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気付かないフリをしたままでいたい【夏】前編
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名門侯爵家の令嬢であるマリアンヌは、王宮の舞踏会に招かれるのは今日が初めてではない。
社交界デビューをしたのも、王宮で催された夜会だった。
それ以外にも何度か招かれ、失礼が無いよう淑女らしく振舞っていたら、いつしかセレーヌディアの真珠と呼ばれるようになっていた。
貴族令嬢にとって、宝石に譬えられる二つ名は、名誉の限りだと思う。
……思うけれど、反面、ありがた迷惑だと思ってしまうのは贅沢な悩みなのだろうか。
そんなことを考えながら、マリアンヌは兄にエスコートされ、会場に足を踏み入れた。
何度来ても、最初に目を奪われるのは天井の巨大なシャンデリアだった。
初めて見たとき、そのきらめきがあまりに眩しすぎて、夜空の星をここに集めてしまったのかと思ったのをよく覚えている。
さすがに今は、食い入るように見つめることはしないけれど、それでも、会場に集まった人々より先に視線が行くのは致し方ない。
「さて、一仕事するか」
ぼやきに近い口調で、覚悟を決めたウィレイムは、ちらりとマリアンヌを見る。
その目は、体調は本当に大丈夫か?なんなら今すぐ帰ってもいいんだぞと、訴えている。
……恐ろしいほど過保護だ。
マリアンヌは苦笑した。
「マリーも、お兄様の足を引っ張らないよう、頑張りますわ。どうぞお兄様、遠慮なさらず苦手な女性からのダンスを断る理由にわたくしを使ってくださいな。わたくしも、そうさせていただきますから。でも、気になる女性とのダンスは邪魔など致しませんから、ご安心くださいませ」
くすくす笑いながらそう言えば、ウィレイムは「お前なぁ」と言って、髪をがしがしとかく。
すぐにたくさんの視線を感じる。主に女性からの。
兄の砕けた姿は珍しいのだろう。驚きの中に、甘いものが混ざっていた。
その視線はもちろんウィレイムも気付いている。
だからすぐに、表情を引き締める。そして妹を溺愛する兄から宰相補佐の顔つきになり、会場内を歩き始めた。
「こんばんは、久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
「いい夜ですね。……第一王子はあちらに?ああ、ではすぐにご挨拶にいかなければ。ご親切にどうも。セレーヌディアに幸多い未来があることを私も祈っています」
「おや、いつもの騎士服ではないので、驚きました。……ははっ、着苦しいですか。その気持ちわかります。では、この窮屈さは、近いうちに手合わせして発散しましょう。ただ、手加減ねがいます」
「おっ、お前も来ていたのか。なんだ一人か?寂しいなぁ。は?マリーを貸してくれだと?アホか。さっさとそこらの女性を口説いてこい」
ウィレイムは社交辞令を交わし、微笑み合う。
職場の仲間なのか、友達なのかわからない男性には軽口を叩いて。
それを横目に見ながら、聞きながら、マリアンヌは淑女らしい笑みを浮かべ、時には相槌を打ち、小さな礼を取る。
これがいつもの舞踏会の流れだった。
それから兄とダンスを踊り、少し飲み物や軽食をいただき、頃合いを見計らって帰宅する。
ただその間に、レイドリックとエリーゼと合流するときもあるし、時には年の近い令嬢とその場限りのお喋りに花を咲かせたりもする。
今日の舞踏会は、第一王子の婚約を祝して国王が主催したものだから、たくさんの人がいる。
王子の妻になるのは、異国の姫君。だから外国からも来賓が招かれているのだろう。見慣れない礼服姿の御仁がちらほらいる。
「マリー悪いが、ちょっとここで待っててくれないか?」
異国の独特な刺繍をぼんやり眺めていたら、ウィレイムからそう言われ、マリアンヌは深く考えずに頷いた。
そうすれば、ウィレイムは「悪い、すぐに戻る」と短く言い捨てて、一人、異国の人の輪の中へと向かった。多分、ロゼット家当主としてではなく、最小補佐の務めを果たしに行ったのだろう。
一人になった途端、不躾な視線を感じてマリアンヌは人目につかぬよう壁側に移動する。ここなら、兄の視界にも入るはずだ。
そして、ウェイターから果実のジュースを進められ、言われるがままグラスを手にする。お酒を勧めてもらえなかったのを少し不満に感じながら。
それでも柑橘系のジュースは、冷たくて喉に心地よい。
一口、二口、とマリアンヌはゆっくりと口元にグラスを傾ける。そして、ほどんどグラスが空になったころ、背後から声をかけられた。
「マリアンヌさん?」
声のするほうに振り返れば、見知った顔がいる。……”できることなら、今日は会いたくなかった”という前置きがつく人物が。
「……ご、ご無沙汰しております。アンジェラさま」
思わずげっと呻いてしまいそうになり、慌てて通りがかったメイドにグラスを渡して、腰を落とす。
最高位の貴族令嬢は、微笑んでそれを受け止めると、すぐにマリアンヌの手を取った。
「もうっ、ご無沙汰どころじゃないわよ。ずっと会いたかったわ」
大輪の花のような笑みを浮かべたアンジェラに、マリアンヌの胸がきりきりと痛む。
「……本当に、申し訳ありません」
紡いだ謝罪の言葉は別の意味も含まれていたのだが、アンジェラは気付いていない。ただ、会えてよかったという言葉だけを繰り返している。
それが、余計に辛かった。
なのに。それなのに……。
「マリー、探したわよ」
再び背後から、声をかけられてしまった。2人の足音と同時に。
