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第二部 再開と再会の、秋
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「………ティア、ちょっと良いか?」
メゾン・プレザンの裏口の扉を開けようとした途端、ティアは馴染みのある男の声で呼び止められた。
───トクン。ティアの心臓が大きく跳ねた。
頭で考えるより、身体の方が先に振り返っていた。
けれど、ティアに声を掛けたその人は、深緑色の髪ではなかった。
「……え、ロムさん、どうされましたか?」
『……』の間に、落胆した気持ちを胸の奥に押し込んで、ティアは2ヶ月前よりバトラー姿が板についてきたロムに問いかけた。
けれど、ロムはもじもじとするだけ。なかなか口を開こうとしない。
残念ながらティアにとってロムは、メゾン・プレザンで働く仲間の一人でしかない。
そしてロムの容姿は、茶褐色の髪と瞳。中肉中背で、強いて言えばそばかすが彼の唯一の特徴。どう頑張っても、普通という枠からはみ出すこともない。
そんなわけでロムのはっきりしない態度は、ティアを苛つかせるだけ。
それに仕事上の相談相手として自分を選ぶのは、正直言ってお門違い。あと、さすがにここは裏口だ。よもや迷子になったわけではないだろう。
淡々と頭の中で考えた結果、ティアはこれ以上ここに留まる理由を見つけることができなかった。
「あの、ロムさ───」
「大事な話があるんだ」
「……はぁ」
申し訳ないが、ロムが大事に思うことは、多分、自分にとって些末な内容に違いない。
そんな冷たいことをティアは考える。……けれどその予測は、外れた。
「ティア、僕と結婚してくれっ」
「……っ」
予想だにしなかったロムのいきなりの求婚に、ティアはものの見事に固まった。
ちなみにティアは2ヶ月前、王女を嫁ぎ先の隣国まで送り届ける任務のため、問答無用でロハン邸に連行された。
その時、ロムが今にも泣きそうな顔でティアを見送っていたことなど、綺麗さっぱり忘れてしまっている。
反対にロムはメゾン・プレザンで共に過ごした経験から、ティアが無表情でいることにも慣れ切っている。
しかも拒絶されなかったことに、これ幸いにと、どんどん言葉を続けていく。
「僕、ここで働き出してから、ずっとティアのこと好きだったんだ。あんな顔だけしか取り柄のないような鼻持ちならない騎士野郎の元から戻ってきてくれて、すっごく嬉しいよ」
熱で浮かされたようなロムの表情を見て、知らず知らずのうちにティアの眉間に皺が寄る。
まるでティアがここに戻ってきたきたのは、ロムが居たから。そんなふうに聞こえてしまう。
───いや待て。戻ってきたのはお前の為じゃない。
ティアはそんなふうに悪態を付くと共に、心底呆れた様子で溜息を吐く。
だが、しょっちゅうメゾン・プレザンの館内で迷子になったり、新人あるあるの失態ばかりを繰り返していた過去を持つロムは、ティアの溜息には耐性があった。
だから都合よく気付かない特技すら、身に付けてしまっていた。
そういうわけでロムは引き続き、想いの丈のティアにぶつける。
「ティア、こんなところ一刻も早く出ようっ。君だってメゾン・プレザンなんかに好き好んでいるわけじゃないんだろ?うん。僕もそう思っている。ティアはここにいるような人間なんかじゃないっ。一緒に、故郷に戻ろう。な?良いだろ」
キラキラと目を輝かせて、ロムはティアに詰め寄る。
対してティアは、大変怒り心頭であった。
───は?こんなところ?メゾン・プレザンなんかに?
明らかに無意識に口にしたであろうロムの言葉は、良い感じにティアの逆鱗に触れた。
ティアにとって、メゾン・プレザンはかけがえのない大切な場所。
そして、唯一無二の居場所───と、ティアが決めたところ。
なのにロムは、それを全力で否定した。
しかもあろうことか、ティアも同じ気持ちでいると勝手に決めつけたのだ。
ティアからすれば、これは大変な屈辱だった。
そして間の悪いことに、また大切なことに気付いてしまう。
グレンシスはティアに間違ったことを正してはくれたけれど、ただの一度だって、大切にしているものを否定することも侮辱することもなかった。
横柄でガミガミと口やかましくて、時に強引なところもあったけれど、一生懸命、ティアのことを理解しようとしてくれていたのだ。
まったく、なんで今、そんなことに気付かせてくれるんだっ。
ティアは地団駄を踏みたい衝動に駆られた。
つまりロムは求婚の返事を貰えるどころか、二重の意味でティアの怒りを買ってましまったことになる。
まぁ、ティアの怒りの後半は、ほぼほぼ八つ当たりだけれども、トリガーを引いたのは間違いなくロムなので、多少は責任がある。
とはいえティアは、感情をむき出しにするのが苦手だった。
頭の中ではロムの胸倉を掴んで罵倒するなり、片腕に掛けたままの籠を勢いよく投げつけるなり、大声で泣いたりと、不快なことを示すための色々な手段が浮かんでは消える。
けれど、想像することはできても、実行に移すことがどれもできなかった。
【なにも自己主張をできない人間になってしまえば、肝心なときに何も言えなくなってしまうものだ】
不意にティアの脳裏に、ロハン邸の庭で贈られたグレンシスの言葉が蘇る。
───よりにもよってこんな時に、グレンシスの忠告が必要になるなんてっ。
ティアはとても複雑な心境になった。
そしてメゾンプレザンに戻ってから、訓練をさぼり続けていたことをものすごく後悔した。
だが、反省し後悔したところで、現実は何も変わらない。ロムの暴走は加熱していく。
「結婚式は、僕の生まれ育った町でやろうね。マダムローズもきっと僕たちを祝福してくれるさ。さっ、そうと決まったら、早速、マダムローズに報告に行こう」
ティアが無言でいるのを都合良く是と解釈したロムの瞳は、バラ色の未来を描いている。
対してティアは、ロムを毛虫を見るような目で見ている。……が、残念ながら当人にはその視線は届いていない。
さあさあとティアに手を伸ばそうとするロムに、嫌だ絶対にとジリジリと後退するティア。
ちなみにメゾンプレザンは、開館前でてんてこ舞い。皆、自分のことで手一杯。
裏庭まで足を伸ばして、ティアを探してくれる者はいない。
つまりこれはいわゆる、窮地。という状態であった。
メゾン・プレザンの裏口の扉を開けようとした途端、ティアは馴染みのある男の声で呼び止められた。
───トクン。ティアの心臓が大きく跳ねた。
頭で考えるより、身体の方が先に振り返っていた。
けれど、ティアに声を掛けたその人は、深緑色の髪ではなかった。
「……え、ロムさん、どうされましたか?」
『……』の間に、落胆した気持ちを胸の奥に押し込んで、ティアは2ヶ月前よりバトラー姿が板についてきたロムに問いかけた。
けれど、ロムはもじもじとするだけ。なかなか口を開こうとしない。
残念ながらティアにとってロムは、メゾン・プレザンで働く仲間の一人でしかない。
そしてロムの容姿は、茶褐色の髪と瞳。中肉中背で、強いて言えばそばかすが彼の唯一の特徴。どう頑張っても、普通という枠からはみ出すこともない。
そんなわけでロムのはっきりしない態度は、ティアを苛つかせるだけ。
それに仕事上の相談相手として自分を選ぶのは、正直言ってお門違い。あと、さすがにここは裏口だ。よもや迷子になったわけではないだろう。
淡々と頭の中で考えた結果、ティアはこれ以上ここに留まる理由を見つけることができなかった。
「あの、ロムさ───」
「大事な話があるんだ」
「……はぁ」
申し訳ないが、ロムが大事に思うことは、多分、自分にとって些末な内容に違いない。
そんな冷たいことをティアは考える。……けれどその予測は、外れた。
「ティア、僕と結婚してくれっ」
「……っ」
予想だにしなかったロムのいきなりの求婚に、ティアはものの見事に固まった。
ちなみにティアは2ヶ月前、王女を嫁ぎ先の隣国まで送り届ける任務のため、問答無用でロハン邸に連行された。
その時、ロムが今にも泣きそうな顔でティアを見送っていたことなど、綺麗さっぱり忘れてしまっている。
反対にロムはメゾン・プレザンで共に過ごした経験から、ティアが無表情でいることにも慣れ切っている。
しかも拒絶されなかったことに、これ幸いにと、どんどん言葉を続けていく。
「僕、ここで働き出してから、ずっとティアのこと好きだったんだ。あんな顔だけしか取り柄のないような鼻持ちならない騎士野郎の元から戻ってきてくれて、すっごく嬉しいよ」
熱で浮かされたようなロムの表情を見て、知らず知らずのうちにティアの眉間に皺が寄る。
まるでティアがここに戻ってきたきたのは、ロムが居たから。そんなふうに聞こえてしまう。
───いや待て。戻ってきたのはお前の為じゃない。
ティアはそんなふうに悪態を付くと共に、心底呆れた様子で溜息を吐く。
だが、しょっちゅうメゾン・プレザンの館内で迷子になったり、新人あるあるの失態ばかりを繰り返していた過去を持つロムは、ティアの溜息には耐性があった。
だから都合よく気付かない特技すら、身に付けてしまっていた。
そういうわけでロムは引き続き、想いの丈のティアにぶつける。
「ティア、こんなところ一刻も早く出ようっ。君だってメゾン・プレザンなんかに好き好んでいるわけじゃないんだろ?うん。僕もそう思っている。ティアはここにいるような人間なんかじゃないっ。一緒に、故郷に戻ろう。な?良いだろ」
キラキラと目を輝かせて、ロムはティアに詰め寄る。
対してティアは、大変怒り心頭であった。
───は?こんなところ?メゾン・プレザンなんかに?
明らかに無意識に口にしたであろうロムの言葉は、良い感じにティアの逆鱗に触れた。
ティアにとって、メゾン・プレザンはかけがえのない大切な場所。
そして、唯一無二の居場所───と、ティアが決めたところ。
なのにロムは、それを全力で否定した。
しかもあろうことか、ティアも同じ気持ちでいると勝手に決めつけたのだ。
ティアからすれば、これは大変な屈辱だった。
そして間の悪いことに、また大切なことに気付いてしまう。
グレンシスはティアに間違ったことを正してはくれたけれど、ただの一度だって、大切にしているものを否定することも侮辱することもなかった。
横柄でガミガミと口やかましくて、時に強引なところもあったけれど、一生懸命、ティアのことを理解しようとしてくれていたのだ。
まったく、なんで今、そんなことに気付かせてくれるんだっ。
ティアは地団駄を踏みたい衝動に駆られた。
つまりロムは求婚の返事を貰えるどころか、二重の意味でティアの怒りを買ってましまったことになる。
まぁ、ティアの怒りの後半は、ほぼほぼ八つ当たりだけれども、トリガーを引いたのは間違いなくロムなので、多少は責任がある。
とはいえティアは、感情をむき出しにするのが苦手だった。
頭の中ではロムの胸倉を掴んで罵倒するなり、片腕に掛けたままの籠を勢いよく投げつけるなり、大声で泣いたりと、不快なことを示すための色々な手段が浮かんでは消える。
けれど、想像することはできても、実行に移すことがどれもできなかった。
【なにも自己主張をできない人間になってしまえば、肝心なときに何も言えなくなってしまうものだ】
不意にティアの脳裏に、ロハン邸の庭で贈られたグレンシスの言葉が蘇る。
───よりにもよってこんな時に、グレンシスの忠告が必要になるなんてっ。
ティアはとても複雑な心境になった。
そしてメゾンプレザンに戻ってから、訓練をさぼり続けていたことをものすごく後悔した。
だが、反省し後悔したところで、現実は何も変わらない。ロムの暴走は加熱していく。
「結婚式は、僕の生まれ育った町でやろうね。マダムローズもきっと僕たちを祝福してくれるさ。さっ、そうと決まったら、早速、マダムローズに報告に行こう」
ティアが無言でいるのを都合良く是と解釈したロムの瞳は、バラ色の未来を描いている。
対してティアは、ロムを毛虫を見るような目で見ている。……が、残念ながら当人にはその視線は届いていない。
さあさあとティアに手を伸ばそうとするロムに、嫌だ絶対にとジリジリと後退するティア。
ちなみにメゾンプレザンは、開館前でてんてこ舞い。皆、自分のことで手一杯。
裏庭まで足を伸ばして、ティアを探してくれる者はいない。
つまりこれはいわゆる、窮地。という状態であった。
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