79 / 117
5.【私は】【俺は】─── この時をずっと待っていた
1
しおりを挟む
フローチェが帰ってこない。
その事実をベルが知ったのは、翌日だった。
もちろん夕方になっても、夜になってもフローチェが帰宅しないことを屋敷の使用人たちは不審に思っていた。
だがしかし、ベルには「打ち合わせが長引いている」という体を貫いていた。
それは客人をむやみやたらに不安にさせてはいけないという配慮であり、また事前にフローチェから「不測の事態が起こっても、絶対にベルに気付かせるな」という厳命を受けていたから。
でも、勝手に気付かれてしまうのは、どうあっても防ぎようが無かったりもする───
翌日。ベルはいつも通りの時間に目が覚めると、のろのろとベッドから起きて、窓のカーテンを開けた。
そして手櫛で寝癖を整えながら、バスルームに移動して簡単に身支度を整える。
と、ここでしんとした部屋にノックの音が響いた。
「どうぞ。起きてます」
この時間になるとハイテンションなフローチェがやってきて、その日の天候や気分で勝手にドレスを選ぶのが日課になってしまったので、ベルは警戒することなく声をかける。
自らの手で扉を開けないのは、開けた途端にフローチェが抱きついてくるからだ。
女子同士のスキンシップにおいて、過度であればあるほど親密な証なのだとフローチェは豪語するが、女子同士でじゃれ合う機会に恵まれなかったベルとしては、できればご遠慮したい。
そんなわけで、ベルは安全な距離を保って入室を許可する。
しかし、ガチャリと音を立てて扉を開いた人物は、毎朝目にする女神ではなかった。
「おはようございます、ベルさま」
「……お、おはようございます」
(ん?なぜメイドさんがこの部屋に来る??)
一先ず朝の挨拶をしながら、ベルは首を傾げる。
昨日フローチェは商談で外出して、その後、会食に誘われたので帰宅が遅いと聞いている。
正直、義理の姉二人がまだ近くの街に潜伏している可能性が高いので、できれば不要な外出は避けて欲しかった。でも、仕事と言われればベルは口を挟むことができなかった。
それにフローチェと共に出掛けた護衛騎士は、ラルク曰く、かなり剣を扱えるらしい。
ベルもそれなりに師匠から稽古を付けてもらっていたので剣に覚えはある。お散歩ついでにラルクと稽古しているのをチラッと見ただけではあるが、ラルクの言っていることは嘘ではないと判断していた。
でも、フローチェは出掛けたまま、帰ってこなかった。
その事実だけが、今、眼前にある状態で、ベルは考える間もなく部屋に入室したメイドに声をかけた。
「あの......フローチェさん、どこに行かれたんですか?」
「ま、……街に、ございます」
もともと嘘を付くのが苦手なのか、それとも上手に嘘を吐けるほど気持ちに余裕がないのかわからないが、メイドは溺れてしまうんじゃないかと心配するほど目が泳いでいた。
すぐにベルは半目になって、メイドに詰め寄った。
「そんな子供騙しが、私に通用すると思ってるんですか?」
メイドにとったらベルは大切なお客様だ。そして屋敷の主から、なにも喋るなと厳命を受けている身だ。
しかしまだ若いメイドは、首を横に振りつつも、うっかり本音を漏らしてしまった。
「言えません。我々はベル様の安全を第一にと命じられております」
(なるほど。言わないじゃなくって、言えない、か。まぁ……私も、メイドさんを困らせたくはないしなぁ)
「あの……どうか、これ以上はお許しください」
問い詰められて涙目になってしまったメイドに、ベルははっと我に返る。
いつも嫌な顔一つせず、にこやかに自分の身の回りの世話をしてくれている彼女を責める気は毛頭ないのだ。
「そうですか。……なら、諦めます。もう聞いたりしません。困らせてしまって申し訳ないです」
素直にぺこっと頭を下げたベルに、メイドは恐縮したように両手左右に振る。
「と、とんでもございません。あの......大丈夫です。フローチェ様は、すぐに戻られますから」
「うん、教えてくれてありがとうございます。で、えっと、身支度は一人でできるので、お茶をいただいてもよろしいでしょうか?」
居心地悪そうにしているメイドを気の毒に思って、ベルは喉は乾いてないけれど、そんな提案をしてみる。
そうすればメイドは、「すぐにお持ちします!」と言って、弾かれたように部屋を出ていった。
「───......さて、と」
大急ぎで着替えを終えたベルは、窓を開ける。
ここは2階。そして下を覗けば、幸いにも人影は皆無だった。今回こそは窓から外に出れそうだ。
(でもって、ここでメイドさんチョロいとか思ったらフラグになるよな。だから、絶対に言わない)
少し前にそんなことを思って窓からの逃亡を阻止されたことがあったことちゃんと覚えているベルは、むぎゅっと口を真一文字にした。
しかし、そんなことを思った時点で、既にフラグが立っていたようだった。
「駄目だよ、ベルちゃん。今日はここにいて」
乙女の部屋に許可なく入って、そう言いながらベルの腕をつかんだのは、久方ぶりに見る濃紺髪の青年───ダミアンだった。
その事実をベルが知ったのは、翌日だった。
もちろん夕方になっても、夜になってもフローチェが帰宅しないことを屋敷の使用人たちは不審に思っていた。
だがしかし、ベルには「打ち合わせが長引いている」という体を貫いていた。
それは客人をむやみやたらに不安にさせてはいけないという配慮であり、また事前にフローチェから「不測の事態が起こっても、絶対にベルに気付かせるな」という厳命を受けていたから。
でも、勝手に気付かれてしまうのは、どうあっても防ぎようが無かったりもする───
翌日。ベルはいつも通りの時間に目が覚めると、のろのろとベッドから起きて、窓のカーテンを開けた。
そして手櫛で寝癖を整えながら、バスルームに移動して簡単に身支度を整える。
と、ここでしんとした部屋にノックの音が響いた。
「どうぞ。起きてます」
