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第2章 前世の私の過ちと、今世の貴方のぬくもり
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爽やかな日差しは次第に鋭さを増し、青々と茂った草木は地面に濃い影をつくる。
むせかえるような草の香りを風に乗せて、スセルの森は本格的な夏を迎えた。
「ごきげんよう!フェリシア様、ニドラ先生」
「ごきげんよう。ディオーナ様」
「ご挨拶いただき恐れ入ります。ところでディオーナ嬢、一昨日の出した課題の翻訳の進み具合はいかほどでしょうか?」
「すべて訳しましたが……2つほど自信がありませんの」
入道雲が浮かぶ空の下、夏の日差しのように眩しい笑顔で砦の正門で出迎えてくれたディオーナだが、ニドラが尋ねた途端、肩を落としてしまった。
「自信がないのが23問中、2つ。採点してみなければわかりませんが、ひと月前に比べたら素晴らしい進歩です」
「あ、ありがとうございます!」
ディオーナの落ち込んでいた顔がニドラの言葉で、すぐに輝きを取り戻す。
貴族は感情を出すのが恥だとされているが、クルクルと表情が変わるディオーナはとても魅力的だ。きっと彼女に想いを寄せる男子生徒は少なくないだろう。
(と、いうことですから、そろそろ本腰を入れたらいかがですか?エイリットさん)
ニドラがディオーナの専任講師となって早一カ月。一日おきに勉強会と称して、フェリシアとニドラ、そしてディオーナはスセルの砦に集まっている。
エイリットは夏季休暇の間はずっとスセルの砦に滞在するらしい。お邪魔虫がいるとはいえ、意中の女性とプライベートで会えるハッピータイムが続いているというのに、彼は相変わらず口下手で、ディオーナとの仲は一向に進展しない。
そのことにフェリシアは、ヤキモキする気持ちになる。しかし初対面でやらかしてしまった過去があるので、一歩引いた距離で二人を見守ることにしている。
「まぁ、騎士様たちはこんな暑い季節なのに、鎧をまとって稽古をなさっておられるのね」
正門から小会議室に向かう際には、訓練場の近くを通るのが道筋だ。当たり前になりつつある光景だが、今日は特に日差しが強いせいもあり、ディオーナが足を止めて気の毒そうに眉を下げる。
「そうね。あまり無茶をされなければよろしいのですが」
ディオーナの言葉に頷き、フェリシアも訓練場に目を向ける。
カンッ、カーン、と木刀を打ち合う光景は、王都にいる父と兄を思い出させる。
「二人とも、お元気でしょうか」
父と兄には手紙をまめに書いているし、返事も必ず届く。しかし、ひと月以上家族と離れていれば、騒がしい二人を恋しいと思ってしまう。
「恐れながら、あのお二方が元気でない姿を想像することの方が、わたくしには難しゅうございます」
「ふふっ、確かにそうね」
言葉を選ばないニドラの気遣いに、フェリシアはクスクスと笑う。
「ま、あまり家族の話をしていると、本当に父か兄がここにやって来てしまいそうだから、この話はこれで終わりにしましょう」
パンと手を叩いて気持ちを切り替えたフェリシアは、ディオーナに「昼食はどこでいただきましょうか?」と話題を振りながら砦の中へと急いだ。
すぐ近くで兄が独房に閉じ込められていることを、知らないまま──。
「それではまた後で。ディオーナ様、エイリットさん、お勉強がんばってくださいね。ニドラ、二人のこと、よろしくね」
小会議室の前で三人に別れを告げたフェリシアは、イクセルの執務室に足を向ける。
今のフェリシアは、大陸語の授業は欠席をして仮初の婚約者──イクセルと共に過ごしている。彼がそう望んでいるからだ。
正直、イクセルと二人っきりで過ごすことに、未だ不安というか、恐れというか、気まずさはある。
しかし初期の頃のように膝に座れとか、口づけしろ、とか難題を吹っ掛けられることはなくなったので、これもセーデル家の家門を守るためだと思えば割り切れる。
ただ一つ、どうにも我慢ができない点があるけれど……。
「入りますわよ、イクセル様」
おざなりにノックをして、許可を得ぬまま執務室の扉を開ける。今日も今日とて、彼の執務室は書類が山積みだ。
「やぁ、よく来たね。座るところだけは確保してあるから、どうぞ」
執務机に積み上げられた書類の隙間から顔を出したイクセルに、フェリシアは微笑むことを返事として、一人掛けのソファに着席する。
「一昨日来た時から、書類の量が減っておりませんね」
フェリシアが見たままを口にすれば、書類を片手にイクセルが苦笑した。
「そうなんだ。片づけた分だけ新しい書類がやってくる。しかもその半分以上が、どうでもいいものと、差し替えるだけのもの。それを選り分けるだけでも、時間を取られてしまうよ、まったく」
やれやれとため息を吐くイクセルだが、書類を捌く手は止まらない。
「よろしければ、選り分けだけでもお手伝いしましょうか?」
「それは、よろしくないな。婚約者に仕事の手伝いなどさせるなんて、とんでもない」
「毎度毎度、部屋に呼びつけるくせに、わたくしを一日中放置するほうがよろしくないのでは?」
「おっ、言ってくれるな」
嫌味を吐いても、イクセルは嬉しそうに笑うだけ。軽口を叩いているほうが、気がまぎれるのだろう。
