12 / 41
☆閑話☆ ならば外堀を埋めてやる
1
しおりを挟む
夏の夕方は、まだ昼間のように明るい。
フェリシアが住まう別荘を出たイクセルは、馬に跨りスセルの砦へと駆ける。
風は涼しく、青々と茂った木々が流れるように視界から消えていく。
「……ひとまずは、よしとするか」
手綱を器用に操りながら自分に言い聞かせるように呟くイクセルの声音は、馬の蹄の音にかき消された。
フェリシアが住む別荘と、スセルの砦は馬車で四半刻の距離にある。馬だけで移動するならその半分の時間で到着する。
巡回という体で別荘に立ち寄ったイクセルの移動手段は、馬車ではなく警護隊の馬だ。よく訓練されたこの馬は、乱暴なイクセルの手綱捌きでも従順で、あっという間に目的地に到着した。
スセルの砦は、他の砦に比べて小規模であるが造りは頑丈である。過去、幾度か蛮族から襲撃を受けたけれど一度も落とされたことはない。
「おかえりなさいませ、隊長!」
馬を降りたと同時に、イクセルの直属部下が駆け寄る。赤髪の大柄な青年は、警護隊の制服を着ていなければ、逆に取り締まりを受けてしまうような強面だ。
「ああ、今戻った。馬を頼む」
「はっ!お任せください!」
無駄に声量のある返事に、赤髪青年ことラルフから脳筋臭が漂う。
しかしイクセルにとったらいつものこと。表情を変えることなく手綱を渡し、砦内の自室に足を向け……ようとしたけれど、ラルフを呼び止めた。
「密命はどうなった?」
「完璧っす!!ホシは、もうすぐイエル達が連行してきます!」
密命の意味がわかっているのかと訊きたくなる報告にイクセルは若干顔をしかめるが、咎めることはせず早足で自室へと急いだ。
裏口から入ったイクセルは、階段を上り、幾つかの角を曲がる。そして馴染みの金の紋章が刻まれた扉を開け部屋に入る。
入った途端、学生服姿の青年がソファで寛いでいるのを目にして額に手を当てた。
「なんだエイリット、来ていたのか」
「はい。昨日からアカデミーが夏休みに入りましたので」
勝手に部屋に入ったことを詫びもしない弟に、イクセルは溜息を吐く。
「屋敷に戻れ。ここは子供の遊び場じゃない」
「わかっています。遊ぶためではなく級友のディオーナ嬢の別荘が近くなので、これを機に距離を縮めようと思い滞在しているだけです」
「こら。砦は学生の逢引き場所じゃないぞ」
「お見合いのやり直しをする場所でもないですよ、兄様」
「……お前なぁ」
ああ言えばこう言う。悪辣な言葉を吐いてイクセルをやり込めたエイリットはふわふわの栗色の髪をかきあげた。少年のつぶらな薄紫色の瞳には、兄への敬意も畏怖もない。
エイリットは兄のイクセルとは容姿は似ていないが、言葉巧みに相手を言い負かすところは妙に似ている。そして意中の女性を手に入れるためなら、躊躇なく利用できるものはとことん利用するところも。
そんな共通点があるおかげで、泥沼の家庭環境でありながらイクセルとエイリットの仲は悪くない。イクセルが弟を無碍にできないでいるともいう。
「もういい、わかった。砦の一室を貸してやる。だがお前は未成年なんだから一線を超えるような真似だけはするな」
「……兄様からそんなまともな忠告を受ける日が来るとは夢にも思いませんでした」
しみじみと呟くエイリットに悪気はない。
これまでイクセルから受けた忠告といえば「舐められたら100倍にして返せ」「喧嘩を売られても感傷的にならずに、見えないところで始末しろ」「媚びを売る人間には隙を見せるな」等々……おおよそ健全な青少年に向けてのものとは思えないものばかりだった。
「私は状況に応じて一番適切な助言をしてきただけだ」
「……警護隊の隊長という立場を忘れてですか?」
「いや。お前が考えつく程度の悪事なら俺の力でもみ消すことができるという確固たる自信の元にだ。つまり忘れてない」
「まだ忘れているほうがマシでしたね」
遠い目をするエイリットは、自分に良く似て可愛げがない。
憎らしいとは思いつつも、半分だけの血のつながりに免じて聞き流そうと決めたその時、部屋にノックの音が響いた。
