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第一部 王女様のお輿入れ
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屈託ない笑みを浮かべたアジェーリアは、ティアの言葉を心の中で反芻するために一旦、それを引っ込めた。
が、5秒後、堪えきれないといった感じで、王族としては如何と思うほど豪快に吹き出した。
その後、よっぽどティアの提案が可笑しかったのか、しばらくアジェーリアは声を上げて笑い続けた。
そしてティアの顔が引きつりかけた頃、ようやっとアジェーリアは口を開く。
目元に溜まった涙を拭いながら。
「……はっ、ははっ、ワガママを?そちにか?」
「はい。私は実は、娼館育ち故、そこそこのワガママは聞き入れることができます」
なんだか小馬鹿にされたような気がして、ティアは言わなくて良いことまでうっかり口にしてしまった。
「……しょうかん、じゃと?」
「はい、娼館です」
この時点でティアは、牢屋に放り込まれても仕方がないことを口にした。
それを聞いてしまった騎士達は、ぎょっとした表情を浮かべる。
グレンシスに至っては、余計なことを言うなと言いたげに青筋まで浮かんでいた。
もしかしたら、自身の屋敷で世話をしている体でいるのに、自分の名を汚すようなことをしてくれるなんてどういう事だとブチ切れているのかもしれない。
けれど、ティアは見ないふりをした。
恐ろしくて目を合わすことができなかったのもある。
あと、少しだけ……本当に少しだけ、出立してから一度も言葉を交わすことも、目を合わせようとすらしてくれなかったグレンシスに対して苛ついていたのもある。
後半の理由は、なぜだかよくわからない。
わからないけれど、実のところ割合的には後者の方が強かった。
それに、どうせ取り返しのつかないことを言ってしまったのだからという開き直りもあった。
そんな気配だけがざわめく中、アジェーリアはティアを咎めることはしなかった。
未知なる言語ゆえに、詳しく説明を求めたかったけれど、それも堪えた。
なんとかニュアンスだけで理解した。
そして、ティアが何の抵抗もなく菓子の名を紡ぐようにさらりと口にしたことに驚きはしたが、その藍色の瞳に侮蔑の色は一切無かった。
ただ、ふっと肩の力を抜いて目を細めただけ。
「……それは、とても頼もしいな」
「はい。お任せ下さい」
ニヤリと口の端を持ち上げて笑うアジェーリアに、ティアも望むところだと大きく頷いてみる。
ただティアは、もう意地を張っているだけでしかない。
少し考えれば、この無意味な意地がロイヤル級のワガママを受ける未来に繋がっているのだけれど、引っ込みがつかなくなっていた。
あと、流れ的に『気持ちだけもらっておく』という尊大なお言葉を貰えると根拠のない自信があったのも事実。
だけれども、現実はそんなに甘くなかった。
「なら、ティアさっそくじゃが」
「……へぇ!?」
ティアは、飛び上がらんばかりに驚いた。
まさかここで、しっかりワガママを頂戴するとは思ってもみなかった。
だけれども、ティアを見つめるアジェーリアの瞳に意地悪さも、からかいもなかった。それらが無かっただけに、ティアは嬉しくなかった。
ついには、あ、言うんだ。と苦笑さえ浮かべてしまう。
人を困らす天賦の才をもったアジェーリアが、ティアのその表情を見逃すはずはない。
久しく浮かべていなかった独特の笑みを浮かべて、アジェーリアはとある場所を指さした。
「これを全部、食せ」
「……は?へ?」
アジェーリアが指さしたのは、木の皿に盛られた菓子とサンドウィッチ。
ちなみにそれは、ほとんど手付かずで残っており、少なく見積もっても騎士達の軽食にもならにない量で、ティアの2食分の量があった。
「……これを、ですか?」
いくらなんでも、それはちょっと……無理だ。
どう頑張っても完食できない。無茶ぶりにもほどがある。
ティアはまだ一口も口に入れていないのに、すでに胸焼けがして胃のあたりをそっと撫でた。
次いで、早々に白旗をあげようとする気配を察したアジェーリアは、ティアが何か言う前に口を開く。
「ぬしは、余りにも細い。わらわより細いなど失礼千万じゃ。良いか?オルドレイ国に到着するまでに、わらわより太いウエストになってみせよ。これは命令じゃ」
見当違いなところで憤慨するアジェーリアに、ティアは思わず不満の声を上げてしまう。けれど───
「えー……んぐぅ」
アジェーリアは問答無用と言わんばかりに、ティアの口に焼き菓子の一つをねじ込んだ。
そうされたティアは吐き出すような不作法はできず、両手を口元に当てながら、それを嫌々ながらも飲み込んだ。
「ほれ、もっと食べろ。次はどれが良いか?わらわが自ら運んでやろう」
何かのスイッチが入ってしまったアジェーリアは、とうとう皿ごと持ちあげてしまった。
もう逃げられないことをティアは本能で悟る。
「ひぇぇっ」
悲鳴というには、あまりに情けない声を上げたティアだけれど、騎士たちは全員、深くうなずくだけ。
誰もティアの見方をしてくれるものはいなかった。
ただティアを見つめるその目は、アジェーリアと同じようにとても優しいものだった。
そんな中──グレンシスだけは、眉間に皺を寄せながらそっと視線を逸らした。
これ以上、ティアを視界に入れては何か過ちを犯してしまうかもしれないという恐れを抱くかのように。
そしてその表情は、再発した王女のワガママに頭痛を覚えているわけでもなく、ティアの突拍子もない申し出を止めることができなかった苦悩からくるものでもなく……まるで何か見えないものと闘っているかのようだった。
が、5秒後、堪えきれないといった感じで、王族としては如何と思うほど豪快に吹き出した。
その後、よっぽどティアの提案が可笑しかったのか、しばらくアジェーリアは声を上げて笑い続けた。
そしてティアの顔が引きつりかけた頃、ようやっとアジェーリアは口を開く。
目元に溜まった涙を拭いながら。
「……はっ、ははっ、ワガママを?そちにか?」
「はい。私は実は、娼館育ち故、そこそこのワガママは聞き入れることができます」
なんだか小馬鹿にされたような気がして、ティアは言わなくて良いことまでうっかり口にしてしまった。
「……しょうかん、じゃと?」
「はい、娼館です」
この時点でティアは、牢屋に放り込まれても仕方がないことを口にした。
それを聞いてしまった騎士達は、ぎょっとした表情を浮かべる。
グレンシスに至っては、余計なことを言うなと言いたげに青筋まで浮かんでいた。
もしかしたら、自身の屋敷で世話をしている体でいるのに、自分の名を汚すようなことをしてくれるなんてどういう事だとブチ切れているのかもしれない。
けれど、ティアは見ないふりをした。
恐ろしくて目を合わすことができなかったのもある。
あと、少しだけ……本当に少しだけ、出立してから一度も言葉を交わすことも、目を合わせようとすらしてくれなかったグレンシスに対して苛ついていたのもある。
後半の理由は、なぜだかよくわからない。
わからないけれど、実のところ割合的には後者の方が強かった。
それに、どうせ取り返しのつかないことを言ってしまったのだからという開き直りもあった。
そんな気配だけがざわめく中、アジェーリアはティアを咎めることはしなかった。
未知なる言語ゆえに、詳しく説明を求めたかったけれど、それも堪えた。
なんとかニュアンスだけで理解した。
そして、ティアが何の抵抗もなく菓子の名を紡ぐようにさらりと口にしたことに驚きはしたが、その藍色の瞳に侮蔑の色は一切無かった。
ただ、ふっと肩の力を抜いて目を細めただけ。
「……それは、とても頼もしいな」
「はい。お任せ下さい」
ニヤリと口の端を持ち上げて笑うアジェーリアに、ティアも望むところだと大きく頷いてみる。
ただティアは、もう意地を張っているだけでしかない。
少し考えれば、この無意味な意地がロイヤル級のワガママを受ける未来に繋がっているのだけれど、引っ込みがつかなくなっていた。
あと、流れ的に『気持ちだけもらっておく』という尊大なお言葉を貰えると根拠のない自信があったのも事実。
だけれども、現実はそんなに甘くなかった。
「なら、ティアさっそくじゃが」
「……へぇ!?」
ティアは、飛び上がらんばかりに驚いた。
まさかここで、しっかりワガママを頂戴するとは思ってもみなかった。
だけれども、ティアを見つめるアジェーリアの瞳に意地悪さも、からかいもなかった。それらが無かっただけに、ティアは嬉しくなかった。
ついには、あ、言うんだ。と苦笑さえ浮かべてしまう。
人を困らす天賦の才をもったアジェーリアが、ティアのその表情を見逃すはずはない。
久しく浮かべていなかった独特の笑みを浮かべて、アジェーリアはとある場所を指さした。
「これを全部、食せ」
「……は?へ?」
アジェーリアが指さしたのは、木の皿に盛られた菓子とサンドウィッチ。
ちなみにそれは、ほとんど手付かずで残っており、少なく見積もっても騎士達の軽食にもならにない量で、ティアの2食分の量があった。
「……これを、ですか?」
いくらなんでも、それはちょっと……無理だ。
どう頑張っても完食できない。無茶ぶりにもほどがある。
ティアはまだ一口も口に入れていないのに、すでに胸焼けがして胃のあたりをそっと撫でた。
次いで、早々に白旗をあげようとする気配を察したアジェーリアは、ティアが何か言う前に口を開く。
「ぬしは、余りにも細い。わらわより細いなど失礼千万じゃ。良いか?オルドレイ国に到着するまでに、わらわより太いウエストになってみせよ。これは命令じゃ」
見当違いなところで憤慨するアジェーリアに、ティアは思わず不満の声を上げてしまう。けれど───
「えー……んぐぅ」
アジェーリアは問答無用と言わんばかりに、ティアの口に焼き菓子の一つをねじ込んだ。
そうされたティアは吐き出すような不作法はできず、両手を口元に当てながら、それを嫌々ながらも飲み込んだ。
「ほれ、もっと食べろ。次はどれが良いか?わらわが自ら運んでやろう」
何かのスイッチが入ってしまったアジェーリアは、とうとう皿ごと持ちあげてしまった。
もう逃げられないことをティアは本能で悟る。
「ひぇぇっ」
悲鳴というには、あまりに情けない声を上げたティアだけれど、騎士たちは全員、深くうなずくだけ。
誰もティアの見方をしてくれるものはいなかった。
ただティアを見つめるその目は、アジェーリアと同じようにとても優しいものだった。
そんな中──グレンシスだけは、眉間に皺を寄せながらそっと視線を逸らした。
これ以上、ティアを視界に入れては何か過ちを犯してしまうかもしれないという恐れを抱くかのように。
そしてその表情は、再発した王女のワガママに頭痛を覚えているわけでもなく、ティアの突拍子もない申し出を止めることができなかった苦悩からくるものでもなく……まるで何か見えないものと闘っているかのようだった。
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