親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士から愛を押し付けられる

当麻月菜

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気付かないフリをしたままでいたい【夏】後編

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 愛猫に見捨てられてしまえば、余計にクリスの視線を意識してしまう。

「み、見ないでください」

 キュッと目を瞑って顔を背ける。物理的に、クリスから視線を逸らしても、彼からの視線は痛いほど感じてしまう。

「これは......その......」

 マリアンヌは目を瞑ったまま考える。

 意識した途端、みっともない姿でいる自分がひどく恥ずかしい。頬が熱くなる。

「なんですか?お答えください、マリアンヌさま」

 なぜこの人は、ここで自分を追い込むようなことを言うのだろうか。

 そうだ、忘れていた。彼は性格があまり良くなかった。

 その事実が、マリアンヌにほんの少しの冷静さを取り戻す。そしてどうにかこうにか言い訳を思い付く。 

「ちょっと羽目を外したかっただけなんです」
「ああ、なるほど。お屋敷でしたら、こんなことはできませんからね」

 自分でもどうかと思うことを口にしたけれど、クリスはあっさりと納得してくれた。

 けれどすぐ彼は、『ですが』と言って大仰に溜息を吐く。

「生ぬるいですね」
「は?」

 てっきり兄に代わって小言を押し付けてくると思い身構えたマリアンヌだったけれど、予期せぬ言葉に困惑を隠せない。

 そして彼の言っている意味がわからなかった。

 我知らずマリアンヌは、探るような視線をクリスに向けてしまう。それを受けたクリスは、おもむろに立ち上がった。

 次いでマリアンヌに手を差し出した。けれどマリアンヌはその手を借りることなく立ち上がる。

 向き合ったクリスは、少し寂しそうな顔をしていた。でも、中途半端に浮いてしまった手袋に包まれている手は、彷徨うことなく別の方に向く。

「では着替えてきてください、マリアンヌ様。汚れても良い格好に」

 そう言ってクリスは屋敷の方向に手を指示した。そして、蠱惑的な笑みを浮かべて、形の良い唇を動かした。

「本気の羽目の外しかたを教えて差し上げます」

 マリアンヌは今度は間の抜けた声を出すことはしなかった。

 困惑することもなかった。詳しく教えろと詰め寄ることもしなかった。

 ─── ただ素直に「はい」と頷いた。
 
 
 
 







 マリアンヌは慌てて湯を浴びて、身支度を整える。

 別荘に持ってきているドレスなどたかが知れているが、それでも動きやすく簡素なものを選んで。

 髪は乾かす時間が惜しいので、リボンで軽く結って片側の胸に流す。そして、今度はきっちり歩きやすいローヒールの靴に履き替えて、自室を飛び出した。

 スカートの裾を持ち上げて廊下を走る。そしてメイドが驚くほどの勢いで、玄関ホールに走り込んだマリアンヌは、そのままの勢いで外に出る。

 激突することなく扉を開けてくれたメイドに、短く礼を言ったら、「お気を付けて」と柔らかい笑みと言葉が返ってきた。

 それを背中に受けながら、マリアンヌは馬車置き場へと足を向けた。

 


「お、お待たせしました」

 マリアンヌが声を掛けた時、クリスは丁度ジルからバスケットを受け取っているところだった。

 バスケットはとても大きくて、少し離れた場所からでも、その中身がちらりと見える。

 中には果実やジュースが入っている瓶。それから、ギンガムチェックのピクニッククロスなどがぎっしりと詰まっていた。 

「どうぞ楽しんできてくださいませ」

 ジルはマリアンヌの姿を認めると、足早に近づき丁寧に腰を折った。そして小さな声で「お兄様には内緒にしておきます」と耳打ちする。自分から共犯を買って出てくれたようだ。

 その言葉にマリアンヌは、どう答えて良いのかわからない。
 出かける相手がクリスだからだ。なので曖昧に頷く。ただ、昨晩からの態度を謝ることは忘れない。

 そうすれば、ジルはふわりと笑いながら、マリアンヌの背を押した。早くクリスの元へ行けということだろうか。

 足取りは重くはないけれど、なんとなくお膳立てされいるようで、居心地が悪い。

 ただ、クリスの傍にあるのは馬車ではない。1頭の馬だけ。しかも既に鞍が付けてある。これに乗るということなのだろうか。

 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。目が合ったクリスは「そうだ」と言いたげに頷いた。

 そして、クリスの元に来たマリアンヌが何か言う前に、彼は脇に手を入れて持ち上げる。非難の声を上げた時には既に自分は騎乗していた。

「では、行きましょうか」

 マリアンヌが降ろせと騒がないことを確認したクリスは、ハーネスを手に取った。

「えっと、......どこに?」

 なし崩しに騎乗してしまったものの、向かう先はどこかわからない。

 せめて向かう先だけでも教えて欲しい。なのに───

「羽目を外しに」

 クリスはそう言っただけだった。

 それは答えになっているようで、全然、答えになっていなかった。
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