この時間になるとハイテンションなフローチェがやってきて、その日の天候や気分で勝手にドレスを選ぶのが日課になってしまったので、ベルは警戒することなく声をかける。
自らの手で扉を開けないのは、開けた途端にフローチェが抱きついてくるからだ。
女子同士のスキンシップにおいて、過度であればあるほど親密な証なのだとフローチェは豪語するが、女子同士でじゃれ合う機会に恵まれなかったベルとしては、できればご遠慮したい。
そんなわけで、ベルは安全な距離を保って入室を許可する。
しかし、ガチャリと音を立てて扉を開いた人物は、毎朝目にする女神ではなかった。
「おはようございます、ベルさま」
「……お、おはようございます」
(ん?なぜメイドさんがこの部屋に来る??)
一先ず朝の挨拶をしながら、ベルは首を傾げる。
昨日フローチェは商談で外出して、その後、会食に誘われたので帰宅が遅いと聞いている。
正直、義理の姉二人がまだ近くの街に潜伏している可能性が高いので、できれば不要な外出は避けて欲しかった。でも、仕事と言われればベルは口を挟むことができなかった。
それにフローチェと共に出掛けた護衛騎士は、ラルク曰く、かなり剣を扱えるらしい。
ベルもそれなりに師匠から稽古を付けてもらっていたので剣に覚えはある。お散歩ついでにラルクと稽古しているのをチラッと見ただけではあるが、ラルクの言っていることは嘘ではないと判断していた。
でも、フローチェは出掛けたまま、帰ってこなかった。
その事実だけが、今、眼前にある状態で、ベルは考える間もなく部屋に入室したメイドに声をかけた。
「あの......フローチェさん、どこに行かれたんですか?」
「ま、……街に、ございます」
もともと嘘を付くのが苦手なのか、それとも上手に嘘を吐けるほど気持ちに余裕がないのかわからないが、メイドは溺れてしまうんじゃないかと心配するほど目が泳いでいた。
すぐにベルは半目になって、メイドに詰め寄った。
「そんな子供騙しが、私に通用すると思ってるんですか?」
メイドにとったらベルは大切なお客様だ。そして屋敷の主から、なにも喋るなと厳命を受けている身だ。
しかしまだ若いメイドは、首を横に振りつつも、うっかり本音を漏らしてしまった。
「言えません。我々はベル様の安全を第一にと命じられております」
(なるほど。言わないじゃなくって、言えない、か。まぁ……私も、メイドさんを困らせたくはないしなぁ)
「あの……どうか、これ以上はお許しください」
問い詰められて涙目になってしまったメイドに、ベルははっと我に返る。
いつも嫌な顔一つせず、にこやかに自分の身の回りの世話をしてくれている彼女を責める気は毛頭ないのだ。
「そうですか。……なら、諦めます。もう聞いたりしません。困らせてしまって申し訳ないです」
素直にぺこっと頭を下げたベルに、メイドは恐縮したように両手左右に振る。
「と、とんでもございません。あの......大丈夫です。フローチェ様は、すぐに戻られますから」
「うん、教えてくれてありがとうございます。で、えっと、身支度は一人でできるので、お茶をいただいてもよろしいでしょうか?」
居心地悪そうにしているメイドを気の毒に思って、ベルは喉は乾いてないけれど、そんな提案をしてみる。
そうすればメイドは、「すぐにお持ちします!」と言って、弾かれたように部屋を出ていった。
「───......さて、と」
大急ぎで着替えを終えたベルは、窓を開ける。
ここは2階。そして下を覗けば、幸いにも人影は皆無だった。今回こそは窓から外に出れそうだ。
(でもって、ここでメイドさんチョロいとか思ったらフラグになるよな。だから、絶対に言わない)
少し前にそんなことを思って窓からの逃亡を阻止されたことがあったことちゃんと覚えているベルは、むぎゅっと口を真一文字にした。
しかし、そんなことを思った時点で、既にフラグが立っていたようだった。
「駄目だよ、ベルちゃん。今日はここにいて」
乙女の部屋に許可なく入って、そう言いながらベルの腕をつかんだのは、久方ぶりに見る濃紺髪の青年───ダミアンだった。
1
お気に入りに追加
985
あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。


【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。
112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。
ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。
ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。
※完結しました。ありがとうございました。

【完結】好きになったら命懸けです。どうか私をお嫁さんにして下さいませ〜!
金峯蓮華
恋愛
公爵令嬢のシャーロットはデビュタントの日に一目惚れをしてしまった。
あの方は誰なんだろう? 私、あの方と結婚したい!
理想ドンピシャのあの方と結婚したい。
無鉄砲な天然美少女シャーロットの恋のお話。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です

出生の秘密は墓場まで
しゃーりん
恋愛
20歳で公爵になったエスメラルダには13歳離れた弟ザフィーロがいる。
だが実はザフィーロはエスメラルダが産んだ子。この事実を知っている者は墓場まで口を噤むことになっている。
ザフィーロに跡を継がせるつもりだったが、特殊な性癖があるのではないかという恐れから、もう一人子供を産むためにエスメラルダは25歳で結婚する。
3年後、出産したばかりのエスメラルダに自分の出生についてザフィーロが確認するというお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる