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第二部 再開と再会の、秋
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イケメン騎士様、もといグレンシスは、むすっとした表情を隠すこともせず、ただ腕を組んで一人掛けのソファに腰かけている。
ティアがそこに座れば、つま先がやっと床に届くか届かないかというもの。
なのにこの騎士様は、長い脚を見せびらかすように優雅に組んでも、片足はきちんと床に届いている。
そして、ふんぞり返っているように見えるその姿は、腹が立つほど、素晴らしくカッコいい。
最近メゾン・プレザンのシェフ見習いで入ったドゥールは、実は男性が好きな男性。だから絶対にドゥールにこの姿を見せてはいけないと強く思う程。
ちなみにこの騎士様のマントと剣は、ポールハンガーに掛けてある。けれど濃紺の上着は着たまま。秋だから肌寒いからなのだろうか。暖炉に火をくべるべきだろうか。
ティアは騎士様の少し後ろで直立不動でいながら、そんなことを思う。
───なんだか、以前も似たような光景に立ち会ったことがあったな。
と、そんなことも考えてみる。
ただその時は、自分はグレンシスに他の娼婦を宛がおうとしてしまったし、心の中で散々性格が悪いと悪態を付いていたし、舌打ちもしていた。忘れたいけれど。
それにグレンシスだって以前は帯剣して、警戒心剥き出しにしていた。でも、今は丸腰。だから、ちょっとは違う。
ちなみにティアは今、グレンシスが腰掛けている一人掛けのソファから半歩後ろに立っている。そんなわけで、椅子に座っているその表情までは見えていない。
グレンシスは確かに今、不機嫌であった。
でも、その理由はティアが思っているのとはかなり違う。大事なマダムローズとの対面をバザロフに持っていかれたことに憤りを覚えているのだ。
本来ならグレンシスがマダムローズに書簡を渡し、その後の指示を受けるという予定だったのだ。
なのに、いざマダムローズの部屋に一歩踏み入れた途端、バザロフは、あろうことかグレンシスを部屋から追い出したのだ。
まるで自分では力不足だと言われたようで、グレンシスは大変屈辱であった。……なんてことをティアは知る訳がない。
そしてグレンシスも、バザロフが完璧な私事───部下には聞かせることができない男女の会話をしたくてマダムローズと二人っきりになりたかったことも、知るわけがない。
ただ何も知らず、かつグレンシスから何も説明を受けなければ、ティアはこうして再会して、なし崩し的に二人で同じ部屋にいることに、グレンシスがひどく不愉快になっているのだと思い込んでしまう。
とはいえ今のティアは、拗ねた感情を持ってはいけないと自分に言い聞かせている。グレンシスが居心地悪い思いをしているのは、自分のせいだと責めている。
だから今はそっとしておくのが一番良い……はずなのだけれど、ティアはこの沈黙に耐えられなかった。
「あの……グレン様、お茶でも飲みますか?」
問いかけた途端、いらないとそっけなく言われると思いきや、
「お前が淹れてくれるのか?」
グレンシスは振り返って、行儀悪くソファの背もたれに肘を置きながらティアに問いかける。
その仕草も無駄にカッコいい。そして、グレンシスはとても嬉しそうだった。
まさか、そんな表情を向けられるとは思っていなかったティアは、途端に恥ずかしい気持ちになってしまう。
しかも運が悪いことに、しっかり部屋の隅には、お茶のセットがワゴンに用意されている。気持ちを落ち着かすために、ちょっと外へ出ることもできない。
でも、言いだしたからには、お茶を淹れなくてはならない。
ティアはぎくしゃくとワゴンの元に足を向け、お茶の準備を始めた。
ただ、これまで何十回、いや何百回もお茶を淹れてきたというのに、これがグレンシスにと思うと手元が狂いそうになる。
そんな挙動不審なティアの動作は、しっかりグレンシスにも伝わっていた。
「気まずいか?」
「っ!?」
ティアは思わず手にしていた紅茶の缶を放り出しそうになった。
なんとかそれを床にぶちまけることはなかったけれど、缶を持つ手は唇と同様に笑ってしまうほど震えている。
それを冷静に見ていたグレンシスは、静かに立ち上がりティアの手から紅茶の缶を奪ってワゴンの上に戻す。
次いで、ティアと正面から向き合った。
「俺は、お前に会えて、とても嬉しい」
一語一句、ちゃんとティアに届くように、グレンシスは芯のある声でそう言った。
