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その願いは、あまりにぶっ飛んだもので
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杏沙と和臣が入った喫茶店は、レトロな香りが漂ういかにも純喫茶という感じの店で、休日だというのに閑散としていた。
店主もまったくやる気がないようで、おしぼりとお水は注文した飲み物と一緒に運ばれてきた。
「こういうのって、効率重視って思えばいいんですかね?」
和臣は席に着くなり注文したと思ったら、その後はずっと口を閉ざしたまま。そんな彼に杏沙は軽い口調で問いかけてみるが返事は無い。
「……あの、自分で誘っておいたくせにその態度はどうなんですか?」
杏沙はホットティーにミルクを入れながら、つい不満を口にする。
言っておくがこっちだって楽しくお喋りをしたいわけじゃない。でも何か言いたげなのに、言葉にしない相手を前にすればどうしたって気を使ってしまう。
「ねえ……話をするんじゃなかったの?」
しびれを切らした杏沙が不機嫌な声で問いかければ、和臣はかなりの間の後、聞き取れないほど小さな声でこう呟いた。
「……すいません、つい緊張して」
ついさっき強引な態度をとったと思えば、今度は人見知りに。急な和臣のキャラ変えに、杏沙は苛立ちを通り越して呆れてしまった。
「は?え?……緊張する理由はどこに??」
ティースプーンでくるくるとカップをかき混ぜながら杏沙が首を傾げれば、向かいの席に座る人見知りは更に、困った顔をする。
どんな表情でも和臣の不動の顔の良さに、杏沙は砂糖を淹れるのを忘れて見入ってしまう。
サラサラとした焦げ茶色の髪。少し長めの前髪から見え隠れする切れ長の瞳。鼻筋もすっと通っているけれど鷲鼻じゃないから、ちょっと中性的な感じだ。
でも面長で健康的に日焼けした肌が男らしい印象を与えている。可愛いというよりも、カッコイイと称されるタイプである。
由紀が元気で入院なんかしていなかったら、間違いなく「ちょ、彼氏マジかっこいいね!」と背中をバンバン叩いて冷やかしたくなる。それくらい、お世辞抜きに彼は好男子の部類に入る。中身は今のところ残念なようだけれど。
なんていうことを頭の中でつらつらと考えていても、和臣は何も喋らない。しんとした店内では、店主の雑誌をめくる音だけが響いている。
もともと場を仕切ったり、気まずい空気を変えることは杏沙にとって苦手な分野だ。
でも先に緊張されると、相手をリラックスさせてあげないといけないという妙な責任感が生まれてしまう。その相手に対して好感を持てなくても。
「……えっと……えっと、じゃあ……」
杏沙は視線を泳がせて和臣がリラックスできそうな話題を探す。
「とりあえず、自己紹介でもしましょっか」
なんとか絞りだした杏沙の提案に、和臣は微妙な顔になった。
「俺……あんずさんのこと、だいたいは由紀さんから聞いてます」
「あ、そう」
なら初対面だけど、初対面じゃない。緊張する必要なんて無いじゃないかと杏沙は心の中でふてくされる。
でもその不満を口にする前に、和臣が口を開く。
「でもあんずさんは俺のこと知らないですよね。俺、永井和臣って言います。年はあんずさんと同じです。あ、それさっき言いましたね。えっと後は……俺はまだ大学生で由紀さんと一緒の大学に通ってます。ただ学部は俺は情報工学部で、由紀さんとは違うんですけど。サークルが一緒で……その……そこから知り合いました」
一方的な自己紹介を終えた和臣に向かって、杏沙はとりあえず言いたいことがあった。
「ねえ、私の呼び方”あんず”で決定なの?」
「駄目ですか?」
「駄目ってわけじゃないけど……」
食い気味に問われ、杏沙は渋面を作ってしまった。
「俺も由紀さんと同じように、あんずさんって呼んじゃ駄目ですか?」
同じ問いを重ねられた杏沙は、更に渋面になる。
学生時代の友人は、自分のことを”あんず”と呼ぶ人が多かった。そして杏沙自身も、そのあだ名を気に入っていた。
可愛らしい響きを持つあだ名は今でも好きだけれど、自分はもう十代じゃない。社会人だ。
まして友人の彼氏からそう呼ばれるのは居心地悪さしかない。
「駄目な理由をいちいち言わないといけない?自分の男友達に由紀のこと下の名前で呼ばれたらって想像してみてよ」
