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向き合わなければならない【秋】
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涙でぼやけた不明瞭な視界の中、マリアンヌはエリーゼに手を引かれながら歩いている。
そして背後にはナイフを手にしたレイドリックがいる。万が一マリアンヌが逃亡しても、それを阻止するために。
ただレイドリックのナイフを持つ手は震えていた。その顔は青白く、どうかこちらを振り向かないでくれと必死に願い続けている。
それは歪んだ形であれ、友と呼んでいた存在を傷つけたくないから......ではなく、今日という日をつつがなく終えたい一心で。
そう。今日、これから向かう先でマリアンヌがただ黙って是と頷いてくれれば、自分もエリーゼも、これ以上苦しまなくて済むのだ。全てが丸く収まるのだ。
ただマリアンヌにとって丸く収まるとは言い難い事態にはなるけれど。でも仕方がない。底なし沼にはまってしまった自分達が抜け出すためにはもうこの方法しかないのだ。
そんなふうに思う彼は、とても弱い人間だった。
一方マリアンヌの思考はぼんやりとしたままだった。
すえた臭いだけが鮮明で、それ以外───瓦礫の塊が続く風景も、貧民街の住人達の不躾な視線もどこか遠くに感じてしまっている。
もちろん、背後にレイドリックが凶器を手にしていることなど、まったく気づいていない。
そして手を引かれるまま向かった先は、貧民街の住人でさえめったに足を踏み入れることがない危険な場所だった。
「到着よ。マリー」
エリーゼはとある大きな建物に到着すると、マリアンヌの手を繋いだまま扉を開けた。
ギィッと音を立てて扉が開くのと同時に、すえた臭いとはまた違う独特の香りが鼻をつく。
「ねぇエリー......ここは」
「早く中に入って。見られると困るのよ」
急に厳しい口調になったエリーゼに、マリアンヌはビクリと身体を強張らせた。
けれど、エリーゼに強く手を引かれ、マリアンヌは引っ張られるようにして建物の中に足を踏み入れてしまった。
視界に広がるそこは、とても不思議な場所だった。
外観は今にも崩壊してしまいそうな倉庫のような建物だったのに、中はとても清潔で塵一つ落ちていない。
そして奥は、サンルームのようにガラス張りの空間が広がっていた。
「......温室?」
マリアンヌが見たままを口に出せば、エリーゼはあっさり「そうよ」と頷く。ただ、なぜこんなところに温室があり、そこで不可解な植物を栽培している理由がわからなかった。
夕日が差し込む温室には、真っ黒な花が咲いていた。
不気味という言葉がこれほど似合うのかと思うほど、それは毒々しかった。
その中には、すでに花が散り、実をつけているものもある。卵のような大きさで、色は限りなく黒に近い紫色。お世辞にも美味しそうとは思えない。
「......こ、これは?」
マリアンヌはおずおずとエリーゼに問うた。
独特の香りは、どうやら温室からのようで、一歩そこに近づくたびに匂いが強くなる。
「薬よ。幸せになれるお薬。ま、麻薬って呼ばれてもいるけどね」
「え?」
間の抜けた声を出すマリアンヌに、エリーゼはイラつくこともせず、更に詳しく説明をした。
「あのね、私とレイはここで麻薬を栽培しているの。私の両親が、ヤバいところからお金を借りてしまっせいでね。ったく……ちょっとは節約すればいいのに、二人とも見栄っ張りだから見てくれだけでも良くしたいらしくてね」
呆れたように肩をすくめるエリーゼは、茶目っ気すら感じられる。だがその内容は、決して軽いものでは無い。
「お金を貸してくれた人は最初はとっても優しかったの。両親も”こんな良い人に巡り合えて幸せだ”なんて言って、感謝までしちゃってたわ。でも、それは本当に最初だけだった。すぐに本性を現したのよ。ひと月も経たないうちに膨大な金利を乗せて、すぐに返済しろって迫ってきたわ。……そんなお金、あるわけないじゃない。そもそもそんな大金持っていたらわざわざ借りたりなんかしないわよ」
そこで一旦言葉を止めたエリーゼは、レイドリックに向かって手を差し伸べた。
すぐに彼はエリーゼと並び、互いの腕はごく自然に絡められる。
けれどマリアンヌはそれを見てはいない。視線は、もっと先にある禍々しい植物に釘付けになっていた。
それから数拍置いて、エリーゼは再び語り出す。
「お金を貸してくれた人は、最初は私を娼館に売ることを提案したの。両親も仕方がないと同意しかけていた。私は……どうにでもなれって思っていたわ。でもね、レイが止めてくれたの。そんなのは間違っているって。それからレイが私の家の借金を肩代わりしてくれるようになったのよ」
「え?……レイが?」
「ええ、そうよ。……ああ、でも、あなたもちょっとは手伝ってくれたわね。どうもありがとう。ま、あんな少ない金額じゃ数回分の返済で終わっちゃったけどね。そんなわけで、レイもずっと頑張ってくれたけれど、もう限界。私の家も、もう売れるものは全部売ったから、お金なんて叩いたって出てこないわ。……っていうか、そもそもマリーが婚約破棄をしたいだなんて言ったから、八方ふさがりになったのよ。わかってる?大人しくレイと結婚してくれたなら、借金は全部あなたの家に押し付けるつもりでいたのに」
責める視線の中にも馬鹿にした色を混ぜてクスっと笑うエリーゼを目にして、どうして彼女はレイドリックと自分を結婚させたがっていたのか合点がいった。
そして先ほど、過去の辛い出来事を語った後、自分をこの場所に連れてきたということは───
「お金を返す代わりに、あれを育てるように言われたの?」
マリアンヌは思い切って二人に聞いてみた。
