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第19章
月の乙女は魂をとり戻す。永遠に 4
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後半、温かみに欠けた厳しい声音や、非難するような視線がちくちくと肌を差し、どうにもいたたまれなくなって、逃げ出すようにマテアは岩場を後にした。
気付かれない程度にそっと顧みると、ユイナの想い人は先までと変わらない場で立ちつくしている。
いやな予感が胸で渦巻いていた。
彼が話していたのは、レンジュに関してのことだ。とても真剣な、こわい眼差しで、それでいて淋しげな話し方だった。
レンジュに、何かあったのだろうか。
そう思うと急にこわくなって、ぴたりと足が止まり、前へ進めなくなる。今行こうと後から行こうと結果は同じで、ただ知るのが早いか遅いかだけの違いでしかないというのに、逃げ出したいほど膝が震えた。
このとき、もしユイナが通りかからず、
『ルキシュ! やっとみつけた!』
と、呼びかけてくれなかったなら、マテアはいつまでもそこに立ち尽くしていただろう。
袖を引かれる形で天幕へ戻ったマテアは、うっすらと目を開けて自分を見ているレンジュを見て、うっと喉を詰まらせた。じんわりと目尻が熱くなり、目が潤むのが自分でもわかる。
レンジュの目は、今度こそマテアを見ていた。
『やあ……』
枕元へ膝をつき、彼が自分を見ようとするあまり気道をふさぐことのないよう、真上から覗きこんだマテアを見て、かすれた声でレンジュは小さく咳く。
『無事、だったんだね……』
指一本動かすのも辛いだろうに、よかったと、自分のために笑みを作るレンジュの気持ちが素直に胸に響いて、マテアは目をつぶった。
ぽろりとこぼれた涙が、レンジュの胸にあたって弾ける。
死の淵から戻ってきたばかりで意識が完全に機能していないのか、涙をぬぐおうとマテアの頬に触れかけた手を、横からユイナが掴みとめた。
『ね? 言った通り、彼女は無事だったでしょう?
さあもういいわね。峠を越えたとはいえ、まだしばらくは病人なんだから、もう寝なさい』
母親のように言って、彼の手をさっさと上掛けの下に押しこむ彼女に対し、弁明したいことがないわけではなかったが、たしかに彼女の言葉通り、今のレンジュは疲れていた。
腕を持ち上げるだけでひどく疲れた。
『わかった。眠るよ』
全身の力を解いて、名残り惜しげにマテアを見つめながら徐々に目を閉じる。
「おやすみなさい……」
マテアは絶望に胸をつまらせながら、ほほえんだ。
なぜなら、こんなにも彼の目覚めが嬉しい。
彼が眠ったのを見届けて天幕を出たマテアは、夜明けに白んだ空に背を向け、そこにかすかに浮かぶ白い月を見上げて泣いた。
何があろうとも、必ず<魂>を取り戻して月光界へ戻ると誓った。あのときの自分は、なんて愚かだったのだろう。自分のことすらわかっていなかった。
<魂>をとり戻したければレンジュを殺せとリウトは言った。
彼を殺さなくては、自分に未来はない。月光界に戻ったところで、数ヵ月の命……レンジュがこの世界で死を迎えるとき、自分もまた、消滅する。
でもそんな、自分の都合で他者の命を奪っていいのか?