振り返る勇気がない。
なぜなら、それだけは避けたいと思っていたことが現実になりそうだから。
声の主は、エリーゼだった。
社交界デビューをしたのも、王宮で催された夜会だった。
それ以外にも何度か招かれ、失礼が無いよう淑女らしく振舞っていたら、いつしかセレーヌディアの真珠と呼ばれるようになっていた。
貴族令嬢にとって、宝石に譬えられる二つ名は、名誉の限りだと思う。
……思うけれど、反面、ありがた迷惑だと思ってしまうのは贅沢な悩みなのだろうか。
そんなことを考えながら、マリアンヌは兄にエスコートされ、会場に足を踏み入れた。
何度来ても、最初に目を奪われるのは天井の巨大なシャンデリアだった。
初めて見たとき、そのきらめきがあまりに眩しすぎて、夜空の星をここに集めてしまったのかと思ったのをよく覚えている。
さすがに今は、食い入るように見つめることはしないけれど、それでも、会場に集まった人々より先に視線が行くのは致し方ない。
「さて、一仕事するか」
ぼやきに近い口調で、覚悟を決めたウィレイムは、ちらりとマリアンヌを見る。
その目は、体調は本当に大丈夫か?なんなら今すぐ帰ってもいいんだぞと、訴えている。
……恐ろしいほど過保護だ。
マリアンヌは苦笑した。
「マリーも、お兄様の足を引っ張らないよう、頑張りますわ。どうぞお兄様、遠慮なさらず苦手な女性からのダンスを断る理由にわたくしを使ってくださいな。わたくしも、そうさせていただきますから。でも、気になる女性とのダンスは邪魔など致しませんから、ご安心くださいませ」
くすくす笑いながらそう言えば、ウィレイムは「お前なぁ」と言って、髪をがしがしとかく。
すぐにたくさんの視線を感じる。主に女性からの。
兄の砕けた姿は珍しいのだろう。驚きの中に、甘いものが混ざっていた。
その視線はもちろんウィレイムも気付いている。
だからすぐに、表情を引き締める。そして妹を溺愛する兄から宰相補佐の顔つきになり、会場内を歩き始めた。
「こんばんは、久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
「いい夜ですね。……第一王子はあちらに?ああ、ではすぐにご挨拶にいかなければ。ご親切にどうも。セレーヌディアに幸多い未来があることを私も祈っています」
「おや、いつもの騎士服ではないので、驚きました。……ははっ、着苦しいですか。その気持ちわかります。では、この窮屈さは、近いうちに手合わせして発散しましょう。ただ、手加減ねがいます」
「おっ、お前も来ていたのか。なんだ一人か?寂しいなぁ。は?マリーを貸してくれだと?アホか。さっさとそこらの女性を口説いてこい」
ウィレイムは社交辞令を交わし、微笑み合う。
職場の仲間なのか、友達なのかわからない男性には軽口を叩いて。
それを横目に見ながら、聞きながら、マリアンヌは淑女らしい笑みを浮かべ、時には相槌を打ち、小さな礼を取る。
これがいつもの舞踏会の流れだった。
それから兄とダンスを踊り、少し飲み物や軽食をいただき、頃合いを見計らって帰宅する。
ただその間に、レイドリックとエリーゼと合流するときもあるし、時には年の近い令嬢とその場限りのお喋りに花を咲かせたりもする。
今日の舞踏会は、第一王子の婚約を祝して国王が主催したものだから、たくさんの人がいる。
王子の妻になるのは、異国の姫君。だから外国からも来賓が招かれているのだろう。見慣れない礼服姿の御仁がちらほらいる。
「マリー悪いが、ちょっとここで待っててくれないか?」
異国の独特な刺繍をぼんやり眺めていたら、ウィレイムからそう言われ、マリアンヌは深く考えずに頷いた。
そうすれば、ウィレイムは「悪い、すぐに戻る」と短く言い捨てて、一人、異国の人の輪の中へと向かった。多分、ロゼット家当主としてではなく、最小補佐の務めを果たしに行ったのだろう。
一人になった途端、不躾な視線を感じてマリアンヌは人目につかぬよう壁側に移動する。ここなら、兄の視界にも入るはずだ。
そして、ウェイターから果実のジュースを進められ、言われるがままグラスを手にする。お酒を勧めてもらえなかったのを少し不満に感じながら。
それでも柑橘系のジュースは、冷たくて喉に心地よい。
一口、二口、とマリアンヌはゆっくりと口元にグラスを傾ける。そして、ほどんどグラスが空になったころ、背後から声をかけられた。
「マリアンヌさん?」
声のするほうに振り返れば、見知った顔がいる。……”できることなら、今日は会いたくなかった”という前置きがつく人物が。
「……ご、ご無沙汰しております。アンジェラさま」
思わずげっと呻いてしまいそうになり、慌てて通りがかったメイドにグラスを渡して、腰を落とす。
最高位の貴族令嬢は、微笑んでそれを受け止めると、すぐにマリアンヌの手を取った。
「もうっ、ご無沙汰どころじゃないわよ。ずっと会いたかったわ」
大輪の花のような笑みを浮かべたアンジェラに、マリアンヌの胸がきりきりと痛む。
「……本当に、申し訳ありません」
紡いだ謝罪の言葉は別の意味も含まれていたのだが、アンジェラは気付いていない。ただ、会えてよかったという言葉だけを繰り返している。
それが、余計に辛かった。
なのに。それなのに……。
「マリー、探したわよ」
再び背後から、声をかけられてしまった。2人の足音と同時に。
振り返る勇気がない。
なぜなら、それだけは避けたいと思っていたことが現実になりそうだから。
声の主は、エリーゼだった。
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