親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士から愛を押し付けられる

当麻月菜

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気付かないフリをしたままでいたい【夏】前編

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 しんみりとした空気は、ノックの音とノノの鳴き声で打ち消された。

 ジルは慌てて立ち上がり、扉へと向かう。開けた扉の先には、メイドが困惑した様子で立っていた。

「お嬢様、失礼いたします。エリーゼさまがお見えになっております」
「エリーが?」

 マリアンヌは、驚きのあまり聞き返してしまう。すぐにメイドは是と返事をする。

 珍しいこともあるものだ。
 これまでエリーゼは連絡なしに訪問することなんて無かったというのに。

 マリアンヌは戸惑いを隠せない。無意識に胸に手を当てる。ざわつき始めた心を落ち着かすために。

「……どういたしましょう、お嬢様」

 不安げにこちらを窺うジルとメイドの視線を受け、マリアンヌは何とか口を開く。

「もちろん会うわ」

 すぐにソファから立ち上がり、一瞬だけ鏡台に目を向ける。

 笑ってしまう程、怯えた表情の自分がいた。




 

「いらっしゃい、エリー」
「急にごめんなさい。すぐに帰るから」

 玄関ホールでマリアンヌが姿を表すのを待っていたエリーゼは、あからさまによそよそしい態度だった。

「そんなこと言わないで。すぐにお茶を用意するわ。テラスにする?でも今日はちょっと暑いかしら?」
「私はどっちでも構わないわ」
 ─── とにかく二人っきりで話がしたいの。

 そんなニュアンスが痛いほどに伝わってくる。間違いなく他の人に聞かれたくない話なのだろう。例えばアンジェラの件とか。

 マリアンヌは、少し悩んで、テラスでも応接室でもなく、自分の部屋にエリーゼを通すことにした。




 ジルに冷たいお茶を用意してもらって、部屋を出て行ってもらう。
 一応廊下の左右を確認したけれど、クリスの姿は無かった。

 突然の訪問は、さすがに兄も予期することはできないだろう。
 それに何より、エリーゼは同性だ。幼馴染の同性を私室に招き入れることは、淑女として何ら問題の無い行動のはず。

 そんなことを考えながら、マリアンヌは部屋の扉を閉める。

 そして、そわそわと落ち着かない様子でソファに着席しているエリーゼの隣に腰かけた。

「あのね、マリー。気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど……良いかな?」
「え、ええ」

 座って早々そんなことを言われて、マリアンヌの身体はびくりと強張ってしまう。

 反射的に頷いてしまったが、これから聞く話は、絶対に良い内容ではない。

 そう確信を持ったマリアンヌだったけれど、エリーゼの言葉は予想より斜め上のものだった。

「マリー、あなたマリッジブルーなんじゃない?」
「……は?」

 聞きなれない言葉を耳にして、マリアンヌは間の抜けた声を出してしまった。

「自覚無いようね」
「……ごめんなさい」

 肩をすくめたエリーゼに、マリアンヌはよくわからないけれど謝ってしまう。

 そんなマリアンヌを見て、エリーゼは唇に指を当てて無言でいる。何か考え事をしているようだった。

 沈黙に耐え切れず、マリアンヌはグラスに手を伸ばす。さっき口にしたお茶と同じ香りがするけれど、なぜか苦みが強い。

 少し間を置いてエリーゼもグラスに手を伸ばした。2口飲んで美味しいとマリアンヌに向けて微笑んだ。

 けれど、すぐに表情を硬くする。

「言いにくいんだけど……聞いてくれる?」
「う、うん」
「あのね、最近のマリー、ちょっとおかしいわよ」
「そ、そうかな?」
 
 咄嗟に誤魔化してみたけれど、顔は見事に強張っているのだろう。

 エリーゼは更に表情を硬くする。いっそ不機嫌と言ったほうが正解と思えるくらいに。

「なんか、私達に対してよそよそしいっていうか、変に顔色を窺ったりしているし、妙に意固地なところがあるし。それに舞踏会の時だって、先に帰っちゃったでしょ?」
「あ、あれは───」
「あー……ごめん。別に責めている訳じゃないのよ。……でね、実はこの前レイを呼び出したの。それでマリーと何かあったのかって聞いてみた。でも、レイったら、何もないって言うし」
「う、うん。何も……無いわ」

 まさか宝石店の一件のことを言えるわけもなく、マリアンヌはぶんぶんと首を横に振る。

「そうよね。なにかあっても秘密にするわけないもんね。だから、私、色々考えたの。もしかしてマリーは本当はこの計画に反対しているんじゃないかって。はっきり聞くけど、レイと結婚するのは嫌?」
「まさかっ」

 食い気味に否定をすれば、エリーゼはゆったりと目を細めた。

「ふふっ。そうよね。わかっている。だからきっとマリッジブルーなのよ」
 
 マリアンヌだって、マリッジブルーがどんなものかくらいは知っている。

 結婚が決まった女性が、婚約者の言動に落ち込んでしまったり、不安を感じてしまったりするもの。

 そんな知識を思い出して、マリアンヌはまさか自分がと思う。

「私、別にレイとの結婚に不安を感じたりしていないわ」
 
 マリッジブルーになるのは、多少なりとも相手に不満があるからそうなるのだと思っている。

 だからそうだと言ってしまうと、まるでレイドリックが悪いように取れてしまうかもしれない。

 マリアンヌは怖かった。
 もし万が一、この会話がレイドリックの耳に入って、また彼を怒らせてしまうのを。

 レイドリックは少し変わってしまった。勘違いを訂正させてくれなくなった。自分の話を聞かなくなってしまった。 

 ああ……そんなふうに彼を思ってしまう事態、自分はおかしいのかもしれない。
 
 マリアンヌは、一度はエリーゼの言葉を否定してみたけれど、認めた方がだと思ってしまった。
 
「……そうかもしれないわ」

 ひどく苦い気持ちでそう言えば、エリーゼは手を伸ばして、マリアンヌの髪を優しく梳いた。

 そしていつも通りの表情に戻る。

「今年の夏は暑いわね」
「うん」
「マリー、これ提案なんだけれど別荘にでも行って、気分転換してきたらどう?」
「え?別荘?」

 突然変わった話題に、マリアンヌの思考は付いていけなかった。

 なのに、エリーゼはそれを無視してはしゃいだ声をあげる。

「そう。マリーの家なら沢山あるでしょ?きっとマリーは、王都が暑いし騒がしいから、ちょっと疲れちゃっただけなのよ。避暑地でゆっくりしておいで。美味しいものを食べて、たまにはお行儀の悪いこともして。そして元気になって帰っておいで」

 一気に言い切ったエリーゼは、ぽんっとマリアンヌの肩を叩いた。

 そしてにっこりと笑って、こう言った。

「私達もから」

 



 行けたら行く。

 これはとても便利な言葉である。

 社交界ではこの言葉はよく飛び交うし、マリアンヌだって何度も耳にしてきたし、口にしてきた。行けないとは言いにくいから、遠回しの断り文句として。

 ただこれは、行く気はあるけど、都合がつくかどうか今すぐわからないという時に使う言葉でもある。

 ─── エリーゼはどちらの意味でそう言ったのだろう。

 マリアンヌは、疑問に思う。でも口にはしない。 
 
 返答次第では、王都に居て欲しくないというふうにも取れてしまうから。

 それに、アンジェラの件をうやむやにしたままだという罪悪感もある。この話が長引いて、万が一、招待客のことに触れられるのは嫌だった。

 だから、何もかも気付かないフリをして「兄に聞いてみる」とマリアンヌは呟いた。
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