エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

当麻月菜

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第二部 再開と再会の、秋

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 突然だけれど、ロムはティアより1つ年上の19歳で、西のトニアという海沿いの町で貿易商を営む商家の次男坊である。
 
 ちなみにこのトニアという町は、気が強い女性が多い土地柄でもあったりする。

 トニアに住む女性は、少しでも気に入らないことがあれば、はっきりと嫌と意思表示をするし、不快なことを言われたら問答無用で張り手をお見舞いすることだってある。

 そしてロムはこのメゾン・プレザンで働くまでずっとトニアで生まれ過ごしてきた。だから、女性というのは総じてそういうものだと思い込んでいる。

 という訳で、自分の言葉を否定されることもなく、まして、張り手も受けないならば、押せばイケると勘違いしてしまう。もっと言うと、ティアが何も言わないのは、恥ずかしがっているのかも、と勘違いをしてしまっていたりもする。

「ティアは可愛いな。やっぱり女の子はこうでなくっちゃ」

 満面の笑みを浮かべて、ロムは一歩ティアに近づく。

 ───やっぱりって何?こうでなくっちゃっのはどれ!?
 ティアは心の中で悲鳴を上げた。

 それに可愛いなんて言葉は、グレンシスに言われれば、悶絶する台詞なのに、ロムから言われたらちっとも嬉しくない。いや、嬉しいどころか気持ち悪い。控えめに言って、不愉快だ。
 
 そんな気持ちで睨みつけるけれど、ロムはどこ吹く風。また一歩、ティアに歩み寄る。

 ティアは更に後ろに下がろうとするけれど、背中に何かが当たった。壁ではない。金木犀の木だ。

 星の欠片のようなオレンジ色の小さな花と甘い香りは大好きで、花が咲くのを心待ちにしていたけれど、今は邪魔で仕方がない。
 思わず舌打ちをする。と、同時にロムと目が合った。ヒヤリとしたものが背中を這う。

 ───嫌だ、怖い。
 
 ロハン邸で、グレンシスに詰め寄られた時とはまた違う危機感に、ティアの身体が小刻みに震えた。

 あの時、ティアは恐怖というよりは戸惑いの方が強かった。でも今は違う。 
 ついさっきまで目の前の男が同じ職場で働く仲間だと思っていたのに、それが得体の知れない何かに変わってしまったことに底知れぬ恐怖を感じている。