反対にティアは、きゅっと唇を噛み俯く。
あんな別れ方をしたというのに、こういう時『私も』と、言って良いのだろうか。そんな図々しいことを言って良いのだろうか。
そんなことを悶々と悩み始めるティアだったけれど、その前に、グレンシスにきちんと伝えなければならないことがあったことに気付く。
「グレン様、聞いて欲しいことがあるんです」
「ん?なんだ?」
俯いたまま小声で切り出せば、グレンシスは優しい口調で膝を折り、ティアを覗き込んだ。
その仕草は返って、言いにくくしていることなど知りもしないで。
案の定ティアは、今から自分が口にすることは、もしかしてウザいと思われるかもしれないと不安を抱いてしまう。
けれど、グレンシスに聞いて欲しい気持ちが勝ってしまった。
ティアは緊張のせいで少し乾いた唇を湿らせてから口を開く。
「ロムさんに求婚されたの、聞いてましたか?」
「ああ、聞いていた」
「それのことなんですが」
「ああ」
打って変わって、気のない相槌を打つグレンシスにティアは怖じ気づいてしまう。
でもグレンシスの瞳は妙にせっついてくるし、ティア自身も、後には引けない。
だから、すぐに他の男に乗り換えるような節操のない女ではないことを伝えたくて、必死に言葉を紡ぐ。
「私、断るつもりでした。わ、私……グレン様からの求婚を断ったのに……他の人からのそれを受ける気なんて……あの、これっぽっちも思ってなんかいません。それに私は今でも……あ」
───あなたのことが好きです。
うっかり、こぼれてきそうになる本音に、ティアはひっくり返るほど驚いた。
もう全部が過去の事だというのに、あまりに未練たらしい。
気を抜けばポロリと好きという言葉が転がり落ちてしまいそうで、慌てて口を両手で覆う。
そんな中途半端に終わった説明に、グレンシスは、だからどうした?と言うと思いきや、どこか安心したように薄く笑った。
「なんだそんなことか」
オイルランプで照らされた部屋で、グレンシスが息を呑むほど、優しい笑顔を浮かべるのがわかった。
言葉にできない感情がティアの心の中で激しく渦を巻く。
「グレン様にとっては、その程度……のことですか?」
かすれた声でティアが問えば、グレンシスは緩く首を横に振った。
そしてグレンシスは、阿呆なことを聞くなと言った感じで苦笑を浮かべた。
その傲慢とも言える態度は、ティアの不安や懸念を根こそぎ取り払うのには、充分な仕草であった。
ティアがそこに座れば、つま先がやっと床に届くか届かないかというもの。
なのにこの騎士様は、長い脚を見せびらかすように優雅に組んでも、片足はきちんと床に届いている。
そして、ふんぞり返っているように見えるその姿は、腹が立つほど、素晴らしくカッコいい。
最近メゾン・プレザンのシェフ見習いで入ったドゥールは、実は男性が好きな男性。だから絶対にドゥールにこの姿を見せてはいけないと強く思う程。
ちなみにこの騎士様のマントと剣は、ポールハンガーに掛けてある。けれど濃紺の上着は着たまま。秋だから肌寒いからなのだろうか。暖炉に火をくべるべきだろうか。
ティアは騎士様の少し後ろで直立不動でいながら、そんなことを思う。
───なんだか、以前も似たような光景に立ち会ったことがあったな。
と、そんなことも考えてみる。
ただその時は、自分はグレンシスに他の娼婦を宛がおうとしてしまったし、心の中で散々性格が悪いと悪態を付いていたし、舌打ちもしていた。忘れたいけれど。
それにグレンシスだって以前は帯剣して、警戒心剥き出しにしていた。でも、今は丸腰。だから、ちょっとは違う。
ちなみにティアは今、グレンシスが腰掛けている一人掛けのソファから半歩後ろに立っている。そんなわけで、椅子に座っているその表情までは見えていない。
グレンシスは確かに今、不機嫌であった。
でも、その理由はティアが思っているのとはかなり違う。大事なマダムローズとの対面をバザロフに持っていかれたことに憤りを覚えているのだ。
本来ならグレンシスがマダムローズに書簡を渡し、その後の指示を受けるという予定だったのだ。
なのに、いざマダムローズの部屋に一歩踏み入れた途端、バザロフは、あろうことかグレンシスを部屋から追い出したのだ。
まるで自分では力不足だと言われたようで、グレンシスは大変屈辱であった。……なんてことをティアは知る訳がない。
そしてグレンシスも、バザロフが完璧な私事───部下には聞かせることができない男女の会話をしたくてマダムローズと二人っきりになりたかったことも、知るわけがない。
