エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

第一部 王女と、移し身の乙女の願い

5

「……ぅう」

　突然襲ってきた痛みに、ティアは思わずうめき声を上げた。

　思わずよろけてしまったけれど、さっきまでティアを支えてくれていたグレンシスは、今はいない。
　これからの指示を騎士達にするために、ティアにすぐに戻ると言って離れたのだ。　
　
　そのおかげで、ティアは冷静さを取り戻すことができたけれど、捻挫の痛みまで自己主張し始めたというわけなのだ。

　しかもティアは、移し身の術を使えば、その痛みまで引き受けることになる。
　そして元反逆者の農夫が負傷した場所は、奇しくもティアが負傷したところと同じ場所。

　引き受けた痛みは農夫よりも激減しているとはいえ、加えての痛みはなかなかのものだ。

　だがこの痛みは、嫁ぐ王女へのティアなりの贈り物でもある。だから甘んじて受ける。

　……受けるけれど、そろそろ冷やすくらいはしといたほうが良いだろう。それにグレンシスがいない今が、絶好のチャンス。
　
　戻って来てから手当を受けるなんて、本気で困る。断じて困る。心臓がもたない。

　そう思ってティアが、どこか小川はないか探そうとした。その時───

「ティア、民の傷を癒してもらえて恩に着る」
　
　アジェーリアは静かにティアにそう言った。

「……い、いえ。そんな」

　王族から恐れ多い言葉を賜ったというのに、ティアは、ごにょごにょと不明瞭な言葉を紡ぐことしかできない。

　それは足が痛くて、しどろもどろなっているわけではない。
　できれば、そこには触れて欲しくなかったのがティアの本音。

　不気味な呪文。タネのない手品のような光。そして、変化する瞳の色。

　どれをとっても、アジェーリアの度肝を抜くものであっただろう。
　グレンシスに気持ち悪いと思われるのも辛いけれど、アジェーリアにそう思われるのもなかなか堪える。

　それに、これまで一緒に旅をしてきた騎士達だって目にしたはずだ。
　きっと自分を見る目が変わってしまっただろう。

　移し身の術を使ったことは何一つ後悔していないけれど、これからの道中を考えるととても気が重い。

　ティアは小さく息を吐く。ついつい視線も下を向く。　

　けれど、つま先まで視線が下がる前に、柔らかい何かが頬に触れた。それは、そのまま滑るように顎へと移動する。
　一拍遅れて、それがアジェーリアの指先だということに気付く。

　そして驚いて顔を上げれば、ティアの顎に指をかけ、柔らかく微笑むアジェーリアがいた。

「綺麗な目じゃなぁ。金の瞳など、わらわは初めて見た」
「……っ」

　アジェーリアのその言葉で、未だに自分の瞳が元に戻っていないことに気付いた。

　この瞳の色が変化する時間はまちまちで、ティアの意志ではどうすることもできない。ただ、必死に元に戻れと祈る事しかできない。

　あと綺麗という言葉は、あまりに勿体無い言葉過ぎて、自分の中で勝手に消去する。
　
　そしてこのまま見られる恥ずかしさに耐え切れず、ティアは失礼千万は承知で、アジェーリアから顔を背けようとした。

　が、アジェーリアはそれを先に察して反対の手をティアの頬に当て、それを阻止する。
　そして、すぃっと目を細めて口を開いた。若干、低い声で。

「さてティア。そなた足が、かなり痛むのであろう。───……グレンシス、手段は選ばなくて良い。手当てをせい」
「はっ」

　間髪入れずに、身の毛もよだつような不機嫌な声が降ってきた。

　ティアがぎょっとして、思わず声のする方を向けば、声以上に不機嫌な顔をしたグレンシアと目が合った。
　もちろん、ぶんっと音がする勢いで顔を逸らす。

　それにしても、いつの間に戻ってきたのだろう。
　あの流れでは、てっきりグレンシスも城塞に戻ると思っていたのに。

　そんなことを考えながら、ティアはあらぬ方に目を泳がす。
　そして、グレンシスから手当てを受けるなんてご免こうむりたいと思うティアは、咄嗟に苦し紛れの嘘を吐く。

「……い、い、痛くなんてないですよ」

　が、そんなことでグレンシスが見逃してくれるはずはなかった。

「お前、あんまり意地を張っていると、痛めた足を握り潰すぞ」
「……ひぃ」

　洒落にならない言葉を吐くグレンシスに、ティアは震えあがった。

　あまりの恐怖から脱兎のごとく逃げ出そうとするけれど、それよりも先にグレンシスがティアを抱き上げた。それから手近な岩を見付けると、そこにティアを降ろす。
　アジェーリアも、腕を組み苦笑を浮かべながら、すぐにそこに移動する。

