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何かが違うことを知ってしまった【春】
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「王子、恐れながら、私は魑魅魍魎が渦巻く王宮に、可愛い妹を放り込ませる気はありません」
ウィレイムはきっぱりと言い切った。
再び「おい、言葉に気を付けろ」とシドレイが横から口を挟むが、知ったことではない。
これに関しては、耳にタコができようが、イボができようが、何度だってこの男に言わなくてはならないことだから。
それを聞いたクリストファーは、もう一度溜め息を付く。
でも、すぐに顔をあげて笑った。苦笑と呼ぶべきものを。
「気が合うな。私も、君の妹が辛い思いをするのは見ていられないな」
「話がわかる王子で、私は大変嬉しく存じます」
ウィレイムも笑みを浮かべてそう言った。けれど、その笑みは挑発に近いそれ。
クリストファーは、ウィレイムの幼馴染みである。
だからウィレイムは彼のことを良く知っている。
冷たい印象を与える容姿とは裏腹に、心根の優しい男だということを。
冷静沈着に物事を判断でき、理不尽なことを他人に要求しないということを。
何より、妹のマリアンヌを誰より愛していることも。
彼がただの貴族の青年であれば、レイドリックからの求婚など足蹴にして、マリアンヌの嫁ぎ先に決めたであろう。
けれど、クリストファーは王族だ。
引っ込み思案で、繊細な部分があるマリアンヌが、王宮の中で生きていくのは容易いことではない。
それはもちろんクリストファーも知っている。
だからこそ、権力を笠に着てマリアンヌを妻にすることはしない。
……しないつもりだ。このままレイドリックとの縁談が破局してくれるならば。
「でもね、私はあんなクズ男にくれてやる気はないからね」
「奇遇でございます。わたくしも、厄介な男に嫁がせる気はございません」
「……」
厄介な男の部類にクリストファーも含まれていることは、本人も自覚している。そしてウィレイムの言うことはもっともだとも思う。
とはいえ、彼の言葉に同意するつもりはない。
「悪いが君の護衛は、当分休ませてもらう。しばらくは、自由にさせてもらうよ」
駄目だと言ったところで相手は王族だ。ウィレイムには止める権利など無い。
なのに、わざわざそんなことを宣言するということは、つまり、多少なりとも自分に関わることに間違いない。
「……ほどほどにお願いします」
精一杯の拒絶の意を伝えてみたけれど、クリストファーは低く笑うだけだった。
そしてずっと手にしていたままの菓子の箱を机に戻す。
「じゃ、仕事の邪魔になりそうだから、これで失礼するよ。ああ、礼はいらない。仕事を続けて」
そう言って、クリストファーはひらりと手を振ると、部屋を出て行った。
最後に「後で、軽食を運ばせよう」と、労う言葉を付け加えて。
パタンと扉が閉まり、完全に第二王子の気配が消えた後、ウィレイムはシドレイに視線を向けた。
「……宰相殿」
「なんだ」
「この国で、私の家と釣り合う家柄で、私よりも妹を愛してくれて、私よりも将来有望で、ガサツではなく神経質でもなく、それでいて剣の腕が立ち、頭脳明晰で……そして……第二王子が諦めざるを得ない男性をご存知ないでしょうか?」
生真面目にそう問うた自分の部下に、宰相閣下は無情にも「ない」と吐き捨てた。
クリストファーは一人、王宮の奥にある居住棟まで歩いている。
少し長い漆黒の髪は歩くたびに揺れて、月の明かりを受けて星のようにきらめいている。
長い足が動くたびに上着の裾が揺れ、足音に混ざって衣擦れの音がしんとした回廊に響く。
「……嫌われたくないから、大人しくしていたけど、もういいか」
歩みを止めることなく、そう言ったクリストファーの表情は、心を決めた男のそれだった。
そこそこ顔が良い兄の幼馴染みという立ち位置は、妹にとってかなり恋の対象になりやすいはずなのだが、現実はそんなに甘くはなかった。
それに、社交界にデビューするまでは、どうせ誰のものにもならないし。
そんな余裕もあり、クリストファーは気持ちを表に出すことはせず、マリアンヌを見守るだけの存在でいた。
なのに今、顔を合わせる度に、マリアンヌとの間に見えない壁ができているのを感じてしまう。
しかも、ちょっと目を離した隙に、他の男に奪われるなんて。まったく冗談じゃない。
ウィレイムには悪いが、そろそろ本気を出させて貰おう。
彼女自ら自分の元に嫁ぎたいと言い出せば、ウィレイムは否とは言えないはず。いや、絶対に言わせない。
クリストファーは足を止めて、夜空を見つめる。
アイスブルーの瞳は、煌めく星を見ているようだが、実際にはここには居ない誰かを見ている。
「結構我慢強く待ったけど、もう待たないよ。マリアンヌ。私は君を手に入れることにするよ。どんな手を使っても」
─── どうせ、もう嫌われているんだし。
クリストファーは自嘲気味に笑って目を閉じた。
瞼の裏には、愛しい少女の姿が映る。
久しぶりに触れた彼女の身体は、相変わらず華奢ではあったが、女性らしい丸みを帯びていた。大人になったのだ。いつの間にか。