ただ何も知らず、かつグレンシスから何も説明を受けなければ、ティアはこうして再会して、なし崩し的に二人で同じ部屋にいることに、グレンシスがひどく不愉快になっているのだと思い込んでしまう。
とはいえ今のティアは、拗ねた感情を持ってはいけないと自分に言い聞かせている。グレンシスが居心地悪い思いをしているのは、自分のせいだと責めている。
だから今はそっとしておくのが一番良い……はずなのだけれど、ティアはこの沈黙に耐えられなかった。
「あの……グレン様、お茶でも飲みますか?」
問いかけた途端、いらないとそっけなく言われると思いきや、
「お前が淹れてくれるのか?」
グレンシスは振り返って、行儀悪くソファの背もたれに肘を置きながらティアに問いかける。
その仕草も無駄にカッコいい。そして、グレンシスはとても嬉しそうだった。
まさか、そんな表情を向けられるとは思っていなかったティアは、途端に恥ずかしい気持ちになってしまう。
しかも運が悪いことに、しっかり部屋の隅には、お茶のセットがワゴンに用意されている。気持ちを落ち着かすために、ちょっと外へ出ることもできない。
でも、言いだしたからには、お茶を淹れなくてはならない。
ティアはぎくしゃくとワゴンの元に足を向け、お茶の準備を始めた。
ただ、これまで何十回、いや何百回もお茶を淹れてきたというのに、これがグレンシスにと思うと手元が狂いそうになる。
そんな挙動不審なティアの動作は、しっかりグレンシスにも伝わっていた。
「気まずいか?」
「っ!?」
ティアは思わず手にしていた紅茶の缶を放り出しそうになった。
なんとかそれを床にぶちまけることはなかったけれど、缶を持つ手は唇と同様に笑ってしまうほど震えている。
それを冷静に見ていたグレンシスは、静かに立ち上がりティアの手から紅茶の缶を奪ってワゴンの上に戻す。
次いで、ティアと正面から向き合った。
「俺は、お前に会えて、とても嬉しい」
一語一句、ちゃんとティアに届くように、グレンシスは芯のある声でそう言った。
反対にティアは、きゅっと唇を噛み俯く。
あんな別れ方をしたというのに、こういう時『私も』と、言って良いのだろうか。そんな図々しいことを言って良いのだろうか。
そんなことを悶々と悩み始めるティアだったけれど、その前に、グレンシスにきちんと伝えなければならないことがあったことに気付く。
「グレン様、聞いて欲しいことがあるんです」
「ん?なんだ?」
俯いたまま小声で切り出せば、グレンシスは優しい口調で膝を折り、ティアを覗き込んだ。
その仕草は返って、言いにくくしていることなど知りもしないで。
案の定ティアは、今から自分が口にすることは、もしかしてウザいと思われるかもしれないと不安を抱いてしまう。
けれど、グレンシスに聞いて欲しい気持ちが勝ってしまった。
ティアは緊張のせいで少し乾いた唇を湿らせてから口を開く。
「ロムさんに求婚されたの、聞いてましたか?」
「ああ、聞いていた」
「それのことなんですが」
「ああ」
打って変わって、気のない相槌を打つグレンシスにティアは怖じ気づいてしまう。
でもグレンシスの瞳は妙にせっついてくるし、ティア自身も、後には引けない。
だから、すぐに他の男に乗り換えるような節操のない女ではないことを伝えたくて、必死に言葉を紡ぐ。
「私、断るつもりでした。わ、私……グレン様からの求婚を断ったのに……他の人からのそれを受ける気なんて……あの、これっぽっちも思ってなんかいません。それに私は今でも……あ」
───あなたのことが好きです。
うっかり、こぼれてきそうになる本音に、ティアはひっくり返るほど驚いた。
もう全部が過去の事だというのに、あまりに未練たらしい。
気を抜けばポロリと好きという言葉が転がり落ちてしまいそうで、慌てて口を両手で覆う。
そんな中途半端に終わった説明に、グレンシスは、だからどうした?と言うと思いきや、どこか安心したように薄く笑った。
「なんだそんなことか」
オイルランプで照らされた部屋で、グレンシスが息を呑むほど、優しい笑顔を浮かべるのがわかった。
言葉にできない感情がティアの心の中で激しく渦を巻く。
「グレン様にとっては、その程度……のことですか?」
かすれた声でティアが問えば、グレンシスは緩く首を横に振った。
そしてグレンシスは、阿呆なことを聞くなと言った感じで苦笑を浮かべた。
その傲慢とも言える態度は、ティアの不安や懸念を根こそぎ取り払うのには、充分な仕草であった。
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