が狂っている。
佳蓮はそう思った。でも、さらに問いを重ねた。
「愛してる?」
「何ものにも代えがたい程に、君を愛している」
二度目の問いにもアルビスは澱みなく答えた。
やっぱりこの人は馬鹿だ。そして、こんなふうにしか人を愛せないなんて、寂しい人だ。
佳蓮はそうも思ったが、同情はしない。同情できる域はもうとっくに超えている。
(私はこの人に、ちゃんと罪を償ってもらいたい)
ぎこちなく笑みを向けた佳蓮は、アルビスが一番望んでいる言葉を静かに紡いだ。
「そう。じゃあ……私、あなたと結婚してあげる」
「っ……!」
アルビスは信じられないといった感じで目を見開いた。深紅の瞳に歓喜の色が浮かび、それはどんどん大きくなって、瞳全部が悦びに染まろうとしていた。
反対に佳蓮は、視界が黒く染まって深い海の底に沈んでいくような錯覚を覚えた。
(まんまと騙されて。本当に愚かな男)
佳蓮はアルビスを奈落の底に突き落とすために、自分の心に傷を負うことを承知で、わざと喜ばせたのだ。
「ただし、条件があるから」
佳蓮はそう言ってアルビスの胸倉を掴むと、声を張り上げた。
「一生私を抱かないでっ。キスもしないでっ。恋人みたいに、触れたりしないでよね!!」
またがったままでいるのは、気が変わってとどめを刺したいだからじゃないし、これから先の未来に絶望して呆然としている訳でもない。
佳蓮は、ただただ考えていた。寒さも感じない程、あることだけを一心に考えていた。
アルビスは、これまでずっと頑張ってきた。
色んな人から押し付けられたものを背負わされ、追い詰められたのに、一つも捨てることなく完璧な皇帝を演じてきた。
それはきっと真っ暗な嵐の海の中を、一人で泳ぎ続けるようなものなのだろう。
孤独で、寂しくて、苦しくてやるせなくて。吹きすさぶ風は冷たく、荒れ狂う波に何度も飲まれそうになって、いっそ海の藻屑になりたいと思ったこともあっただろう。
けれど自分が死ねば国が荒れることを知っているアルビスは、泳ぎ続けた。望んでなどいないのに。
それなのに頑張った人間が最後に辿り着く場所が、こんなうら寂しい林の中でひっそりと息絶える。そんな悲しい結末などあってたまるものか。
何の抵抗もしないアルビスの整った顔は、間近で見ると目の下の深い影があった。多分もうずっと眠っていなかったのだろう。青い唇。ひどくやつれた顔。張られた頬は赤く痛々しい。
そんな顔を見てしまったら、佳蓮はこれ以上、怒りをぶつけることができない……わけじゃない。
むしろ何でこんなふうに自分勝手に振舞えることが不思議だったし、こうしたら相手が傷付くとか考えないで好き勝手なことができる図太い神経を羨ましいと思った。
自分が嫌だと思うことは他の人にやってはいけない。人には優しく接しましょう。相手の悪いところではなく、良いところを探すようにしよう。困っている人には自分から手を差し伸べよう。
そういう善意は、小さい頃から培われて心の根底にあった。だから佳蓮は無視をすれば罪悪感を持っていたし、何かにつけて疑ってしまう自分を恥じていた。
でも、もういいじゃん。アルビスにそんな気持ちを持ったって仕方ないじゃん。元の世界の道徳心なんて意味がないと。
そんなふうに諦めにも似た感情を抱えた佳蓮は、泣いているようにも笑っているようにも見えた。
月は変わらず、木々の隙間から二人を照らしている。風が吹き、地面に積もった雪が舞い上がる。
二人の髪が風にさらわれ、アルビスの頬に生暖かい雫がはたりと落ちる。それは次第にぽたぽたと断続的に続き、まるでアルビスが涙を流しているかのようだった。
けれど泣いているのは佳蓮の方だった。微かに嗚咽を漏らしながら泣いていた。
佳蓮は涙をぬぐうことはせず、ぐちゃぐちゃになった表情のまま、アルビスに問いかけた。
「ねえ、私のこと……好き?」
「ああ、好きだ」
顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした女を好きだなんて。しかも馬乗りになって自分を殺そうとしているのに、堂々と好きと言うこの男は気が狂っている。
佳蓮はそう思った。でも、さらに問いを重ねた。
「愛してる?」
「何ものにも代えがたい程に、君を愛している」
二度目の問いにもアルビスは澱みなく答えた。
やっぱりこの人は馬鹿だ。そして、こんなふうにしか人を愛せないなんて、寂しい人だ。
佳蓮はそうも思ったが、同情はしない。同情できる域はもうとっくに超えている。
(私はこの人に、ちゃんと罪を償ってもらいたい)
ぎこちなく笑みを向けた佳蓮は、アルビスが一番望んでいる言葉を静かに紡いだ。
「そう。じゃあ……私、あなたと結婚してあげる」
「っ……!」
アルビスは信じられないといった感じで目を見開いた。深紅の瞳に歓喜の色が浮かび、それはどんどん大きくなって、瞳全部が悦びに染まろうとしていた。
反対に佳蓮は、視界が黒く染まって深い海の底に沈んでいくような錯覚を覚えた。
(まんまと騙されて。本当に愚かな男)
佳蓮はアルビスを奈落の底に突き落とすために、自分の心に傷を負うことを承知で、わざと喜ばせたのだ。
「ただし、条件があるから」
佳蓮はそう言ってアルビスの胸倉を掴むと、声を張り上げた。
「一生私を抱かないでっ。キスもしないでっ。恋人みたいに、触れたりしないでよね!!」
57
お気に入りに追加
3,077
あなたにおすすめの小説
私は女神じゃありません!!〜この世界の美的感覚はおかしい〜
朝比奈
恋愛
年齢=彼氏いない歴な平凡かつ地味顔な私はある日突然美的感覚がおかしい異世界にトリップしてしまったようでして・・・。
(この世界で私はめっちゃ美人ってどゆこと??)