マリアンヌを好きになった理由なんて、ずいぶん昔のことなので忘れてしまった。
けれど、誰にも渡したくないという強い執着は、日増しに強くなる。
ウィレイムはきっぱりと言い切った。
再び「おい、言葉に気を付けろ」とシドレイが横から口を挟むが、知ったことではない。
これに関しては、耳にタコができようが、イボができようが、何度だってこの男に言わなくてはならないことだから。
それを聞いたクリストファーは、もう一度溜め息を付く。
でも、すぐに顔をあげて笑った。苦笑と呼ぶべきものを。
「気が合うな。私も、君の妹が辛い思いをするのは見ていられないな」
「話がわかる王子で、私は大変嬉しく存じます」
ウィレイムも笑みを浮かべてそう言った。けれど、その笑みは挑発に近いそれ。
クリストファーは、ウィレイムの幼馴染みである。
だからウィレイムは彼のことを良く知っている。
冷たい印象を与える容姿とは裏腹に、心根の優しい男だということを。
冷静沈着に物事を判断でき、理不尽なことを他人に要求しないということを。
何より、妹のマリアンヌを誰より愛していることも。
彼がただの貴族の青年であれば、レイドリックからの求婚など足蹴にして、マリアンヌの嫁ぎ先に決めたであろう。
けれど、クリストファーは王族だ。
引っ込み思案で、繊細な部分があるマリアンヌが、王宮の中で生きていくのは容易いことではない。
それはもちろんクリストファーも知っている。
だからこそ、権力を笠に着てマリアンヌを妻にすることはしない。
……しないつもりだ。このままレイドリックとの縁談が破局してくれるならば。
「でもね、私はあんなクズ男にくれてやる気はないからね」
「奇遇でございます。わたくしも、厄介な男に嫁がせる気はございません」
「……」
厄介な男の部類にクリストファーも含まれていることは、本人も自覚している。そしてウィレイムの言うことはもっともだとも思う。
とはいえ、彼の言葉に同意するつもりはない。
「悪いが君の護衛は、当分休ませてもらう。しばらくは、自由にさせてもらうよ」
駄目だと言ったところで相手は王族だ。ウィレイムには止める権利など無い。
なのに、わざわざそんなことを宣言するということは、つまり、多少なりとも自分に関わることに間違いない。
「……ほどほどにお願いします」
精一杯の拒絶の意を伝えてみたけれど、クリストファーは低く笑うだけだった。
そしてずっと手にしていたままの菓子の箱を机に戻す。
「じゃ、仕事の邪魔になりそうだから、これで失礼するよ。ああ、礼はいらない。仕事を続けて」
そう言って、クリストファーはひらりと手を振ると、部屋を出て行った。
最後に「後で、軽食を運ばせよう」と、労う言葉を付け加えて。
パタンと扉が閉まり、完全に第二王子の気配が消えた後、ウィレイムはシドレイに視線を向けた。
「……宰相殿」
「なんだ」
「この国で、私の家と釣り合う家柄で、私よりも妹を愛してくれて、私よりも将来有望で、ガサツではなく神経質でもなく、それでいて剣の腕が立ち、頭脳明晰で……そして……第二王子が諦めざるを得ない男性をご存知ないでしょうか?」
生真面目にそう問うた自分の部下に、宰相閣下は無情にも「ない」と吐き捨てた。
クリストファーは一人、王宮の奥にある居住棟まで歩いている。
少し長い漆黒の髪は歩くたびに揺れて、月の明かりを受けて星のようにきらめいている。
長い足が動くたびに上着の裾が揺れ、足音に混ざって衣擦れの音がしんとした回廊に響く。
「……嫌われたくないから、大人しくしていたけど、もういいか」
歩みを止めることなく、そう言ったクリストファーの表情は、心を決めた男のそれだった。
そこそこ顔が良い兄の幼馴染みという立ち位置は、妹にとってかなり恋の対象になりやすいはずなのだが、現実はそんなに甘くはなかった。
それに、社交界にデビューするまでは、どうせ誰のものにもならないし。
そんな余裕もあり、クリストファーは気持ちを表に出すことはせず、マリアンヌを見守るだけの存在でいた。
なのに今、顔を合わせる度に、マリアンヌとの間に見えない壁ができているのを感じてしまう。
しかも、ちょっと目を離した隙に、他の男に奪われるなんて。まったく冗談じゃない。
ウィレイムには悪いが、そろそろ本気を出させて貰おう。
彼女自ら自分の元に嫁ぎたいと言い出せば、ウィレイムは否とは言えないはず。いや、絶対に言わせない。
クリストファーは足を止めて、夜空を見つめる。
アイスブルーの瞳は、煌めく星を見ているようだが、実際にはここには居ない誰かを見ている。
「結構我慢強く待ったけど、もう待たないよ。マリアンヌ。私は君を手に入れることにするよ。どんな手を使っても」
─── どうせ、もう嫌われているんだし。
クリストファーは自嘲気味に笑って目を閉じた。
瞼の裏には、愛しい少女の姿が映る。
久しぶりに触れた彼女の身体は、相変わらず華奢ではあったが、女性らしい丸みを帯びていた。大人になったのだ。いつの間にか。
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