エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

当麻月菜

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第二部 ティアの知らない過去と未来

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 ユザーナは親子水入らずのところに割り込んできたグレンシスを、無礼者だと言って激昂することはなかった。

 グレンシスの厳しい声音で、はっと我れに返ったユザーナは、すぐさま自分自身の行動を恥じたから。
 いやはっきり言って、年甲斐もなく無様な姿を自分の娘と部下に見せてしまい、惨めさすら感じていた。

 ついさっきまで鬼気迫る表情でティアに同居を迫っていたのとは打って変わって、そわそわと視線を落ち着かなくしているその様は、この時間が早く終わることを願っているようにすら見えてくる。

「すまないティア。突拍子もないことを言って驚かせてしまって……」
「いえ、そんなっ」

 ティアはグレンシスの腕の中で、ぶんぶんと首を横に振った。

 その必死なティアの仕草がユザーナに届いたのだろう。
 彼はふっと憑き物が落ちたかのように表情を改め、突然割り込んで来た騎士に向かい口を開いた。

「グレンシス、悪いがティアを送り届けてくれ」
「かしこまりました」
「くれぐれも事故がないよう、気を付けるんだ」
「心得ております」
「御者にもしっかり伝えておいてくれ。人混みの多い道を避けるようにと」
「……はい」

 ちょっとしつこいと内心思いつつも、グレンシスはティアを抱えたまま、綺麗な騎士の礼を取る。
 次いで優雅にユザーナに背を向け歩き出した。

 ティアはずんずん歩くグレンシスに抱きかかえられているので、その背中越しに、みるみるうちに小さくなっていくユザーナの姿がはっきりと見える。

 ユザーナの表情は、突然井戸の中に放り込まれたかのように、失望と孤独を滲ませていた。

 このままではいけない。
 ティアは漠然とそう思った。そして、気付けばグレンシスの肩に手を掛け、身体をめいいっぱい捻って叫んでいた。

「あの、ユザーナさまっ」

 声を上げた瞬間、ティアの意図を汲んだかのように、グレンシスの足もピタリと止まった。

 ティアは更に身を乗り出して、声を張り上げた。

「今度良かったら、一緒に母のお墓参りに行きませんか?!」
「ああ、ぜひ。ぜひ頼む」

 食い気味に何度も頷くユザーナを見て、ティアは、やっと親子の一歩を踏み出せたような気がした。





 中庭を抜けてもグレンシスはティアを抱いたまま歩く。
 すれ違う人がぎょっとしても、『何か?』と言いたげにお構いなしに歩く。

 でも、ティアはそんな飄々とできるわけがない。

「グレンさま、捻挫は4週間で完治するってご存知ないのですか?」

 そろそろ降ろして欲しいティアは、グレンシスに向かって可愛げのないことを口にした。

 けれど、そう言われたグレンシスは機嫌を損ねることはなく、ただ眉を軽く上げただけ。

「ああ、そうなのか。それは知らなかったな」

 すっとぼけたことを言うグレンシスに、ティアは苦笑した。

 知らないわけがない。
 グレンシスは騎士だ。毎日鍛錬をするし、それには怪我がつきものだ。
 それに、以前、捻挫の応急処置をされた時は、とても優しい手つきではあったけれど、手慣れてもいた。

 だから、わざとそんなふうに言ってくれるのだろう。

 ティアはグレンシスの気遣いがとても嬉しかった。でも、気持ちは晴れない。逃げるように、あんな別れ方をユザーナとしてしまったのだから。

 でもあの時、グレンシスが間に入ってくれて、心からほっとしたのも事実。
 そして、自分ではどうすることもできなかったのも、これもまた事実。
 
 ティアはこっそり溜息を吐く。
 でもそれは、密着しているグレンシスにしっかり伝わっていた。

「宰相は少しせっかちな性格をお持ちの人だ。それに長年の想いもあって、気持ちを抑えることができなかっただけなのだろう。だが、これくらいのことで落ち込むような御仁ではない。バザロフ様の顔を見れば、すぐにいつもの調子を取り戻す。間違いない」

 しっかりと確信を持つグレンシスの言葉に、ティアは本当に?と疑う眼差しを向ける。

 そうすれば、グレンシスは声を上げてわらった。

「ああ見えて、バザロフさまと互角に剣を使う方だ。精神力も体力も、化け物並みに強い。それにバザロフ様にみっともない姿は絶対に見せないだろう」
「そうなんですか?」
「そうだ。それにあの二人は、国王陛下の両翼とも呼べる存在なのに、変なところで子供じみている」
「……と、言いますと?」
「バザロフ様が宰相殿にちょっかいを出し過ぎると、宰相殿はキレる。そして、訓練場でいきなり真剣勝負が始まるんだ。こっちが鍛錬中であろうともお構いなく、邪魔だと言われ問答無用でつまみ出される」
「……まぁ」

 グレンシスの口から語られるバザロフとユザーナがあまりに意外過ぎて、ティアは目を丸くする。

 ただ想像もつかない、という程の驚きではない。
 きっと、多分、おそらく、という前置きは付くけれど、思わず同意してしまいそうだ。

 そんなあやふやながら微妙に頷くティアを見て、グレンシスは更に言葉を重ねる。

「あれは正直言って迷惑している。何度もバザロフ様に異議申し立てをしているが、こればっかりは無視されている。まぁ、こっちも多少仕方がないと割り切って入るが、二人そろって剣を片手に鬼の形相で訓練場に来られると新人の騎士が怯えて、宥めるのに一苦労する」

 なにやら、ここでグレンシスの愚痴が始まり出してしまった。

 でも、ティアはちゃんとわかっている。グレンシスがわざと話題を変えてくれていることを。

 自分が落ち込んでいることも。でも、ありきたりな慰めの言葉も必要としていないということも。

 だからわざわざ、こんな他愛ない話をしてくれているのだということも。

「……嫌よ嫌よも好きのうちって言いますから、きっとお二人は本当は仲が良いんでしょうね」
「……だと良いな」

 調子を合わせてそう言えば、グレンシスは深い溜息を零しながらそう呟いた。

 それから会話が途切れ、グレンシスは歩調を緩めることなく城外へと向かう。
 風の匂いが強い。そろそろ出口が近いのだろう。

 そこでティアは、ふと思った。
 自分はどこへ帰るのだろうか、と。

 ロハン邸には、この厄介事が落ち着くまで、という条件で住まわせて貰っている。
 そして、その厄介事は無事に終わった。だからティアがロハン邸に留まる理由は、もうないのだ。

 なら、自分が帰る場所は、メゾン・プレザンしかない。
 そう思ったティアは、心の奥底から今まで感じたことがないほどの激しい衝動に襲われた。

 そして気付けば、ぎゅっと抱きしめるようにグレンシスの首に、自分の両手を巻き付けていた。
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