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気付かないフリをしたままでいたい【夏】前編
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一度はクリスだと思ったマリアンヌだけれど、すぐにそれを怪しんだ。
なにせ、服装が違うし、声色も違う。彼のトレードマークである帯剣すらしていない。
でも、自分を見つめるアイスブルーの瞳はそのままで。
だから半信半疑といったところだ。
「あの……間違いでしたら謝りますが……あなた、クリスさんですか?」
「間違いではないですが、ちょっと服が違うくらいで、そんな質問をしたことは謝ってほしいですね」
間違いない。このもったいぶった言い方は、クリスだ。
「これは兄からの命令なんですか?」
謝る気などさらさら無いマリアンヌは、わざと質問をしてみた。
ただもしクリスからそうだと言われたら、自分の護衛騎士に変装をさせて妹とダンスをさせる兄の思考がわからなくなってしまう。
とはいえ、普段からの兄の言動を考えれば、あながち違うとも言い切れない。
質問を急かすようにマリアンヌは、クリスに向ける視線を強くする。そうすれば、彼は観念したように肩をすくめた。
「ま、そのようなものです」
ああ、その通りなのか。マリアンヌは、苦みの強い笑みを浮かべた。
「……兄には、さすがに過保護すぎると注意しておきます」
「おやめください。ウィレイム様が泣いてしまいます」
ぴしゃりと言い切ったクリスは、再び手を差し出した。
「と、言うわけで踊っていただけますでしょうか?」
優雅に差し出された手を前にして、マリアンヌは固まった。
服が違えど、少し意識して高貴な感じの声音を出していても、中身はクリスなのだ。苦手な男とダンスを踊るのには抵抗がある。
「……兄は今どこに?」
「第一王子に捕まっております。当分は戻ることはできません」
「ダンス以外の選択肢を兄から聞いてませんか?」
「残念ながらこれ一択です」
「……あなたとダンスを?わたくしが?」
「左様です」
「嫌と言ったら?」
「私が路頭に迷うことになるでしょう」
「……嘘はおやめになってください」
なにが路頭に迷うだ。兄がそんなことをするはずがない。
マリアンヌはクリスを睨みつけた。でも、今日もクリスは飄々と受け流すだけ。そして少し焦れたように、手を更に前に差し出す。
「マリアンヌ様」
「なんでしょう」
「傍から見たら、あなたは今、異国の男性を無下にしている図だとお気づきでしょうか?」
「……っ」
「どうか、腹を括ってください」
「……」
はいと頷くことはしなかったけれど、マリアンヌはクリスの手を取って、ダンスホールへと足を向けた。
曲の途中でダンスホールに入室したのに、クリスは戸惑うことなくマリアンヌと向き合った。
「では、いきます。よろしいでしょうか?」
さすがに最初のステップは呼吸を合わせなくてはいけないので、声を出す必要がある。
「……どうぞ」
嫌々ながら短く言い捨てた途端、クリスはマリアンヌの腰に手を回してステップを踏み出した。
驚くほど滑らかな滑り出しだった。
「ダンス、お上手なんですね」
「それほどでは」
端的に返事をするクリスに、マリアンヌは嘘を付くなと言いたくなる。いや、これは謙遜か。そんなことも言いたくなる。でも、無駄口を叩く相手ではないので、黙っておく。
とにかくクリスは、とてもダンスが上手かった。
これまでダンスを踊ったのはウィレイムとレイドリックだけ。あと一度だけ宰相閣下とも。
つまりマリアンヌは過去4人としかダンスを踊ったことがない。
経験はとても少ないが、それでも、彼が抜きん出て女性のリードに長けていることがわかる。
「……経験豊富なのね、クリスは」
「ご冗談を。ダンスを踊るのはあなたが初めてです」
曲にかき消されるほど小さく呟いたつもりだったのに、クリスの耳にしっかり届いてしまっていたようだ。
マリアンヌは意識して口を噤む。
こんなつまらない嘘を聞くはめになるなら、黙っていれば良かったと心底思いながら。
それでもステップを踏む足は止まらない。
くるくる円を描くように、踊り続ければ、否が応でも周りの景色が視界に入る。
好奇の視線が痛いほど自分達に向けられているのがわかる。
それはそうだろう。今、このホールで異国の男性と踊っているのは、マリアンヌだけだ。
事情を知らない人から見れば、引っ込み思案の令嬢と、謎の異国の青年の組み合わせは、さぞや不思議な光景に違いない。
ただ、その中には、先ほどマリアンヌに向けて「可哀想」という言葉を向けた女性や、その後すぐに露骨に笑った女性もいた。
マリアンヌはそっと目を伏せる。
レイドリックとエリーゼがここに居ないことは、ダンスホールに入室した時点でわかっていた。”後で”と言ってくれたのに。どこに消えてしまったのだろう。
そんなことを考えれば───。