由紀と同じ国立大学に進める学力があるなら、わかるよね?そんなニュアンスを込めて言っても、彼は引き下がることはしなかった。
「でも、由紀さんはあんずさんって呼んでいいって言いましたよ。それに俺はあんずさんのこと呼び捨てにしないで、ちゃんと”さん”付けしてるじゃないですか」
「……いや、それでも私は呼ばれたくないんですけど」
「じゃあ、何と呼べば良いんですか?杏沙さんと?」
「普通に長沢でいいでしょ」
なぜ選択肢が下の名前限定なのだろうと、杏沙は頭を抱えたくなる。しかし、彼には彼なりの理由があった。
「長沢さんって……それ、ちょっと他人行儀過ぎますよ。これから一応彼氏彼女ってことになるんですし」
「は?」
少々拗ね気味に言われたその言葉に、杏沙は間の抜けた声を出してしまった。そして、気づけばもう一度「は?」と口に出してしまっていた。
「……あんずさんは、由紀のお願いを受け入れないつもりなんですか?」
少し時間を置いて、和臣は静かに杏沙に問い掛けた。
決して声を荒げてはいないけれど、これ以上に無いほど不機嫌な口調で。
その言葉を受けた杏沙は、まるで自分がとてつもなく酷いことをしてしまったような気持ちになる。由紀が元気に退院できるならなんだってしたいという気持ちは強くある。
でもできることと、できないことがあるのも現実だ。
「友人のお願いでも、さすがに人の彼氏となんて付き合えない。私は別の方法で由紀が元気になれる方法を探す」
「乗り換えるわけじゃないですよ。一時的に俺があんずさんの彼氏になるだけです」
「一時的とか、永久的とかそういう問題じゃない。一回でも、一分でもそれやったらアウトなの」
「……そんなもんなんですか?それが女子のルールってやつですか?」
「そう。そんなもんなの」
苛立った声を出しながら、杏沙はこれが男と女の恋愛観の違いなのかとしみじみと思う。それとも和臣が軽薄なだけなのか。
「……由紀は、なんでこんな人を彼氏にしたんだろう」
「あんずさん、聞こえてますよ。あとそういうのって、わざわざ声に出さなくてもいいんじゃないですか?」
「わざと聞かせているの、あなたに」
内心、言い過ぎたと焦っている杏沙だが、このまま和臣と付き合うなんて絶対に困る。
杏沙は、由紀に対して不誠実なことをしたくなかった。もう二度と───
店主もまったくやる気がないようで、おしぼりとお水は注文した飲み物と一緒に運ばれてきた。
「こういうのって、効率重視って思えばいいんですかね?」
和臣は席に着くなり注文したと思ったら、その後はずっと口を閉ざしたまま。そんな彼に杏沙は軽い口調で問いかけてみるが返事は無い。
「……あの、自分で誘っておいたくせにその態度はどうなんですか?」
杏沙はホットティーにミルクを入れながら、つい不満を口にする。
言っておくがこっちだって楽しくお喋りをしたいわけじゃない。でも何か言いたげなのに、言葉にしない相手を前にすればどうしたって気を使ってしまう。
「ねえ……話をするんじゃなかったの?」
しびれを切らした杏沙が不機嫌な声で問いかければ、和臣はかなりの間の後、聞き取れないほど小さな声でこう呟いた。
「……すいません、つい緊張して」
ついさっき強引な態度をとったと思えば、今度は人見知りに。急な和臣のキャラ変えに、杏沙は苛立ちを通り越して呆れてしまった。
「は?え?……緊張する理由はどこに??」
ティースプーンでくるくるとカップをかき混ぜながら杏沙が首を傾げれば、向かいの席に座る人見知りは更に、困った顔をする。
どんな表情でも和臣の不動の顔の良さに、杏沙は砂糖を淹れるのを忘れて見入ってしまう。
サラサラとした焦げ茶色の髪。少し長めの前髪から見え隠れする切れ長の瞳。鼻筋もすっと通っているけれど鷲鼻じゃないから、ちょっと中性的な感じだ。
でも面長で健康的に日焼けした肌が男らしい印象を与えている。可愛いというよりも、カッコイイと称されるタイプである。
由紀が元気で入院なんかしていなかったら、間違いなく「ちょ、彼氏マジかっこいいね!」と背中をバンバン叩いて冷やかしたくなる。それくらい、お世辞抜きに彼は好男子の部類に入る。中身は今のところ残念なようだけれど。
なんていうことを頭の中でつらつらと考えていても、和臣は何も喋らない。しんとした店内では、店主の雑誌をめくる音だけが響いている。