入室の許可を出せば、部下であるイエルがひょっこり顔を覗かせた。
「隊長、ホシを確保してきましたが部屋に入れてもいいですか?それとも地下牢にしましょうか?」
食事をどうするかというノリで訊いてきたイエルもまた、ラルフと同じ脳筋の一人だ。唯一違うのは、髪の毛の色が黒である。
「ここでいい。入れなさい──エイリット、悪いが客人が来た。部屋は後で用意するから、図書室で課題でもやっていなさい」
「あ、はい。わかりました」
この流れで客人とは誰なのだろう?と、エイリットは首をかしげながら部屋を出る。しかし部屋をすれ違う瞬間、イエルが抱えている荷物を見てギョッとした。
「あ、あ、兄様!これ、いいんですか!?」
「いいんです」
「でも! 客人って──」
「エイリット、今見たことは全て忘れて図書室で課題をしてなさい」
イクセルの尋常じゃない目力に圧倒されたエイリットはギュッと目を閉じると全速力で図書室へと駆け出した。
次第に小さくなっていくエイリットの足音を聞きながら、イクセルはイエルによって床に転がされた客人に目を向ける。
「ようこそお越しいただきました。フレードリク殿。少々動きずらい恰好ではありますが、何卒ご容赦を」
そう言ってイクセルは、ロープでがんじがらめにされたフェリシアの兄に向け、優美な礼を執った。
フェリシアが住まう別荘を出たイクセルは、馬に跨りスセルの砦へと駆ける。
風は涼しく、青々と茂った木々が流れるように視界から消えていく。
「……ひとまずは、よしとするか」
手綱を器用に操りながら自分に言い聞かせるように呟くイクセルの声音は、馬の蹄の音にかき消された。
フェリシアが住む別荘と、スセルの砦は馬車で四半刻の距離にある。馬だけで移動するならその半分の時間で到着する。
巡回という体で別荘に立ち寄ったイクセルの移動手段は、馬車ではなく警護隊の馬だ。よく訓練されたこの馬は、乱暴なイクセルの手綱捌きでも従順で、あっという間に目的地に到着した。
スセルの砦は、他の砦に比べて小規模であるが造りは頑丈である。過去、幾度か蛮族から襲撃を受けたけれど一度も落とされたことはない。
「おかえりなさいませ、隊長!」
馬を降りたと同時に、イクセルの直属部下が駆け寄る。赤髪の大柄な青年は、警護隊の制服を着ていなければ、逆に取り締まりを受けてしまうような強面だ。
「ああ、今戻った。馬を頼む」
「はっ!お任せください!」
無駄に声量のある返事に、赤髪青年ことラルフから脳筋臭が漂う。
しかしイクセルにとったらいつものこと。表情を変えることなく手綱を渡し、砦内の自室に足を向け……ようとしたけれど、ラルフを呼び止めた。
「密命はどうなった?」
「完璧っす!!ホシは、もうすぐイエル達が連行してきます!」
密命の意味がわかっているのかと訊きたくなる報告にイクセルは若干顔をしかめるが、咎めることはせず早足で自室へと急いだ。
裏口から入ったイクセルは、階段を上り、幾つかの角を曲がる。そして馴染みの金の紋章が刻まれた扉を開け部屋に入る。
入った途端、学生服姿の青年がソファで寛いでいるのを目にして額に手を当てた。
「なんだエイリット、来ていたのか」
「はい。昨日からアカデミーが夏休みに入りましたので」
勝手に部屋に入ったことを詫びもしない弟に、イクセルは溜息を吐く。
「屋敷に戻れ。ここは子供の遊び場じゃない」
「わかっています。遊ぶためではなく級友のディオーナ嬢の別荘が近くなので、これを機に距離を縮めようと思い滞在しているだけです」
「こら。砦は学生の逢引き場所じゃないぞ」
「お見合いのやり直しをする場所でもないですよ、兄様」
「……お前なぁ」
ああ言えばこう言う。悪辣な言葉を吐いてイクセルをやり込めたエイリットはふわふわの栗色の髪をかきあげた。少年のつぶらな薄紫色の瞳には、兄への敬意も畏怖もない。
エイリットは兄のイクセルとは容姿は似ていないが、言葉巧みに相手を言い負かすところは妙に似ている。そして意中の女性を手に入れるためなら、躊躇なく利用できるものはとことん利用するところも。