間髪入れずにエリーゼとレイドリックは同時に是と頷いた。そしてこう言った。
「マリー、君も協力してくれるよね」と。
そして背後にはナイフを手にしたレイドリックがいる。万が一マリアンヌが逃亡しても、それを阻止するために。
ただレイドリックのナイフを持つ手は震えていた。その顔は青白く、どうかこちらを振り向かないでくれと必死に願い続けている。
それは歪んだ形であれ、友と呼んでいた存在を傷つけたくないから......ではなく、今日という日をつつがなく終えたい一心で。
そう。今日、これから向かう先でマリアンヌがただ黙って是と頷いてくれれば、自分もエリーゼも、これ以上苦しまなくて済むのだ。全てが丸く収まるのだ。
ただマリアンヌにとって丸く収まるとは言い難い事態にはなるけれど。でも仕方がない。底なし沼にはまってしまった自分達が抜け出すためにはもうこの方法しかないのだ。
そんなふうに思う彼は、とても弱い人間だった。
一方マリアンヌの思考はぼんやりとしたままだった。
すえた臭いだけが鮮明で、それ以外───瓦礫の塊が続く風景も、貧民街の住人達の不躾な視線もどこか遠くに感じてしまっている。
もちろん、背後にレイドリックが凶器を手にしていることなど、まったく気づいていない。
そして手を引かれるまま向かった先は、貧民街の住人でさえめったに足を踏み入れることがない危険な場所だった。
「到着よ。マリー」
エリーゼはとある大きな建物に到着すると、マリアンヌの手を繋いだまま扉を開けた。
ギィッと音を立てて扉が開くのと同時に、すえた臭いとはまた違う独特の香りが鼻をつく。
「ねぇエリー......ここは」
「早く中に入って。見られると困るのよ」
急に厳しい口調になったエリーゼに、マリアンヌはビクリと身体を強張らせた。
けれど、エリーゼに強く手を引かれ、マリアンヌは引っ張られるようにして建物の中に足を踏み入れてしまった。
視界に広がるそこは、とても不思議な場所だった。
外観は今にも崩壊してしまいそうな倉庫のような建物だったのに、中はとても清潔で塵一つ落ちていない。
そして奥は、サンルームのようにガラス張りの空間が広がっていた。
「......温室?」
マリアンヌが見たままを口に出せば、エリーゼはあっさり「そうよ」と頷く。ただ、なぜこんなところに温室があり、そこで不可解な植物を栽培している理由がわからなかった。
夕日が差し込む温室には、真っ黒な花が咲いていた。
不気味という言葉がこれほど似合うのかと思うほど、それは毒々しかった。
その中には、すでに花が散り、実をつけているものもある。卵のような大きさで、色は限りなく黒に近い紫色。お世辞にも美味しそうとは思えない。
「......こ、これは?」
マリアンヌはおずおずとエリーゼに問うた。
独特の香りは、どうやら温室からのようで、一歩そこに近づくたびに匂いが強くなる。
「薬よ。幸せになれるお薬。ま、麻薬って呼ばれてもいるけどね」
「え?」
間の抜けた声を出すマリアンヌに、エリーゼはイラつくこともせず、更に詳しく説明をした。
「あのね、私とレイはここで麻薬を栽培しているの。私の両親が、ヤバいところからお金を借りてしまっせいでね。ったく……ちょっとは節約すればいいのに、二人とも見栄っ張りだから見てくれだけでも良くしたいらしくてね」
呆れたように肩をすくめるエリーゼは、茶目っ気すら感じられる。だがその内容は、決して軽いものでは無い。
「お金を貸してくれた人は最初はとっても優しかったの。両親も”こんな良い人に巡り合えて幸せだ”なんて言って、感謝までしちゃってたわ。でも、それは本当に最初だけだった。すぐに本性を現したのよ。ひと月も経たないうちに膨大な金利を乗せて、すぐに返済しろって迫ってきたわ。……そんなお金、あるわけないじゃない。そもそもそんな大金持っていたらわざわざ借りたりなんかしないわよ」
そこで一旦言葉を止めたエリーゼは、レイドリックに向かって手を差し伸べた。
すぐに彼はエリーゼと並び、互いの腕はごく自然に絡められる。
けれどマリアンヌはそれを見てはいない。視線は、もっと先にある禍々しい植物に釘付けになっていた。
それから数拍置いて、エリーゼは再び語り出す。
「お金を貸してくれた人は、最初は私を娼館に売ることを提案したの。両親も仕方がないと同意しかけていた。私は……どうにでもなれって思っていたわ。でもね、レイが止めてくれたの。そんなのは間違っているって。それからレイが私の家の借金を肩代わりしてくれるようになったのよ」
「え?……レイが?」
「ええ、そうよ。……ああ、でも、あなたもちょっとは手伝ってくれたわね。どうもありがとう。ま、あんな少ない金額じゃ数回分の返済で終わっちゃったけどね。そんなわけで、レイもずっと頑張ってくれたけれど、もう限界。私の家も、もう売れるものは全部売ったから、お金なんて叩いたって出てこないわ。……っていうか、そもそもマリーが婚約破棄をしたいだなんて言ったから、八方ふさがりになったのよ。わかってる?大人しくレイと結婚してくれたなら、借金は全部あなたの家に押し付けるつもりでいたのに」
責める視線の中にも馬鹿にした色を混ぜてクスっと笑うエリーゼを目にして、どうして彼女はレイドリックと自分を結婚させたがっていたのか合点がいった。
そして先ほど、過去の辛い出来事を語った後、自分をこの場所に連れてきたということは───
「お金を返す代わりに、あれを育てるように言われたの?」
マリアンヌは思い切って二人に聞いてみた。
間髪入れずにエリーゼとレイドリックは同時に是と頷いた。そしてこう言った。
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