もともと場を仕切ったり、気まずい空気を変えることは杏沙にとって苦手な分野だ。
でも先に緊張されると、相手をリラックスさせてあげないといけないという妙な責任感が生まれてしまう。その相手に対して好感を持てなくても。
「……えっと……えっと、じゃあ……」
杏沙は視線を泳がせて和臣がリラックスできそうな話題を探す。
「とりあえず、自己紹介でもしましょっか」
なんとか絞りだした杏沙の提案に、和臣は微妙な顔になった。
「俺……あんずさんのこと、だいたいは由紀さんから聞いてます」
「あ、そう」
なら初対面だけど、初対面じゃない。緊張する必要なんて無いじゃないかと杏沙は心の中でふてくされる。
でもその不満を口にする前に、和臣が口を開く。
「でもあんずさんは俺のこと知らないですよね。俺、永井和臣って言います。年はあんずさんと同じです。あ、それさっき言いましたね。えっと後は……俺はまだ大学生で由紀さんと一緒の大学に通ってます。ただ学部は俺は情報工学部で、由紀さんとは違うんですけど。サークルが一緒で……その……そこから知り合いました」
一方的な自己紹介を終えた和臣に向かって、杏沙はとりあえず言いたいことがあった。
「ねえ、私の呼び方”あんず”で決定なの?」
「駄目ですか?」
「駄目ってわけじゃないけど……」
食い気味に問われ、杏沙は渋面を作ってしまった。
「俺も由紀さんと同じように、あんずさんって呼んじゃ駄目ですか?」
同じ問いを重ねられた杏沙は、更に渋面になる。
学生時代の友人は、自分のことを”あんず”と呼ぶ人が多かった。そして杏沙自身も、そのあだ名を気に入っていた。
可愛らしい響きを持つあだ名は今でも好きだけれど、自分はもう十代じゃない。社会人だ。
まして友人の彼氏からそう呼ばれるのは居心地悪さしかない。
「駄目な理由をいちいち言わないといけない?自分の男友達に由紀のこと下の名前で呼ばれたらって想像してみてよ」
由紀と同じ国立大学に進める学力があるなら、わかるよね?そんなニュアンスを込めて言っても、彼は引き下がることはしなかった。
「でも、由紀さんはあんずさんって呼んでいいって言いましたよ。それに俺はあんずさんのこと呼び捨てにしないで、ちゃんと”さん”付けしてるじゃないですか」
「……いや、それでも私は呼ばれたくないんですけど」
「じゃあ、何と呼べば良いんですか?杏沙さんと?」
「普通に長沢でいいでしょ」
なぜ選択肢が下の名前限定なのだろうと、杏沙は頭を抱えたくなる。しかし、彼には彼なりの理由があった。
「長沢さんって……それ、ちょっと他人行儀過ぎますよ。これから一応彼氏彼女ってことになるんですし」
「は?」
少々拗ね気味に言われたその言葉に、杏沙は間の抜けた声を出してしまった。そして、気づけばもう一度「は?」と口に出してしまっていた。
「……あんずさんは、由紀のお願いを受け入れないつもりなんですか?」
少し時間を置いて、和臣は静かに杏沙に問い掛けた。
決して声を荒げてはいないけれど、これ以上に無いほど不機嫌な口調で。
その言葉を受けた杏沙は、まるで自分がとてつもなく酷いことをしてしまったような気持ちになる。由紀が元気に退院できるならなんだってしたいという気持ちは強くある。
でもできることと、できないことがあるのも現実だ。
「友人のお願いでも、さすがに人の彼氏となんて付き合えない。私は別の方法で由紀が元気になれる方法を探す」
「乗り換えるわけじゃないですよ。一時的に俺があんずさんの彼氏になるだけです」
「一時的とか、永久的とかそういう問題じゃない。一回でも、一分でもそれやったらアウトなの」
「……そんなもんなんですか?それが女子のルールってやつですか?」
「そう。そんなもんなの」
苛立った声を出しながら、杏沙はこれが男と女の恋愛観の違いなのかとしみじみと思う。それとも和臣が軽薄なだけなのか。
「……由紀は、なんでこんな人を彼氏にしたんだろう」
「あんずさん、聞こえてますよ。あとそういうのって、わざわざ声に出さなくてもいいんじゃないですか?」
「わざと聞かせているの、あなたに」
内心、言い過ぎたと焦っている杏沙だが、このまま和臣と付き合うなんて絶対に困る。
杏沙は、由紀に対して不誠実なことをしたくなかった。もう二度と───
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