対してフェリシアは、ぜんぜん嬉しくない。前世の記憶が戻ったせいで、未処理の書類の山を見ると、片づけたくてムズムズしてしまうのだ。
むせかえるような草の香りを風に乗せて、スセルの森は本格的な夏を迎えた。
「ごきげんよう!フェリシア様、ニドラ先生」
「ごきげんよう。ディオーナ様」
「ご挨拶いただき恐れ入ります。ところでディオーナ嬢、一昨日の出した課題の翻訳の進み具合はいかほどでしょうか?」
「すべて訳しましたが……2つほど自信がありませんの」
入道雲が浮かぶ空の下、夏の日差しのように眩しい笑顔で砦の正門で出迎えてくれたディオーナだが、ニドラが尋ねた途端、肩を落としてしまった。
「自信がないのが23問中、2つ。採点してみなければわかりませんが、ひと月前に比べたら素晴らしい進歩です」
「あ、ありがとうございます!」
ディオーナの落ち込んでいた顔がニドラの言葉で、すぐに輝きを取り戻す。
貴族は感情を出すのが恥だとされているが、クルクルと表情が変わるディオーナはとても魅力的だ。きっと彼女に想いを寄せる男子生徒は少なくないだろう。
(と、いうことですから、そろそろ本腰を入れたらいかがですか?エイリットさん)
ニドラがディオーナの専任講師となって早一カ月。一日おきに勉強会と称して、フェリシアとニドラ、そしてディオーナはスセルの砦に集まっている。
エイリットは夏季休暇の間はずっとスセルの砦に滞在するらしい。お邪魔虫がいるとはいえ、意中の女性とプライベートで会えるハッピータイムが続いているというのに、彼は相変わらず口下手で、ディオーナとの仲は一向に進展しない。
そのことにフェリシアは、ヤキモキする気持ちになる。しかし初対面でやらかしてしまった過去があるので、一歩引いた距離で二人を見守ることにしている。
「まぁ、騎士様たちはこんな暑い季節なのに、鎧をまとって稽古をなさっておられるのね」
正門から小会議室に向かう際には、訓練場の近くを通るのが道筋だ。当たり前になりつつある光景だが、今日は特に日差しが強いせいもあり、ディオーナが足を止めて気の毒そうに眉を下げる。
「そうね。あまり無茶をされなければよろしいのですが」
ディオーナの言葉に頷き、フェリシアも訓練場に目を向ける。
カンッ、カーン、と木刀を打ち合う光景は、王都にいる父と兄を思い出させる。
「二人とも、お元気でしょうか」
父と兄には手紙をまめに書いているし、返事も必ず届く。しかし、ひと月以上家族と離れていれば、騒がしい二人を恋しいと思ってしまう。
「恐れながら、あのお二方が元気でない姿を想像することの方が、わたくしには難しゅうございます」
「ふふっ、確かにそうね」
言葉を選ばないニドラの気遣いに、フェリシアはクスクスと笑う。
「ま、あまり家族の話をしていると、本当に父か兄がここにやって来てしまいそうだから、この話はこれで終わりにしましょう」
パンと手を叩いて気持ちを切り替えたフェリシアは、ディオーナに「昼食はどこでいただきましょうか?」と話題を振りながら砦の中へと急いだ。
すぐ近くで兄が独房に閉じ込められていることを、知らないまま──。
「それではまた後で。ディオーナ様、エイリットさん、お勉強がんばってくださいね。ニドラ、二人のこと、よろしくね」
小会議室の前で三人に別れを告げたフェリシアは、イクセルの執務室に足を向ける。
今のフェリシアは、大陸語の授業は欠席をして仮初の婚約者──イクセルと共に過ごしている。彼がそう望んでいるからだ。
正直、イクセルと二人っきりで過ごすことに、未だ不安というか、恐れというか、気まずさはある。
しかし初期の頃のように膝に座れとか、口づけしろ、とか難題を吹っ掛けられることはなくなったので、これもセーデル家の家門を守るためだと思えば割り切れる。
ただ一つ、どうにも我慢ができない点があるけれど……。
「入りますわよ、イクセル様」
おざなりにノックをして、許可を得ぬまま執務室の扉を開ける。今日も今日とて、彼の執務室は書類が山積みだ。
「やぁ、よく来たね。座るところだけは確保してあるから、どうぞ」
執務机に積み上げられた書類の隙間から顔を出したイクセルに、フェリシアは微笑むことを返事として、一人掛けのソファに着席する。
「一昨日来た時から、書類の量が減っておりませんね」
フェリシアが見たままを口にすれば、書類を片手にイクセルが苦笑した。
「そうなんだ。片づけた分だけ新しい書類がやってくる。しかもその半分以上が、どうでもいいものと、差し替えるだけのもの。それを選り分けるだけでも、時間を取られてしまうよ、まったく」
やれやれとため息を吐くイクセルだが、書類を捌く手は止まらない。
「よろしければ、選り分けだけでもお手伝いしましょうか?」
「それは、よろしくないな。婚約者に仕事の手伝いなどさせるなんて、とんでもない」
「毎度毎度、部屋に呼びつけるくせに、わたくしを一日中放置するほうがよろしくないのでは?」
「おっ、言ってくれるな」
嫌味を吐いても、イクセルは嬉しそうに笑うだけ。軽口を叩いているほうが、気がまぎれるのだろう。
対してフェリシアは、ぜんぜん嬉しくない。前世の記憶が戻ったせいで、未処理の書類の山を見ると、片づけたくてムズムズしてしまうのだ。
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