「ロムさん、こっちに来ないでください」

 精一杯のティアの拒絶の言葉も表情も、残念ながら今のロムにとったら、ただのはにかみにしか見えない。

「どうして?恥ずかしいの?」

 拗ねた飼い猫を宥めるような笑みを浮かべて、ロムはティアに手を伸ばす。そしてその手がティアの腕に触れようとしたその瞬間───突然、ティアの視界が深紅色に覆われた。

「あいにく、こちらが先に約束を取り付けている」

 険を孕んだ口調が耳朶を刺したと同時に、ティアの身体がふわりと浮いた。

「……グレ……あ、騎士様」
「おい、お前、取引をしたことを忘れたのか?」

 両脇に手を入れられ持ち上げられたティアは、否が応でも自身を持ち上げた人物───グレンシスと同じ目線になってしまう。

 そして、呆れた口調の中にも有無を言わせない何かを感じ取れば、すぐさま撤回しなければならない。

「……お、お久しぶりです。グレン様」
「久しぶりだな。ティア」

 名を呼ばれたことで満足したグレンシスは、そっとティアを地面に降ろすと、すぐに背に庇った。

 ティアはこれが夢ではないと信じたくて、視界に入った深紅のマントをぎゅっと握ってしまう。すぐさま、大きく節ばった手が伸びる。

 そして、マントを握った手を振りほどかられると思った。でも違った。
 何度も触れてくれたその手は、ティアの手に重ねられただけだった。

 少し体温の高い大きな手にすっぽりと包まれば、すぐに全身に温もりが広がる。恐怖から凍えてしまったティアの身体を優しく解きほぐす。

 ティアに触れるグレンシスの手はどこまでも優しい。けれど、その表情は真逆なものを浮かべていた。そして、その口調も。

「お前に用は無い。さっさと消えろ」

 顎でしゃくって必要以上に余裕を持ったグレンシスの言い方に、ロムは露骨にむっとする。

「お客様、申し訳ありませんが、まだ開館前でございます」

 邪魔しやがってという気持ちも隠すことなく顔を出しながら、ロムはグレンシスに慇懃に礼をした。

 顔を上げた表情は『だから、今すぐ帰れ』とありありと告げている。───だが、ここで真打が登場した。

「随分な物言いだな」

 そう言ったのは、グレンシスではない。

 このメゾン・プレザンの真の主。バザロフであった。

「半年近くここにいるのに、客の対応の仕方も覚えられないのか?このひよっこ。……いつから儂は開館時間を守らなければならなくなったのか?」
「あ、いえ。そんな……」

 日頃はその厳つい顔を補うように、無駄に温厚さを心掛けているバザロフであるが、今は剣鬼のオーラを容赦なくロムにぶつける。

「ん?どうした?もう一度言ってみろ」

 大股で近づいたバザロフに、ロムはひっぃぃっと情けない声を上げた。

 その姿は、弱い者いじめをしているようにしか見えない。けれど、残念ながらロムを擁護する者はここにはいなかった。

 そんな情け容赦ないバザロフに、ロムの処理を任せたグレンシスは、振り返ってティアに声を掛ける。

「ティア、マダムローズのところまで案内してくれ」
「へ?」

 ティアは返事と呼ぶには、いささか間の抜けた声を出した。

 でも本当に意味がわからなかった。

 そんなティアに向かい、グレンシスは淡々と言葉を重ねる。

「既に連絡はいっているはずだから、問題ない。今すぐ案内してくれ」
「……はぁ」

 相も変わらず横柄な態度だ。ティアは溜息を落とすとともに苦笑した。

 でも何一つ変わっていない。

 夜の森のような艶のある深緑色の髪。氷水のようなひんやりとしていて、それでいて潔い美しさを持つブルーグレーの瞳。そして意志の強そうな眉。整いすぎた目鼻立ち。

 季節が変わってもグレンシスは、まばゆい程に美しい。
 ティアは状況を忘れて、うっとりと見とれてしまいそうになる。

 が、グレンシスはじっと自分を見上げるティアの視線を遮るように手にしていた書簡を付き出した。

「これを届けに来ただけだ」

 ………なんだ、先約とはマダムローズのことだったのか。

 ティアは自分でもドン引きするくらいがっかりしていた。先約とは、求婚のことだと僅かにでも思ってしまった自分がとても恥ずかしい。

 もうグレンシスにとって過去のことになっているのだ。
 ティアは小さく頭を振って、気持ちを切り替える為に深呼吸をする。

「かしこまりました。では、ご案内いたします。こちらへどうぞ」

 ティアは先頭に立ち、グレンシスをマダムローズの元に案内する。

 ぽてぽてと、籠を持ったまま。しぼんでいく気持ちを誤魔化すように、ただ歩くことだけに専念する。

 だから、前を歩くティアは、バザロフが途中で合流したことにも気付いていない。

 そして、グレンシスの視線にも。
 一度でも振り返って見てみれば、ティアのことをどれだけ求めているのか説明など不要だというのに。

 



 グレンシスだって、ティアが落胆していることに多少は気付いていた。そして、本当は言葉でちゃんと伝えたかった。どれだけ求めていたか。どれだけ焦がれていたかを。
 
 けれど、今は、手にしているひしゃげた形になってしまった書簡がそれを邪魔している。

 それほど国王陛下からのお手紙は、大変厄介で面倒な内容で、ティアの身に関わることだった。
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