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一部 夜会なんて出たくありませんが......何か?
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手ですくった水が零れ落ちるように楽団の奏者が次々に演奏を止めると、会場は水を打ったかのように静まり返った。
ダンスを踊っていた男女もステップを止め、何事かと上座に視線を向ける。不穏な空気に首を傾げた佳蓮だけど、すぐに気付いた。アルビスが立ち上がったのだ。
「構わぬ。続けよ」
退席しようとするアルビスの声音は、いつも通り抑揚がなかった。
長いローブを払いながら歩く動作も、扉へと向かう足取りも、なんの感情も伝わってこなかった。
「あの、ごめんなさいっ。失礼します」
セリオスに断りを入れると佳蓮は勢いよく立ち上がり、アルビスの後を追う。
彼の機嫌を損ねたと慌てたわけではなく、ここから逃げ出す絶好のチャンスだと便乗しただけだ。
会場を出た佳蓮は、ドレスの裾を掴んで小走りで廊下を進む。
シフォンのドレスは軽いけれど、足にまとわりついて歩きにくい。履きなれていないヒールも、グラグラして心許ない。
でもそんなことより、帰り道がわからないことが一番不安だ。
宮殿の間取りなどまったくわからないし、柔らかな曲線を描く窓が等間隔に続くこの廊下は、どこも似たり寄ったり。
今更悔やんでも遅いけれど、行き道でちゃんと目印になるものを覚えておくべきだった。
佳蓮の走る速度がだんだんとゆっくりになり、終いにはとぼとぼといった足取りになる。
「お一人で歩くのは危ないですよ。カレンさま」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、佳蓮は足を止めて振り返った。
「思ってないこと言わないでよ。気持ち悪い」
「気持ち悪い?ひどいこと言いますねぇ」
悪口を言われ苦笑するヴァーリは、佳蓮の元に近づきながら人差し指をくるくる動かす。
「陛下はあっち。あなたの離宮はそっち。カレンさま、貴方様はどちらに行かれます?」
あまりの愚問に、佳蓮の眉間に皺が寄る。
どうしてアルビスの元にいかなければならないのか意味が分からない。佳蓮はさっさと離宮の方へと身体を向ける。ヴァーリにお礼の言葉なんて言うもんか。
そんな気持ちで佳蓮が離宮へと歩き出した途端、ヴァーリに強く腕をつかまれた。次いで、背中に衝撃が走る。壁に押し付けられたのだ。
「あのさぁ、いい加減にしてくれないかな?お嬢さん」
ぞっとするほど低い声と共に、片側の耳元でどんっという強い衝撃音がした。ヴァーリが佳蓮の顔のすぐ横に手を付いたのだ。壁ドンというヤツだ。
壁とヴァーリに挟まれる形になりながら、人生初めての壁ドンがこんな相手だったことに、佳蓮は心の底から落胆した。
今すぐこの黒歴史を消したいと願う佳蓮に、ヴァーリはちっとも気づかない。
「散々陛下を困らせて、焦らして、振り回して。一丁前に、あのお方の気持ちを試してるんですか?何様なんですかね。あなたは」
「試したつもりなんてない。あなたこそ、何様なのよ」
理不尽な言いがかりに、佳蓮も噛みつくように言い返す。
「なんだよ、その言い方」
ヴァーリはこれまで見たこともない冷笑を浮かべて、佳蓮を睨みつけた。血の気が引くほどの殺気が全身を覆う。
「あ?無自覚小悪魔ですか?はっ、そういうのもう少し大人になってからやってくださいよ。陛下はね、忙しいんですよ。子供のお遊戯に構っている暇なんてないんですよ。……ったく、陛下も可哀想だ」
吐き捨てるように言ったヴァーリの最後の一言は、聞き捨てることができなかった。
(は?だ、誰が……可哀想ですって?!)
心の中でそう呟いた途端、佳蓮の中の何かが豪快に切れた。
ダンスを踊っていた男女もステップを止め、何事かと上座に視線を向ける。不穏な空気に首を傾げた佳蓮だけど、すぐに気付いた。アルビスが立ち上がったのだ。
「構わぬ。続けよ」
退席しようとするアルビスの声音は、いつも通り抑揚がなかった。
長いローブを払いながら歩く動作も、扉へと向かう足取りも、なんの感情も伝わってこなかった。
「あの、ごめんなさいっ。失礼します」
セリオスに断りを入れると佳蓮は勢いよく立ち上がり、アルビスの後を追う。
彼の機嫌を損ねたと慌てたわけではなく、ここから逃げ出す絶好のチャンスだと便乗しただけだ。
会場を出た佳蓮は、ドレスの裾を掴んで小走りで廊下を進む。
シフォンのドレスは軽いけれど、足にまとわりついて歩きにくい。履きなれていないヒールも、グラグラして心許ない。
でもそんなことより、帰り道がわからないことが一番不安だ。
宮殿の間取りなどまったくわからないし、柔らかな曲線を描く窓が等間隔に続くこの廊下は、どこも似たり寄ったり。
今更悔やんでも遅いけれど、行き道でちゃんと目印になるものを覚えておくべきだった。
佳蓮の走る速度がだんだんとゆっくりになり、終いにはとぼとぼといった足取りになる。
「お一人で歩くのは危ないですよ。カレンさま」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、佳蓮は足を止めて振り返った。
「思ってないこと言わないでよ。気持ち悪い」
「気持ち悪い?ひどいこと言いますねぇ」
悪口を言われ苦笑するヴァーリは、佳蓮の元に近づきながら人差し指をくるくる動かす。
「陛下はあっち。あなたの離宮はそっち。カレンさま、貴方様はどちらに行かれます?」
あまりの愚問に、佳蓮の眉間に皺が寄る。
どうしてアルビスの元にいかなければならないのか意味が分からない。佳蓮はさっさと離宮の方へと身体を向ける。ヴァーリにお礼の言葉なんて言うもんか。
そんな気持ちで佳蓮が離宮へと歩き出した途端、ヴァーリに強く腕をつかまれた。次いで、背中に衝撃が走る。壁に押し付けられたのだ。
「あのさぁ、いい加減にしてくれないかな?お嬢さん」
ぞっとするほど低い声と共に、片側の耳元でどんっという強い衝撃音がした。ヴァーリが佳蓮の顔のすぐ横に手を付いたのだ。壁ドンというヤツだ。
壁とヴァーリに挟まれる形になりながら、人生初めての壁ドンがこんな相手だったことに、佳蓮は心の底から落胆した。
今すぐこの黒歴史を消したいと願う佳蓮に、ヴァーリはちっとも気づかない。
「散々陛下を困らせて、焦らして、振り回して。一丁前に、あのお方の気持ちを試してるんですか?何様なんですかね。あなたは」
「試したつもりなんてない。あなたこそ、何様なのよ」
理不尽な言いがかりに、佳蓮も噛みつくように言い返す。
「なんだよ、その言い方」
ヴァーリはこれまで見たこともない冷笑を浮かべて、佳蓮を睨みつけた。血の気が引くほどの殺気が全身を覆う。
「あ?無自覚小悪魔ですか?はっ、そういうのもう少し大人になってからやってくださいよ。陛下はね、忙しいんですよ。子供のお遊戯に構っている暇なんてないんですよ。……ったく、陛下も可哀想だ」
吐き捨てるように言ったヴァーリの最後の一言は、聞き捨てることができなかった。
(は?だ、誰が……可哀想ですって?!)
心の中でそう呟いた途端、佳蓮の中の何かが豪快に切れた。
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