「マリアンヌ様、どうか今は私だけを見てください」
熱のこもった余裕のない声が、頭上から聞こえてきた。
なにせ、服装が違うし、声色も違う。彼のトレードマークである帯剣すらしていない。
でも、自分を見つめるアイスブルーの瞳はそのままで。
だから半信半疑といったところだ。
「あの……間違いでしたら謝りますが……あなた、クリスさんですか?」
「間違いではないですが、ちょっと服が違うくらいで、そんな質問をしたことは謝ってほしいですね」
間違いない。このもったいぶった言い方は、クリスだ。
「これは兄からの命令なんですか?」
謝る気などさらさら無いマリアンヌは、わざと質問をしてみた。
ただもしクリスからそうだと言われたら、自分の護衛騎士に変装をさせて妹とダンスをさせる兄の思考がわからなくなってしまう。
とはいえ、普段からの兄の言動を考えれば、あながち違うとも言い切れない。
質問を急かすようにマリアンヌは、クリスに向ける視線を強くする。そうすれば、彼は観念したように肩をすくめた。
「ま、そのようなものです」
ああ、その通りなのか。マリアンヌは、苦みの強い笑みを浮かべた。
「……兄には、さすがに過保護すぎると注意しておきます」
「おやめください。ウィレイム様が泣いてしまいます」
ぴしゃりと言い切ったクリスは、再び手を差し出した。
「と、言うわけで踊っていただけますでしょうか?」
優雅に差し出された手を前にして、マリアンヌは固まった。
服が違えど、少し意識して高貴な感じの声音を出していても、中身はクリスなのだ。苦手な男とダンスを踊るのには抵抗がある。
「……兄は今どこに?」
「第一王子に捕まっております。当分は戻ることはできません」
「ダンス以外の選択肢を兄から聞いてませんか?」
「残念ながらこれ一択です」
「……あなたとダンスを?わたくしが?」
「左様です」
「嫌と言ったら?」
「私が路頭に迷うことになるでしょう」
「……嘘はおやめになってください」
なにが路頭に迷うだ。兄がそんなことをするはずがない。
マリアンヌはクリスを睨みつけた。でも、今日もクリスは飄々と受け流すだけ。そして少し焦れたように、手を更に前に差し出す。
「マリアンヌ様」
「なんでしょう」
「傍から見たら、あなたは今、異国の男性を無下にしている図だとお気づきでしょうか?」
「……っ」
「どうか、腹を括ってください」
「……」
はいと頷くことはしなかったけれど、マリアンヌはクリスの手を取って、ダンスホールへと足を向けた。
曲の途中でダンスホールに入室したのに、クリスは戸惑うことなくマリアンヌと向き合った。
「では、いきます。よろしいでしょうか?」
さすがに最初のステップは呼吸を合わせなくてはいけないので、声を出す必要がある。
「……どうぞ」
嫌々ながら短く言い捨てた途端、クリスはマリアンヌの腰に手を回してステップを踏み出した。
驚くほど滑らかな滑り出しだった。
「ダンス、お上手なんですね」
「それほどでは」
端的に返事をするクリスに、マリアンヌは嘘を付くなと言いたくなる。いや、これは謙遜か。そんなことも言いたくなる。でも、無駄口を叩く相手ではないので、黙っておく。
とにかくクリスは、とてもダンスが上手かった。
これまでダンスを踊ったのはウィレイムとレイドリックだけ。あと一度だけ宰相閣下とも。
つまりマリアンヌは過去4人としかダンスを踊ったことがない。
経験はとても少ないが、それでも、彼が抜きん出て女性のリードに長けていることがわかる。
「……経験豊富なのね、クリスは」
「ご冗談を。ダンスを踊るのはあなたが初めてです」
曲にかき消されるほど小さく呟いたつもりだったのに、クリスの耳にしっかり届いてしまっていたようだ。
マリアンヌは意識して口を噤む。
こんなつまらない嘘を聞くはめになるなら、黙っていれば良かったと心底思いながら。
それでもステップを踏む足は止まらない。
くるくる円を描くように、踊り続ければ、否が応でも周りの景色が視界に入る。
好奇の視線が痛いほど自分達に向けられているのがわかる。
それはそうだろう。今、このホールで異国の男性と踊っているのは、マリアンヌだけだ。
事情を知らない人から見れば、引っ込み思案の令嬢と、謎の異国の青年の組み合わせは、さぞや不思議な光景に違いない。
ただ、その中には、先ほどマリアンヌに向けて「可哀想」という言葉を向けた女性や、その後すぐに露骨に笑った女性もいた。
マリアンヌはそっと目を伏せる。
レイドリックとエリーゼがここに居ないことは、ダンスホールに入室した時点でわかっていた。”後で”と言ってくれたのに。どこに消えてしまったのだろう。
そんなことを考えれば───。
「マリアンヌ様、どうか今は私だけを見てください」
熱のこもった余裕のない声が、頭上から聞こえてきた。
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