上 下
26 / 40
第2章 前世の私の過ちと、今世の貴方のぬくもり

13

しおりを挟む
「──……うぅ……っ!」

 フェリシアは足を止めて、口元を両手で押さえる。でも、嗚咽は止まらない。

 あんなに張り切って、イクセルの仕事の手伝いなんてしなければ良かった。

(そうすれば私は、可哀想なままでいられたのに)

 ラルフにあれこれと指示を出しながら、フェリシアは前世の恋人だった俊也のことで頭がいっぱいだった。

 不器用だったのは入社してすぐの頃だけ。一年もすれば、見積もりも発注書も一人で全部できるようになり、逆に新入社員をさりげなくフォローできるくらい立派になっていた。

(そのことに気づいていたのに、私は一度だって俊也を認める発言をしなかった。ごめん……ごめんなさい!)

 怖かったのだ。俊也がデキる男だと認めてしまったら、何の取り柄のない自分はあっさり捨てられてしまうかもしれないから。

 だからどんなに俊也が優秀な業績をあげようとも、ダメ出しをしてしまっていた。

 そんなズルくて醜い自分に、俊也がプロポーズなんてしてくれるわけがない。

 それに俊也は頻繁に帰省するような人じゃなかった。付き合ってから4年もの間、ママを理由にデートを断られたことはなかったし、会社を休むこともなかった。

 たまに帰省した時は必ず電話をしてくれたし、「早くリコさんに会いたい」って淋しそうな猫のスタンプを入れたメッセージだって送ってくれた。

 過去の出来事は揺るがない証拠。俊也がマザコンなんてあるわけない。

 きっとそうでも言わなきゃ、井上莉子は結婚を諦めてくれないと思ったから、咄嗟に嘘をついたのだろう。

(だからって、ママはないでしょ……ママは)

 実は多額の借金を抱えているとか、他に好きな人ができたとか。嘘なんていくらでもあったのに。

 でも俊也は、どうしても引き受けられない注文を断った時には、取引先に「嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐け」と怒られていた。

(なら、俊也らしいと言えば、俊也らしい……か)

 フェリシアは、手のひらで頬に流れた涙を拭いながらクスリと笑う。しかしポタ、ポタ……と、髪や頬に水滴が落ちるのを感じて、空を見上げ顔をくしゃりと歪ませる。雨がとうとう降り出してしまった。

 ポタ……ポタ……と、地面に染みを作っていた大きな雨粒は、次第にザアザアと森の木々の葉を叩きつけるように降り出した。

 そんな中、全身に雨を受けてもフェリシアは立ち尽くしたまま、また涙を流す。

 気づきたくなかったけれど、気づかされてしまった真実と己の過ちから、俊也に謝りたいと切に願う。

 でも、かつての恋人にはもう二度と会えない。

 雷鳴が轟くどしゃぶりの雨の中、フェリシアは前世の自分の最後の姿を思い出す。

 看板の下敷きになった自分は直視できないくらい醜かっただろう。どうかその現場に、俊也が駆けつけていませんように。

 身勝手で大人げなかった自分のことなんて、一日も早く忘れて幸せになってほしい。でも、でも……。

「会いたいよぅ、シュン」

 あの時逃げ出さずにちゃんと向き合えていたら、違う未来があったのかもしれない。少なくとも、あんな後味の悪い終わり方ではなかったはず。

 よろよろと、おぼつかない足取りでフェリシアは再び歩き出す。

 ひたすら森の中をさまよい歩いて、どれくらい時間が過ぎただろうか。深く入り込んだ森の奥に大きな木を見つけ、その根元に腰を下ろした。

 座った拍子に髪が胸に流れてしまい、フェリシアは背中に払おうとして、ふと手を止める。

 たっぷりと水を含んだ手の中にあるそれは、黒色ではなくライムゴールド色。慣れ親しんだ、今世の髪の色。

(……何をやっているのでしょう……わたくしは)

 今の自分は四大家門が一人、フェリシア・セーデル。

 2年もの間、恋い慕っていた公爵家嫡男のお見合いの席で、彼の顔に泥を塗ってしまった罰として、期間限定で仮初の婚約者を演じている伯爵令嬢。

 父がいて、兄がいて、頼りになる侍女がいて。何の不自由もなく大切に育てられた、絵にかいたようは箱入り令嬢で、井上莉子という生を終えて、まったく違う人間に生まれ変わった。

 そうわかっていても、なぜだかこのままでは前世の記憶に飲み込まれそうになってしまう予感がして、フェリシアはぎゅっと自分を抱きしめる。

 もし飲み込まれてしまったら、自分は前世の井上莉子みたいに狡くて身勝手な人間になってしまうのだろうか。

 そんなことを考えれば考えるほど恐かった。フェリシアは、カタカタと震え始める。

 自分の意志とは無関係に歯がガチガチと音を立て、その音が更に不安を煽り、必死に震えを止めようと自分を抱く両腕に力を込めるが、震えはぜんぜん止まってくれない。

(怖い……誰か助けて!)

 自分の名を呼んで、飲み込まれそうになっている自分を引っ張りあげてほしい。

 人をさんざん傷つけておいて、そんな願いを持つなんておこがましいと呆れる自分がいる。でも、それでも──

「わたくしを……!」

 か細い声は雨音にかき消されてしまった。そう、思っていたけれど、

「シア!そこにいるのか!?」 
  
 灰色に染まった森の中で、一筋の光が差したような気がした。

 声の主は、ぬかるんだ地面をものともせずにこちらに駆けてくる。すっかり見慣れた警護隊の隊服は濡れぼそり、ダークブルーの髪は雨のせいで限りなく黒色になっている。

「イクセル様、どうして──」

 ここにいるんですか?そう問いかけようとしたけれど、あっと思った時にはもうイクセルに息もできないくらい強く抱きしめられていた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

処理中です...