親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士から愛を押し付けられる

当麻月菜

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何かが違うことを知ってしまった【春】

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 転がるように廊下に出たと言ったが、正確にはレイドリックの馬車を回してもらう為に扉を開けたマリアンヌは、まず右を見て、誰も居なかったから、左を見た。

 そこにクリスがいた。
 扉の影になるように、気配を消して。でも綺麗な立ち姿でそこにいた。

「ど」
 ───どうして、あなたがここに? 

 そう尋ねようと思ったけれど、その前にクリスに腕を引っ張られて、マリアンヌは廊下へと飛び出した。

 よろけるマリアンヌを片腕に抱き留めながら、クリスは反対の手で扉を閉めた。

「……腕を離してください」

 扉の閉まる音と重なるように、マリアンヌからそう言われても、クリスは腕を緩めることはしなかった。

 更に自身の胸に抱きよせながら、マリアンヌの耳元に唇を寄せた。

「お帰りのようですね。馬車はもう回すよう手配をしておりますので、このまま玄関ホールに向かわれても大丈夫です」

 もがいている最中、飄々としたそんな言葉が降ってきて、マリアンヌは思わず顔を上げた。

「……立ち聞きしていたの?」
「ウィレイム様が、未婚であるあなたと異性が部屋で二人っきりになるのをお許しになるとでも?」

 質問を質問で返され、マリアンヌは言葉に詰まった。

 けれど、キッと強く睨みつけながら反論する。

「彼は、私の婚約者です」
「親友の間違いでは?」
「……なっ」

 思わず声を荒げたマリアンヌに、クリスはしっと人差し指を口元に当てた。

 扉一枚挟んだ向こうにレイドリックが居ることを思い出し、マリアンヌはぐっと奥歯を噛み締める。

 それを見たクリスは、低く笑った。

「本当にあなたは素直な良い子ですね。こういう時は、頬を引っ叩くのが正解なんですが」
「なら、今すぐそうして差し上げましょうか?」
「どうぞ、ご自由に」
「……っ」

 相手を傷付けてしまうことを、あっさりどうぞと言われても、そんなことできるわけが無い。

 それが、例えどんなに苦手な相手でも、どんなに侮辱的な行為を受けたとしても。

 だからといって、クリスのことを許せるわけでもない。

「人が見ているかもしれません。こんなこと、兄に知られたらあなたの立場が悪くなるのでは?」

 雇われ騎士と、屋敷のお嬢様が抱き合ってるのを目撃されるのは、自分の首を締める行為のはず。

 精一杯、クリスが困ることを言えば、頭上からクスリと笑い声が降ってきた。

「なるほど。そう言われたら、手を離さないといけないですね」

 そう言うが早いか、クリスはぱっと腕を解いた。

 すぐにマリアンヌはクリスと距離を取る。次いで左右を確認する。運良く人の気配は無かった。

「馬車はもう玄関ホールに横付けされていると思いますよ。お部屋に戻られて、お伝えしたほうが良いのでは?」

 そう言ったクリスは、何事も無かったかのような涼しい顔をしていた。





 幸いにもレイドリックが玄関ホールに向かうまでの間、クリスは一度も姿を現さなかった。

 ……幸いにも?なぜそんなことを思うのだろう。マリアンヌは首を傾げた。

 別にレイドリックは、クリスが立ち聞きしていたことなど知らないのだ。

 兄の護衛騎士が、ただこの屋敷にいる。
 もしかして兄の忘れ物を取りに来ただけかもしれないし、急な伝言をヨーゼフに伝えにきかたもしれないし。

 それに、自分の屋敷に誰が居ようとも、レイドリックがとやかく言うことは無いはずなのだ。

 でも、いつもと違うことがとても怖かった。

 レイドリックがまた不機嫌になることが。そして先ほどの一件で、彼が何に対して不機嫌になるのかさっぱりわからなくなってしまったから。

 もう、あんな怖い顔をされるのは嫌だった。
 厳しい声で詰問されるのも、今日限りにしたかった。

 そんなふうに顔色を窺うようなことを考え始めている時点で、マリアンヌはもうレイドリックと対等ではなくなっていた。彼に従う存在になりつつあった。 

 でも、マリアンヌが声に出さない限り、それを指摘してくれる者は誰もいない。




 
 玄関ホールに到着して、使用人の手で玄関の扉が開く。

 レイドリックはすたすたと外に出ようとしたが、一度だけ振り返って、マリアンヌに念を押した。

「じゃあね、マリー。さっき言った事、くれぐれも守ってね」
「うん。レイ、本当に今日はごめんなさい」
「もう二度と、こんなことをしなけりゃ、許してやるよ」
「……ありがとう。約束する」

 レイドリックが寛容な態度で接しているようにみえるが、実のところは違う。けれど、マリアンヌは従順に頷くだけだった。

 それを見たレイドリックは、一つ頷いて馬車へと向かおうとするが、何かを思い出したらしく、短く声を上げて、再びマリアンヌの元に来る。

「あのさ、式はまだ先だけど、招待客のリストアップだけはしといて。エリーが知りたいってさ」
「……うん」
 
 挙式の参列者は、家の格式と付き合いで選ぶもの。個人の意思で呼べる者など、ほんの一握りだけだ。
 なのに、なぜエリーゼは、そんなことを知りたいのだろう。

 また小さな違和感と共に、疑問がわく。でも、マリアンヌはこれも素直に頷くだけだった。
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