エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

当麻月菜

文字の大きさ
上 下
11 / 101
第一部 俺様騎士と悟りの少女

7

しおりを挟む
 中堅クラスの客の部屋といえども、ここは優雅な調度品に包まれている。
 そして1階のエントランスホールのすぐ横のラウンジからは、楽団の演奏が続いている。

 今宵は上弦の月。ほどよく暗い。
 窓のカーテンは開け放たれているので、そこから幻想的な庭の光景が否が応でも入り込む。

 そんなお膳立てされたこの空間で、男女のどちらかが天蓋付きのベッドへと誘へば、最高の夜が始まるだろう。

 けれど、ティアとグレンシスの間にはそういう雰囲気は皆無。
 そして、部屋の空気は、綺麗に二分されている。

 一方的な解釈で納得した空気を醸し出すものと、理解できず不機嫌な空気を醸し出すもの。

 前者であるティアは、うねりができそうな空気をものともせず、現在、片手で顔を覆って思慮の樹海に入り込んでしまったグレンシスに問いかけた。

「ナフリエ姐さまですか?それともサラ姐さまですか?」
「は?」
「……違いますか。では、アリス姐さまですか?あっユーナ姐さまでしょうか?」
「さっきから、お前は何を言っているんだ?」

 覆っていた手を離して顔を上げたグレンシスは、胡乱げな表情をしていた。
 そしてそれは、次第に不機嫌さを増していく。

 エリート騎士といわれているグレンシスはそこそこ頭が良いし、察しも良い。
 けれど、さっきからティアの言っている意味がまったくもって理解できないのだ。

 そのことを人並みに空気を読むことができるティアは気付いてしまう。

 なによもう。察しが悪いなぁ、こういうことを皆まで言わせないで、とティアは肩をすくめながら心の中で悪態を付く。
 そして、やれやれ、と言いたげに口を開いた。

「騎士様は、私のような者に接待を受けるのがご不満なのでしょう?つまり、どなたか、既にお好みのお姐さまをお決めになっておられるのでは?」
「はぁ?」
「あいにく本日は満室御礼となっており、今、申した姐さま達はすでに接客中であります」
「いや、ちょっと待て」

 グレンシスは組んでいた足を戻して、中途半端に立ち上がろうとした。

 けれど、ティアはそれを遮るようにグレンシスの正面に立ちふさがる。
 そして丁寧に頭を下げた。

「ご期待に添うことができず申し訳ありません。ただ、文をしたためてください。私が責任を持ってお姐さまにお渡しします。後日、意中のお姐さまとの席を設けることができるようにします」

 ティアはきっぱりと、そう宣言する。
 そして、便せん便せんと呟きながら、備え付けのチェストへと移動する。

 ただ良く見れば、引き出しを探るティアの小さな手は小刻み震えているし、唇をきつく噛んでいる。
 
 ティアは自分で言ったはずなのに、とても動揺していた。
 そして、こんなことで狼狽えてしまう自分が馬鹿みたいだと、笑えてしまう。

 グレンシスは、ティアがかつて自分の傷を癒したことを覚えていない。
 だから自分達の間柄は、つい10日前に、裏庭でちょっと見かけただけというのは、ちゃんとわかっている。

 それにティアは、グレンシスに好きになって欲しいなんて考えてもいない。
 だからグレンシスがどんな趣味趣向を持っていてもとやかく言う権利はないのだ。

 なのに、なぜこんなに胸が痛いのだろう。

 グレンシスに背を向けているティアは、そっと左胸を押さえた。

 心の臓と、グレンシスから移した傷跡。
 そのどちらが痛んでいるのかわからない。

「──……俺は、そんなつもりでここへ来たわけじゃない」

 喉の奥から絞り出したようなグレンシスの言葉に、ティアは、ぱちりと一度だけ瞬きをする。

 無表情にしか見えないティアだけれど、今、とても驚いていた。
 欲しい言葉を貰えて、歓喜が全身を包む。

 とても現金だが、嘘みたいに胸の痛みが消えた。

 けれど、疑い深いティアは、まだ手放しに喜ぶことができなかった。

「あら……では、派遣型をご所望でしたか?でも、私にはそんな権限はありません。後ほど──」
「違う!!」

 グレンシスは今度はティアの言葉を遮って、窓ガラスが震える程の大声を出した。

 どうでも良いことかもしれないが、派遣型とは娼婦を自宅に呼び接客させること。この業界の専門用語でもある。

 と、いうのは本当にどうでも良いことで……兎にも角にも、グレンシスは我慢の限界だった。

 意味も分からないまま、上司であるバザロフに半ば強引にこんなところに連れ込まれて。
 そして年端もいかない小娘と二人っきりにさせられて。

  しかもあろうことか、目の前の少女は、勝手に自分のことが気に入らないのだと判断して、業界用語である【チェンジ(他の娼婦を宛がうこと)】をしようとしているのだ。

 大変な屈辱であった。

 グレンシスには、想い人がいる。
 ただ、名前も歳もわからない。どこに住んでいるのかもわからない。
 手掛かりは、ほとんどない。けれど、それでもその女性に恋焦がれていた。

 グレンシスが恋に落ちたのは、。それからずっとずっと、その人を探し続けている。 

 だからこそ、グレンシスは余計にティアの言動に苛立ったのだ。

 もし万が一、その女性の耳に自分が娼館に通ったなんていう事実が入って幻滅されてしまったらどう責任取ってくれるんだと。

 小娘相手にムキになるなともう一人の自分に諫められても、怒りはどうにもこうにもおさまらない。

 グレンシスは勢いよく立ち上がると、ティアに詰め寄った。

「何が派遣型だっ。ガキのくせに、そんな言葉を使うんじゃないっ。それに俺は何度も言っているが、仕事でここにきている。女漁りをするためなんかじゃないっ。だいたい、こんなところ、誰が好き好んで足を向けるものかっ」

 グレンシスが青筋を立てながらそう叫んだ瞬間、ガチャリと扉が開いた。
しおりを挟む
感想 143

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...