　そして、慌てふためきながら立ち上がろうとするティアを阻むように、グレンシスは膝を付いた。

「腫れ具合を確認させてもらうぞ」

　一方的に宣言したグレンシスは、自分の手袋を外すとティアのスカートに手を入れる。次いで、何のためらいもなく靴下を一気に脱がせた。

「！！？？」

　ちなみにそうされたティアは、驚きのあまり声を上げることもできなかった。

「ほんにまぁ………まるで焼き立てのパンのようじゃな」
「………」

　ティアの足を覗き込みながら、アジェーリアは心配を通り越して呆れた顔をする。
　反対に、グレンシスはまるで自分が傷を負ったかのように、顔をゆがめた。

　ティアの足首は、アジェーリアの言葉通りパンパンに腫れ上がっていた。痛みに強い騎士であっても、平常心など保てない程の症状だった。

　誰がどう見ても、痛いはず。グレンシスの眉間の山脈は更に深くなった。

　けれど、その足の持ち主であるティアの心の臓は、臨終寸前であった。

　素足、素手、素足、素手、素足、素手、素足、素手。

　早鐘を打つ心臓に合わせて、その二つの文字がリズム良くティアの頭の中でまわる。

　それに、グレンシスが自分の正体を知ったというのに、不機嫌ながらも変わらず優しくしようとするものだから、本当に、本気で勘違いしてしまいそうになる。いやもう、ガチで。

　嬉しさからの急降下は、どれだけ辛いか、この騎士様は知っているのだろうか。

　それとも騎士様は、自分を遠回しにいたぶっているのだろうか。
　なら、もういっそ殺して欲しい。

　ティアは心の中でそう泣き叫んだ。

　さて、ここで突然だけれども、ご存知の通りグレンシスは、口が悪い。
　ただもう一つ欠点を付け加えるなら、肝心な時に言葉が足りない男でもあった。
　そして、女性の機微な感情に大変疎い男でもあった。

　だから感情が高ぶり涙目になったティアを見て、グレンシスはそれ程までに足が痛むのかと、沈鬱な顔をした。
　悲しいほどの勘違いである。

「相当痛いだろう」
「………足、汚れますよ」
「構うものか。それよりすぐ冷やした方が良いが……まずは、固定しておいた方が良いな」
「あの……」
「なんだ？」
「騎士様、私の事は良いですので、お仕事をされたほうが───」
「本気で痛い思いをしたいようだな」
「っ！？」

　びくりと身体を震わせたティアに、グレンシスは低い声で笑った。

「……冗談だ」

　嘘だ。絶対に嘘だ！！

　ティアは心の中で叫んだ。

　だって、低い声で笑うグレンシスの目は、相も変わらず美しかったけれど、全然笑っていない。
　アレは間違いなく本気の目だった。

　……駄目だ。もう、逃げられない。ティアは自分の運命を悟った。そして───

　蛇に睨まれた蛙。まな板の上の鯉。運否天賦にケセラセラ！

　腹をくくるために、知っている慣用句だか何だかを心の中で並べ立てながらティアはギュッと目を瞑った。



　───さてさて、さっきの言葉がグレンシスにとって冗談だったのか本気だったのかは置いといて。

　グレンシスは、無事、ティアを大人しくさせることに成功した。
　そしてティアの足を膝に置いたまま、グレンシスは懐から布を取り出し、器用に足首を固定する。

　応急処置は、騎士の基本。だからグレンシスにとっては、これくらいのことは慣れたもの。

　けれど、ティアに触れるその手は、壊れ物を扱うような慎重さ。
　まるで見習い騎士が初めて処置講習を受けるかのように、とてもとても緊張したものだった。