そんな共通点があるおかげで、泥沼の家庭環境でありながらイクセルとエイリットの仲は悪くない。イクセルが弟を無碍にできないでいるともいう。
「もういい、わかった。砦の一室を貸してやる。だがお前は未成年なんだから一線を超えるような真似だけはするな」
「……兄様からそんなまともな忠告を受ける日が来るとは夢にも思いませんでした」
しみじみと呟くエイリットに悪気はない。
これまでイクセルから受けた忠告といえば「舐められたら100倍にして返せ」「喧嘩を売られても感傷的にならずに、見えないところで始末しろ」「媚びを売る人間には隙を見せるな」等々……おおよそ健全な青少年に向けてのものとは思えないものばかりだった。
「私は状況に応じて一番適切な助言をしてきただけだ」
「……警護隊の隊長という立場を忘れてですか?」
「いや。お前が考えつく程度の悪事なら俺の力でもみ消すことができるという確固たる自信の元にだ。つまり忘れてない」
「まだ忘れているほうがマシでしたね」
遠い目をするエイリットは、自分に良く似て可愛げがない。
憎らしいとは思いつつも、半分だけの血のつながりに免じて聞き流そうと決めたその時、部屋にノックの音が響いた。
入室の許可を出せば、部下であるイエルがひょっこり顔を覗かせた。
「隊長、ホシを確保してきましたが部屋に入れてもいいですか?それとも地下牢にしましょうか?」
食事をどうするかというノリで訊いてきたイエルもまた、ラルフと同じ脳筋の一人だ。唯一違うのは、髪の毛の色が黒である。
「ここでいい。入れなさい──エイリット、悪いが客人が来た。部屋は後で用意するから、図書室で課題でもやっていなさい」
「あ、はい。わかりました」
この流れで客人とは誰なのだろう?と、エイリットは首をかしげながら部屋を出る。しかし部屋をすれ違う瞬間、イエルが抱えている荷物を見てギョッとした。
「あ、あ、兄様!これ、いいんですか!?」
「いいんです」
「でも! 客人って──」
「エイリット、今見たことは全て忘れて図書室で課題をしてなさい」
イクセルの尋常じゃない目力に圧倒されたエイリットはギュッと目を閉じると全速力で図書室へと駆け出した。
次第に小さくなっていくエイリットの足音を聞きながら、イクセルはイエルによって床に転がされた客人に目を向ける。
「ようこそお越しいただきました。フレードリク殿。少々動きずらい恰好ではありますが、何卒ご容赦を」
そう言ってイクセルは、ロープでがんじがらめにされたフェリシアの兄に向け、優美な礼を執った。
114
お気に入りに追加
1,118
あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。

前世の記憶が蘇ったので、身を引いてのんびり過ごすことにします
柚木ゆず
恋愛
※明日(3月6日)より、もうひとつのエピローグと番外編の投稿を始めさせていただきます。
我が儘で強引で性格が非常に悪い、筆頭侯爵家の嫡男アルノー。そんな彼を伯爵令嬢エレーヌは『ブレずに力強く引っ張ってくださる自信に満ちた方』と狂信的に愛し、アルノーが自ら選んだ5人の婚約者候補の1人として、アルノーに選んでもらえるよう3年間必死に自分を磨き続けていました。
けれどある日無理がたたり、倒れて後頭部を打ったことで前世の記憶が覚醒。それによって冷静に物事を見られるようになり、ようやくアルノーは滅茶苦茶な人間だと気付いたのでした。
「オレの婚約者候補になれと言ってきて、それを光栄に思えだとか……。倒れたのに心配をしてくださらないどころか、異常が残っていたら候補者から脱落させると言い出すとか……。そんな方に夢中になっていただなんて、私はなんて愚かなのかしら」
そのためエレーヌは即座に、候補者を辞退。その出来事が切っ掛けとなって、エレーヌの人生は明るいものへと変化してゆくことになるのでした。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる