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その願いは、あまりにぶっ飛んだもので

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 由紀からのメールの内容はこうだった。

『あんず、久しぶり!元気?あのね私、今日から入院生活です(><)超ヒマだから良かったら遊びに来てー!あ、メールはいつでもOKだから♪ あと、とりあえず入院先をお知らせしときます~。中部総合医療センターの東棟で───』

「え、嘘。にゅ……入院?由紀が??」

 杏沙は、目を丸くする。由紀こと富田由紀とみたゆきは高校一年生の時からの友人で、卒業してから進学先は違ってもなんだかんだと縁は続いて、もう6年近い付き合いだ。

 ちなみにこの6年間、由紀は花粉症と親知らずを抜いた時以外、杏沙に身体の不調を訴えた事はない。

『今、メール読んだよ。ちょ、マジびっくり!入院って大丈夫??すぐ会いに行っても良いの?』

 気付けば杏沙は、こんな文面を由紀に返信していた。1分も満たないうちに『大丈夫~。でも、ヒマすぎ(T_T) いつでも会いに来て~』という呑気な返事が届く。

 即レスしてもらえたことと、内容があまりにいつも通りだったので、杏沙は一気に肩の力が抜ける。

 とりあえず大きな病気ではないと判断した杏沙は、ミーティングルームの壁に貼られたカレンダーを見る。

 今日は木曜日。明日にでも会いに行きたいけれど、できればゆっくりと話がしたい。
 
『りょーかい。んじゃ、明後日の土曜日行っても良い?』
『もち!楽しみにしてるよ(*´ω`*)』

 今度もまた顔文字付きの即レスに、更にほっとした杏沙はスマートフォンの画面を綴じてポケットにしまうと、ファイリングの作業を再開した。

 お見舞いの品はチョコレートにしよう、などと考えながら。



 そして、土曜日がやって来た。

 杏沙は病院に向かう前にデパートに立ち寄り、花瓶の要らないスタンドブーケと由紀の好きなブランドのルームソックスを購入した。

 当初予定していたチョコレートは、うっかり由紀の病名を訊き忘れてしまったので、退院祝いに渡すことにした。

 百貨店と地下鉄は直結しているので、杏沙は人の波に流されるように地下鉄に乗り込む。

 今は10月。朝晩はしっかり寒さを感じ始めている。ハロウィンを月末に控えた車内には、カボチャと白いお化けのイラストが描かれたポスターが揺れている。

「……由紀、なんで入院なんてしちゃったんだろう……」

 独りごちながら、杏沙は小柄な自分とは対照的なモデル体系の友人の姿を思い出す。どこか儚い印象を与える由紀だが、病弱な人ではなかったはず。

「……事故にでも、あったのかなぁ……」 

 あのメールを読むからには、事故にあって骨折したくらいが一番しっくりくる。そうだ。きっと、そういう感じの入院なんだろう。

 杏沙が自分勝手な結論に達したと同時に、電車は目的の駅に到着した。

 地下鉄を降りて、地上に出る。秋の乾いた風が杏沙のつややかな髪をなびかせる。

 由紀が入院している中部総合医療センターは、通称「要塞病院」と呼ばれている。
 
 そんな二つ名を持つくらいこの病院は広い。だから迎えに行くねと由紀から事前に連絡を受けていた。

 メールのノリからして、迎えに来てくれるのは由紀本人だろう。

 由紀と顔を合わせるのは、かれこれ一年ぶり。すぐに気づいてもらえるかちょっとだけ不安はあるので一応、今日の服装は伝えておいた。

 ピンクベージュのワンピースにオフホワイトのロングカーディガン。ありきたりな服装だけれど、お洒落過ぎるのも問題かと思い、杏沙なりに考え抜いた服装だ。

 杏沙はなびいた髪を手ぐしで整えながら、病院内に足を踏み入れる。自動ドアが開いた瞬間から独特の消毒臭が鼻をつく。

 入口すぐのロビーは思いのほか人が多かった。見つけてもらえないかもと不安になった杏沙が、人が少ない場所に移動しようとした時、

「あの……あんずさんですか?」

 背後から高校時代のあだ名を呼ばれた杏沙は、反射的に振り返った。

 真後ろに随分と顔が整った背の高い青年が、不安げに杏沙を見下ろしていた。

「あの……あんずさんで良かったですか?」

 驚いて息をのむ杏沙に、背の高い青年はさっきより確信を持って杏沙に問いかける。でも杏沙はそれに答えず、青年に質問を返した。

「あなた、由紀の知り合いですか?」

 社会人になってからも杏沙のことを”あんず”と呼ぶのは、由紀しかいない。

 だからこの青年が由紀の代わりに自分のことを迎えに来てくれた人なのだろう。でも用心に越したことはない。

 その意図がわかってくれたのか、怪訝な表情を浮かべる杏沙に、青年は微笑みながら「そうです」とうなずく。

 病院に似つかわしくない柔らかな表情を浮かべる彼に、杏沙はきちんと向き合い口を開いた。

「あの……ごめんなさい。失礼な態度を取っちゃって。私、由紀の友人で長沢杏沙っていいます。あんずは、由紀がつけてくれたあだ名なんです。……えっと由紀の彼氏さん……ですよね?わざわざ迎えに来てくださってありがとうございます」
「とんでもないです。俺もいきなり声をかけてしまってすみません。そっか……あんずさんって、本名じゃなかったんだ。じゃあ、急に知らない人から声をかけられてびっくりしましたよね。すみません」

 頭を掻きながら眉を下げるその青年は、由紀の彼氏という言葉を否定することはなかった。つまりは、そういうことだ。

 やれ髪型を変えたとか、やれ試験が始まったとか、日常の細々としたことをマメに連絡してくれる由紀なのに、恋人ができたという重要なことは教えてくれなかったことに杏沙は切ない気持ちになる。

「あー……えっと、じゃあ由紀さんのところ行きましょう。由紀さん、さっきからずっとあんずさんが来るのを楽しみにしてたんで」

 地味に凹んでいる杏沙に気付かない青年は、恋人からの任務を遂行するためにさっさと身体の向きを変えて歩き始めた。杏沙も青年の後を追う。

 由紀の病室は東棟の3階にあるようだが、青年はエレベーターに乗っている間も、降りてからも、ずっと無言のままだ。まるで一人で目的地に向かっているかのように。

 でも歩く速度はちゃんと気遣ってくれていて、杏沙は早歩きにならなくても青年と肩を並べて歩くことができている。

 杏沙はお喋り好きな性格ではない。だが初対面の人と無言で歩くのが何となく気づまりで、足を止めずに廊下の窓に目を向ける。

 東棟はコの字型になっていて、窓からは中庭が見えた。

 芝生と花壇の間にベンチが等間隔に設けられていて、晴天に恵まれた今日はパジャマ姿の入院患者や見舞客が談笑している。

 ただ杏沙の目には、みんな動きがゆっくりで、笑みを浮かべていてもはしゃいでいるというより、安堵しているように見える。

 無理もない。ここは病院なのだ。元気に走り回れるなら、とっくに退院しているだろう。

 そんな当たり前のことに気付くのがこんなに遅いのは、病気とは縁の無い生活を送っているせいなのか、それとも自分にデリカシーが無いからなのだろうか。

「───……さん。あんずさん」

 とりとめのないことを考えてたら、少し大きな声で名を呼ばれ、杏沙はびくっと身を竦ませる。

「な……な、なんでしょう?」
「由紀さんの病室、ここ」
「あ、ああ。はい」

 しどろもどろに問いかければ青年から端的な返事がきて、杏沙はこくこくと何度も頷く。

 そんな杏沙を、青年は物言いたげにじっと見つめていた。
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