これは主人公が美的感覚が違う世界で醜い男(私にとってイケメン)に恋に落ちる物語。
所々、意味が違うのに使っちゃってる言葉とかあれば教えて下さると幸いです。
暇つぶしにでも呼んでくれると嬉しいです。
※休載中
(4月5日前後から投稿再開予定です)
くたばれ番
あいうえお
恋愛
17歳の少女「あかり」は突然異世界に召喚された上に、竜帝陛下の番認定されてしまう。
「元の世界に返して……!」あかりの悲痛な叫びは周りには届かない。
これはあかりが元の世界に帰ろうと精一杯頑張るお話。
────────────────────────
主人公は精神的に少し幼いところがございますが成長を楽しんでいただきたいです
不定期更新
夫が私に魅了魔法をかけていたらしい
綺咲 潔
恋愛
公爵令嬢のエリーゼと公爵のラディリアスは2年前に結婚して以降、まるで絵に描いたように幸せな結婚生活を送っている。
そのはずなのだが……最近、何だかラディリアスの様子がおかしい。
気になったエリーゼがその原因を探ってみると、そこには女の影が――?
そんな折、エリーゼはラディリアスに呼び出され、思いもよらぬ告白をされる。
「君が僕を好いてくれているのは、魅了魔法の効果だ。つまり……本当の君は僕のことを好きじゃない」
私が夫を愛するこの気持ちは偽り?
それとも……。
*全17話で完結予定。
鴉の運命の花嫁は、溺愛される
夕立悠理
恋愛
筝蔵美冬(ことくらみふゆ)は、筝蔵家の次女。箏蔵家の元には多大な名誉と富が集まる。けれどそれは、妖との盟約により、いずれ生まれる『運命の花嫁』への結納金として、もたらされたものだった。美冬は、盟約に従い、妖の元へ嫁ぐことになる。
妖。人ならざる者。いったいどんな扱いをうけるのか。戦々恐々として嫁いだ美冬。けれど、妖は美冬のことを溺愛し――。
龍王の番
ちゃこ
恋愛
遥か昔から人と龍は共生してきた。
龍種は神として人々の信仰を集め、龍は人間に対し加護を与え栄えてきた。
人間達の国はいくつかあれど、その全ての頂点にいるのは龍王が纏める龍王国。
そして龍とは神ではあるが、一つの種でもある為、龍特有の習性があった。
ーーーそれは番。
龍自身にも抗えぬ番を求める渇望に翻弄され身を滅ぼす龍種もいた程。それは大切な珠玉の玉。
龍に見染められれば一生を安泰に生活出来る為、人間にとっては最高の誉れであった。
しかし、龍にとってそれほど特別な存在である番もすぐに見つかるわけではなく、長寿である龍が時には狂ってしまうほど出会える確率は低かった。
同じ時、同じ時代に生まれ落ちる事がどれほど難しいか。如何に最強の種族である龍でも天に任せるしかなかったのである。
それでも番を求める龍種の嘆きは強く、出逢えたらその番を一時も離さず寵愛する為、人間達は我が娘をと龍に差し出すのだ。大陸全土から若い娘に願いを託し、番いであれと。
そして、中でも力の強い龍種に見染められれば一族の誉れであったので、人間の権力者たちは挙って差し出すのだ。
龍王もまた番は未だ見つかっていないーーーー。
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのにいつのまにか溺愛ルートに入りそうです⁉︎
sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。
遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら
自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に
スカウトされて異世界召喚に応じる。
その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に
第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に
かまい倒されながら癒し子任務をする話。
時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。
初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。
2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる