45 / 142
一部 別居中。戻る気なんて0ですが......何か?
8★
しおりを挟む
「お話聞かせていただきありがとうございました」
「……ううん」
「わたくしが言うのもなんですが……カレンさま、どうか少しでもいいのでお食事を取ってください」
「……う、うん」
「本当ならお肉をしっかり食べていただきたのですが、まずは消化の良いものを。シチューや具の多いスープをおすすめします。それと季節柄果物は手に入りにくいですが、差し出がましいかもしれませんがわたくしがご用意を──」
「シダナさん」
「はい。なんでしょう」
「もう帰ったら?」
「……わかりました。それでは……失礼いたします」
うんざりした表情を浮かべた佳蓮に見送られ、シダナは応接間を後にした。
*
トゥ・シェーナ城はぐるりと水堀に囲われている造りになっているので、入出城の際には跳ね橋を利用する。
普段は上げられたままの跳ね橋が、ギギッ、ギッ、ギッーと重い音を立てて水堀を跨いで地面に降りる。
完全に動きが止まったのを確認して、シダナは跳ね橋を足早で歩き出す。
ウール素材の重いマントが北風にあおられ、ふぁさりと揺れる。前髪がなびくと、お茶の香りがした。
シダナは17歳で騎士となり、20歳を迎えると同時にアルビスの側近となった。皇帝側近という役職を賜ってからの7年は、長いようであっという間だった。
けれど平穏無事とは言い難かった。皇帝の側近は、常に危険と隣り合わせの毎日だ。
誹謗中傷などの火の粉は当たり前。毒を盛られたこともあれば、剣を交えたことも数え切れないほどある。今、生きていることが不思議だと思う出来事だって幾度か経験した。
そんな経験豊富なシダナでも、頭からお茶をかけられたのは初めてだった。
あの時、今にも倒れてしまいそうなほど痩せ衰えた少女の中に、そんな激情が眠っていたのなど考えもしなかったから、とても驚いた。
(カレン様は、見かけとは裏腹にとても気が強い)
苦笑するシダナだったが、その後の佳蓮がどんな話をしたのかを思い出し、憂えた表情になる。
佳蓮は感情に任せて、元の世界に戻りたい理由を一方的に語るものだと思っていた。
でも違った。時折、口を噤んで一生懸命に言葉を選び、そして「これわかる?」「これ知ってる?」と聞いている側を気遣い、聞き取りやすいようゆっくりと語ってくれた。
でもきっと、この城に留まるために語ったわけではなかったのだろう。本当は今すぐ、元の世界に帰してくれと声を大にして叫びたかったはずだ。
シダナは元の世界に戻れないと口にはしなかったが、代わりの言葉を見つけることもできなかった。
雪道を歩いていたシダナは足を止め、そびえ立つ城を目を細めて見上げる。
トゥ・シェーナ城はメルギオス帝国で二番目に美しいと称される城である。なのに今は、ここが牢獄のように思えて仕方がない。
美しい牢獄に囚われている少女は全てを語り終えた後、シダナに向けてこう言った。
『……さっきはごめん。熱かった?』
不貞腐れた表情を浮かべつつも紡いだ言葉は、自身の非を認め、相手のことを案じるもの。
「……こんな自分に気遣う言葉など……掛ける必要はないというのに」
独りごちたシダナは、再び歩き始めた。
もともと緑の多い土地に建てられたトゥ・シェーナ城は、帝都と違い歩道の整備はされていない。
林道に近いそこは雪かきをしても道が悪く、シダナが乗ってきた馬車は少し離れた場所にある。
サクサクと雪を踏む音を聞きながら視線を上にすれば、空からはちぎれた雲の欠片のような柔らかい雪が降ってきた。
それに目を奪われた途端、背後からバサッと音がしてシダナは弾かれたように振り返った。雪の重さに耐え切れなくなった木の枝が、それを落とした音だった。
シダナは軽く肩をすくめて再び馬車の方向に身体を向け歩き始めたが、すぐに表情が引きつった。
鳥が飛び立つより短い間に、自分が仕える主が姿を現したのだ。
「お前はいつから仕事をさぼるようになったんだ?」
怒りを限界まで抑えたアルビスの低い声が、しんとした林道に響く。
しかしシダナは優美に微笑むと、いつも通りアルビスに騎士の礼を執る。
姿勢を変えた拍子に、アルビスの背後でヴァーリが青ざめているのが視界に入った。小刻みに震えているように見えるが、これは寒さからではないだろう。
シダナは礼の姿勢を保ったまま、事前に考えていた言い訳を口にした。
「気分転換の散歩にございます」
「ぬかせ」
予想通りアルビスから、鳩尾の奥に鈍痛を感じてしまうような視線が向けられた。
「……ううん」
「わたくしが言うのもなんですが……カレンさま、どうか少しでもいいのでお食事を取ってください」
「……う、うん」
「本当ならお肉をしっかり食べていただきたのですが、まずは消化の良いものを。シチューや具の多いスープをおすすめします。それと季節柄果物は手に入りにくいですが、差し出がましいかもしれませんがわたくしがご用意を──」
「シダナさん」
「はい。なんでしょう」
「もう帰ったら?」
「……わかりました。それでは……失礼いたします」
うんざりした表情を浮かべた佳蓮に見送られ、シダナは応接間を後にした。
*
トゥ・シェーナ城はぐるりと水堀に囲われている造りになっているので、入出城の際には跳ね橋を利用する。
普段は上げられたままの跳ね橋が、ギギッ、ギッ、ギッーと重い音を立てて水堀を跨いで地面に降りる。
完全に動きが止まったのを確認して、シダナは跳ね橋を足早で歩き出す。
ウール素材の重いマントが北風にあおられ、ふぁさりと揺れる。前髪がなびくと、お茶の香りがした。
シダナは17歳で騎士となり、20歳を迎えると同時にアルビスの側近となった。皇帝側近という役職を賜ってからの7年は、長いようであっという間だった。
けれど平穏無事とは言い難かった。皇帝の側近は、常に危険と隣り合わせの毎日だ。
誹謗中傷などの火の粉は当たり前。毒を盛られたこともあれば、剣を交えたことも数え切れないほどある。今、生きていることが不思議だと思う出来事だって幾度か経験した。
そんな経験豊富なシダナでも、頭からお茶をかけられたのは初めてだった。
あの時、今にも倒れてしまいそうなほど痩せ衰えた少女の中に、そんな激情が眠っていたのなど考えもしなかったから、とても驚いた。
(カレン様は、見かけとは裏腹にとても気が強い)
苦笑するシダナだったが、その後の佳蓮がどんな話をしたのかを思い出し、憂えた表情になる。
佳蓮は感情に任せて、元の世界に戻りたい理由を一方的に語るものだと思っていた。
でも違った。時折、口を噤んで一生懸命に言葉を選び、そして「これわかる?」「これ知ってる?」と聞いている側を気遣い、聞き取りやすいようゆっくりと語ってくれた。
でもきっと、この城に留まるために語ったわけではなかったのだろう。本当は今すぐ、元の世界に帰してくれと声を大にして叫びたかったはずだ。
シダナは元の世界に戻れないと口にはしなかったが、代わりの言葉を見つけることもできなかった。
雪道を歩いていたシダナは足を止め、そびえ立つ城を目を細めて見上げる。
トゥ・シェーナ城はメルギオス帝国で二番目に美しいと称される城である。なのに今は、ここが牢獄のように思えて仕方がない。
美しい牢獄に囚われている少女は全てを語り終えた後、シダナに向けてこう言った。
『……さっきはごめん。熱かった?』
不貞腐れた表情を浮かべつつも紡いだ言葉は、自身の非を認め、相手のことを案じるもの。
「……こんな自分に気遣う言葉など……掛ける必要はないというのに」
独りごちたシダナは、再び歩き始めた。
もともと緑の多い土地に建てられたトゥ・シェーナ城は、帝都と違い歩道の整備はされていない。
林道に近いそこは雪かきをしても道が悪く、シダナが乗ってきた馬車は少し離れた場所にある。
サクサクと雪を踏む音を聞きながら視線を上にすれば、空からはちぎれた雲の欠片のような柔らかい雪が降ってきた。
それに目を奪われた途端、背後からバサッと音がしてシダナは弾かれたように振り返った。雪の重さに耐え切れなくなった木の枝が、それを落とした音だった。
シダナは軽く肩をすくめて再び馬車の方向に身体を向け歩き始めたが、すぐに表情が引きつった。
鳥が飛び立つより短い間に、自分が仕える主が姿を現したのだ。
「お前はいつから仕事をさぼるようになったんだ?」
怒りを限界まで抑えたアルビスの低い声が、しんとした林道に響く。
しかしシダナは優美に微笑むと、いつも通りアルビスに騎士の礼を執る。
姿勢を変えた拍子に、アルビスの背後でヴァーリが青ざめているのが視界に入った。小刻みに震えているように見えるが、これは寒さからではないだろう。
シダナは礼の姿勢を保ったまま、事前に考えていた言い訳を口にした。
「気分転換の散歩にございます」
「ぬかせ」
予想通りアルビスから、鳩尾の奥に鈍痛を感じてしまうような視線が向けられた。
54
お気に入りに追加
3,090
あなたにおすすめの小説

冷徹公に嫁いだ可哀想なお姫様
さくたろう
恋愛
役立たずだと家族から虐げられている半身不随の姫アンジェリカ。味方になってくれるのは従兄弟のノースだけだった。
ある日、姉のジュリエッタの代わりに大陸の覇者、冷徹公の異名を持つ王マイロ・カースに嫁ぐことになる。
恐ろしくて震えるアンジェリカだが、マイロは想像よりもはるかに優しい人だった。アンジェリカはマイロに心を開いていき、マイロもまた、心が美しいアンジェリカに癒されていく。
※小説家になろう様にも掲載しています
いつか設定を少し変えて、長編にしたいなぁと思っているお話ですが、ひとまず短編のまま投稿しました。

人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定

美人な姉と『じゃない方』の私
LIN
恋愛
私には美人な姉がいる。優しくて自慢の姉だ。
そんな姉の事は大好きなのに、偶に嫌になってしまう時がある。
みんな姉を好きになる…
どうして私は『じゃない方』って呼ばれるの…?
私なんか、姉には遠く及ばない…
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる