エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

当麻月菜

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第二部 贅沢な10日間

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 反対に、ティアはグレンシスの言葉に、怒りにも似た感情を覚えていた。

 ずっと”良い子”で居続けた自分の化けの皮をむしり取るようなことを言われて。
 しかも、それが好きな人から。一番気付いて欲しくなかった人からだときたもんだ。「よりにもよって何故、あなたがそれを言う!?」と八つ当たりすらしたくなる。

 でも、それは言い換えるなら、自分のことをちゃんと見てくれていた。と、いうことでもあり。

 娼館育ちの、3年前ちょっとだけ関りを持っただけの自分のことを、気に掛けてくれたという何よりの証拠でもあって。

 ティアは怪我の治療をしてもらった時よりも、帰路の途中でクッションを買い与えて貰った時よりも、梨を剥いてくれたときよりも──今が一番、嬉しかった。

 死ぬ時を選べるなら、今が良いと思えるほど、全身が喜びで震えた。 

 そして、もう十分だとも思った。これ以上、何かを与えられたら、選ぶ選ばないに関わらず死んでしまうとも思った。

 けれど、後半の気持ちは残念ながらグレンシスには伝わらない。

 グレンシスは、ティアの頬に手を当てたまま再び言葉を紡ぐ。

「我慢することは、悪いことじゃない。我慢ができない人間のほうがよっぽどタチが悪い。だがな、駄目とか嫌と言われるくらいなら、はなから我慢した方が良いと思うのは違うぞ」

 パンにバターが染み込むように、グレンシスの言葉はティアの心の深い部分に染み渡る。

 ティアはこくりと頷いた。そうすることしかできなかった。

「それに、なにも自己主張をできない人間になってしまえば、肝心なときに何も言えなくなってしまうものだ。確かに拒まれれば、胸が痛む。拒絶されるのは、誰だって怖い。だがな、」

 変なところで言葉を止めたグレンシスに、ティアは伺うように目を合わせた。

 そして視線がきちんと合わされば、グレンシスは、とても柔らかく慈愛に満ちた表情を浮かべた。

「俺はお前の要求を拒むことはしない。絶対に」

 ああ、多分、今のこの言葉は見えない宝石だ。

 そうティアは思った。真珠より、ダイヤモンドより、サファイアより美しく永久に輝く言葉だと思った。

「……はい」

 こんな身の丈に合わない素敵すぎるものを貰ってしまったティアは、やっぱりこれも頷くのが精一杯だった。

 でも、両手を胸に合わせてぎゅっと押さえる。
 まるで、これは自分だけのもの。と、大切に抱え込むように。

 ティアの言葉はとても短いもの。そして、小さな仕草だった。

 でもグレンシスは、ちゃんとわかってくれたようで、大きな手をティアの頬から頭に移動して、そのまま、ぽんぽんと軽くたたいた。

 だが、話はこれで終わり。二人は、散歩を再開……とはいかなかった。

「よしっ。なら早速、何かワガママを言ってみろ」
「はい!?」

 思わぬ流れになって、ティアは素っ頓狂な声を上げた。

 ピチチッチチッピチッと、小鳥の迷惑そうな声が聞こえてきたが、そんなことに構っている余裕はない。ついでに2歩、後ずさる。

 けれど、グレンシスは一歩で開いた距離を詰め、普段の不遜な態度に戻ってしまった。

「何事も、日頃の鍛錬が大事なんだぞ」

 まるで剣術の稽古のように言われ、ティアの顔が引きつる。

 けれどグレンシスは、さあさあ何か言えと、無言の圧力をかけてくる。多分、この騎士様がせっかちなのは、死ぬまで治らない不治の病なのだろう。

 残念ながらグレンシスの不治の病は、移し身の術をもってしても癒せないのはわかっている。なので、そこは諦める。

 けれど、いきなりワガママを言えという無茶ぶりはいかがなものか。ティアは、少々腑に落ちなかった。

 情け容赦無いグレンシスをジト目で睨もうともした。けれど、その直前、頭上から甘酸っぱい香りが降ってきた。

 救いを求めるようにティアは、顔を上に向ける。
 見上げた先には、春には枝が見えないほどに白い花を咲かせるスモモの木があった。

 そう。今更だけれど、ティアたちはスモモの木の真下にいる。

 そしてその木は、伸びた枝葉で二人に木陰を作りつつも、今が食べごろと言わんばかりのたわわな果実もぶら下げていた。

「じゃあ………あ、あれっ、あれを取ってください」

 甘酸っぱい香りの元であるスモモの実を指さして、ティアが要求を口にした。

 もちろん、グレンシスは笑って頷いた。

 そして、背伸びをすることなく手を伸ばし………かけて、やめた。

「ほら、自分で取ってみろ」

 脇に手を入れられたかと思ったら、突然、ふわりと身体が浮いた。

「へ?──……ぅひゃっ」
 
 急に視界が高くなり、ティアは思わず足をばたつかせてしまう。途端にグレンシスから危ないと窘められる。

「遊ぶのは後にしろ。早く選べ」

 ──遊んでなんかいないし、危ないのはこっちの台詞だ。

 むっとするティアだけれど、すももの甘酸っぱい香りはとても魅力的だった。
 何より、これをもぎ取らなければ、この状況はいつまで経っても変わらない。

 なにせグレンシスは騎士だ。
 人並み以上の体力と筋力をお持ちの彼は、日が暮れてもずっとこうしているだろう。

 だからティアは、素直に果実をもいだ───2つのすももの実を。

「取りました」

 言うが早いか、そっと地面に降ろされたティアは、すかさずグレンシスにその一つを差し出した。

「どうぞ」

 持ち主に差し出すのも何だか変な気がしたが、グレイシスは嬉しそうに受け取ってくれた。
 
「ありがとう」

 逆光でもないのに、眩しそうに目を細めるグレンシスは、そのまま手にした果実を口元に運ぶ。

 いきなり齧るなんて豪快だ。そんなことをティアが思った矢先、グレンシスは白い歯を見せることなく、唇に弧を描いたまま、すももにそれを押し当てた。

「……っ」

 まるで、赤紫色に熟したすももが自分のように思えて、ティアの頬も、収穫直前のそれに似た色に染まる。

 恥ずかしさのあまり、両手て頬を挟んで俯けば、くすりと甘い笑いが降ってきた。

 無自覚に翻弄しないでっ。ティアは心の中で叫んだ。

 まったくもってイケメンとは罪である。息するだけで犯罪である。存在が罪深い。

 そんなふうに心の中で悪態をつくティアを無視して、グレンシスはとんちんかんなことを口にした。

「やっぱり、果物だけではそう簡単に体重は増えないか……」

 とてつもなく失礼なことを言ったグレンシスだけれど、なぜかティアはムッとした表情にはならなかった。

 もうグレンシスが、顔に似合わず不器用な一面があることを知っているから、顔を上げ、苦笑を一つ浮かべるだけで済ますことができる。

 ただ、もっとご飯を食べるという約束はしなかった。
 ティアは、できないことをおいそれと口にすることは、また別の事だと知っているから。
 

 さて、すももの花言葉は甘い生活。まさに、今のティアとグレンシスの生活のよう。
 ……けれども、誤解や困難といった負の意味の花言葉の意味も、持っていたりする。
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