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ポンコツ愛と狂愛の戦い※またの名を【口付け事件】

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「誰を待っているんだ?」

 力任せに抱きしめられ、息苦しさで喘ぐユリシアに、アルダードは囁くように問いかける。

 ユリシアは、ぐっと奥歯を噛み締めた。死んだって答えてやるもんか。

「大公はここには来ない。フリーシアから聞いている。あいつは惚れた女がいるそうだな」
「……っ」
「お前はどうせ捨てられる運命だったんだ。あいつは絶対に助けになんかこない」
「……言われなくてもわかってます」

 悔し紛れに言い返せば、アルダードは満足そうに笑った。

 ユリシアはグレーゲルが助けに来てくれるという発想など、とうに捨てている。

 だって自分は、彼が本命と結ばれる間の繋ぎでしかない。むしろ助けに来ないのは、当然だ。

 それにここはおそらくリンヒニア国だ。

 条約でマルグルス国民はリンヒニア国で魔法を使うことは禁じられている。それに手を尽くして自分を取り戻すなんて、彼にとって何のメリットも無いはずだ。

 だからユリシアは、咄嗟に名を呼ぼうとした彼の名を口の中で噛み砕いた。

 もし言葉にしてグレーゲルに助けを求めてそれが叶わなかったとき、自分が受ける心のダメージは半端無いだろう。

 彼と結ばれたいと身の程知らずなことは誓って思っていない。でも自ら傷付く行為なんて、したくない。

「ああユリシア。やっと手に入れた……見ろ、ここは今日からお前が過ごす部屋だ。素晴らしいだろう?」

 アルダードが抱きしめる腕を緩めたのを見逃さず、ユリシアはぐいっと身体を背ける。

 否が応でも視界に映るそこは、全ての窓に鉄格子がはめられていた。

「ま……まさか、私をここに閉じ込めるつもりなんですか?」
「閉じ込めるなんて人聞きの悪い。鉄格子は外敵の侵入を拒むための特注品だ」

 子供にプレゼントを渡すような笑顔を向けるアルダードは、どこかが壊れている。

 世界中探したって、こんな鉄格子付きの部屋を見て喜ぶ人間などいるはずがないというのに。

 一体いつから彼はこんなふうになってしまったのだろう。彼の心の中には自分では想像もできないくらい深い闇がある。

 だからと言って、癒えぬ傷を抱えた彼と寄り添い生きていくなんてまっぴらごめんだ。

「いやだっ、こんなところ!私、帰る!!」

 感情が制御できなくて、舌足らずな子供の言い方になってしまったけれど、ちゃんとアルダードには伝わったようだ。

 みるみるうちに、彼の顔が険しくなる。

「どこに帰るというんだ?お前の居場所はここだ」
「やだっ。私の居場所はここじゃない!あんたの傍なんて絶対に嫌!!」
「なっ」

 傷付いた顔をしてアルダードが再びユリシアを抱きしめる。

 でもユリシアは、それを拒み手足を振り回す。肩が焼けつくように痛い。服が湿っていて、これが全部自分の血だと思うとこのまま死んでしまう不安が忍び寄る。

 それでもここで一生過ごすよりマシだ。

「私、トオン領に帰る!モネリとアネリーが待ってるもんっ。早く帰るっ。ブランさんだってラーシュさんにだって待ってるもん!やだやだっ、帰る!離してよっ」

 必死に伸ばす手の先には何も無いのはわかっていても、何かを掴もうと更に腕を伸ばす。

「帰るっ。こんなところ嫌!」
「……ユリシア」
「やだっ。もう嫌だ!!」
「ユリシア」
「あんなたなんか大っ嫌い!!」
「ユリシア!!」

 泣き喚くユリシアよりもっと大きな声で、アルダードが名を呼ぶ。
  
「……駄目だ……消えないでくれ。私の傍にいろ」

 別人のように弱々しい声が、ユリシアの耳に落ちる。

「お前がいれば、私は凍えなくてすむんだ」
「……私は寒いよ」
「私が暖めてやる。お前がいれば世界は明るく色を持つんだ」
「……やだ。あんたなんかに暖められたくないっ。私は真っ暗になるっ」

 泣きそうな声で一方的な要求を突き付けるアルダードに、心はこれっぽっちも揺れ動かない。

 何より好きじゃない人に触れられることが、とても不快だ。

「どいてっ、やだっ」

 悲鳴に近い声をあげてユリシアは手を伸ばす。

 虚空を掴む手は、きっと無様に映るだろう。それでも、手を下ろすわけにはいかない。地面に指先が触れた瞬間、きっと何もかも諦めてしまいそうで。

「……助けて、お願い」

 愚かなことだとわかっている。でも、グレーゲルにどうか届いて。

 それは絶対に叶わぬ願いだと思っていた。けれどもーー
 
「待たせたな」

 金色の魔法陣が床に描かれたと同時に、他の誰とも間違えようがない低く美しい声が耳朶を刺す。

 ボルドー色の瞳に自分の姿を映してくれたその人は、伸ばした手を大きな手でしっかりと掴んでくれた。
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