こうなったのは彼が何かしたわけじゃない。自分が愚かだったせいだ。自分のせいなのに、そのしりぬぐいを何の非もない者に負わせていいはずがない。
しかも彼はもはや見知らぬ他人でさえない。
彼を殺せるかと、何度も自問した。そのたびに結論は出ず、引き伸ばした。
かつては彼を憎んだこともある。殺そうとも考えた。でも殺せなかった。彼が苦しむ姿を見るだけで涙があふれ、心が張り裂けそうになった。死ぬかもしれないと思っただけで、恐怖に頭の中が真白になって……。
レンジュという存在が、自分の中で大きな位置を占めていることを、マテアは認めざるを得なかった。
彼が傷ついたなら、マテアの心もまた少なからずの傷を負ってしまうに違いない。自らの心を自らの手で傷つける――そんな愚かしい真似はできないし、できるとも思えない。
なぜ、こんな事になってしまったのだろう。
うなだれ、両手で顔を覆ったマテアを、次の瞬間驚きが襲った。
「マテア!」
はればれと、喜びをもって彼女の名を口にする声1その声には、聞き覚えがあった。
忘れるはずもない、声。
思いもよらなかった者の出現に、マテアは大急ぎ空を振り仰ぐ。
「ラヤ!!」
幻などではなかった。地上へ……自分目指して降りてくるラヤの姿を見て、マテアの胸になつかしさがこみ上げた。
軽やかに地に降り立った彼の兀へ走り寄り、互いを抱きあう。三年ぶりの再会に、二人は歓喜をもって応じた。
「ラヤ、ラヤ。本当にあなたなのね」
「会いたかったよ、マテア」
「わたしもよ。
でも、あなたどうしてここへ?」
「今朝早く戻って、きみに会いに神殿へ行ったんだ。戻ったら正式な返事をもらえることになっていただろう? そうしたらきみがいないと、ちょっとした騒ぎになっていた。
サナンから聞いたよ、全部。月光母さまにおねがいをして、レイリーアスの鏡を使わせてもらった。
きみを迎えにきたんだ」
きっぱりとそう言い、ラヤはマテアの癒やすり傷だらけの姿を見て、自らが傷ついたように顔をしかめた。
彼女の両手を前でそろえ、満足な塗り薬もなく、洗濯や針仕事などで荒れはじめていた指の痛々しさに、そっと唇をよせる。
神殿警備の若者には、弱いけれど治癒能力が備わっている。指が温かくなり、細胞が活性化し、癒されたのをマテアは感じた。
「帰ろう、マテア。<魂>などなくともぼくの気持ちは変わらない。きみが、<魂>がなくともきみであるように。
合一できなくてもいいじゃないか。それでも気になるというのなら、いつも一緒にいよう。いつもぼくがそばにいて、ぼくの<魂>できみを包んでいてあげる」
「ラヤ……」
いつもにまして優しい、自分への慈しみにあふれた言葉と<魂>の波動に触れ、マテアの胸が熱くなった。
気付かれない程度にそっと顧みると、ユイナの想い人は先までと変わらない場で立ちつくしている。
いやな予感が胸で渦巻いていた。
彼が話していたのは、レンジュに関してのことだ。とても真剣な、こわい眼差しで、それでいて淋しげな話し方だった。
レンジュに、何かあったのだろうか。
そう思うと急にこわくなって、ぴたりと足が止まり、前へ進めなくなる。今行こうと後から行こうと結果は同じで、ただ知るのが早いか遅いかだけの違いでしかないというのに、逃げ出したいほど膝が震えた。
このとき、もしユイナが通りかからず、
『ルキシュ! やっとみつけた!』
と、呼びかけてくれなかったなら、マテアはいつまでもそこに立ち尽くしていただろう。
袖を引かれる形で天幕へ戻ったマテアは、うっすらと目を開けて自分を見ているレンジュを見て、うっと喉を詰まらせた。じんわりと目尻が熱くなり、目が潤むのが自分でもわかる。
レンジュの目は、今度こそマテアを見ていた。
『やあ……』
枕元へ膝をつき、彼が自分を見ようとするあまり気道をふさぐことのないよう、真上から覗きこんだマテアを見て、かすれた声でレンジュは小さく咳く。
『無事、だったんだね……』
指一本動かすのも辛いだろうに、よかったと、自分のために笑みを作るレンジュの気持ちが素直に胸に響いて、マテアは目をつぶった。
ぽろりとこぼれた涙が、レンジュの胸にあたって弾ける。
死の淵から戻ってきたばかりで意識が完全に機能していないのか、涙をぬぐおうとマテアの頬に触れかけた手を、横からユイナが掴みとめた。
『ね? 言った通り、彼女は無事だったでしょう?
さあもういいわね。峠を越えたとはいえ、まだしばらくは病人なんだから、もう寝なさい』
母親のように言って、彼の手をさっさと上掛けの下に押しこむ彼女に対し、弁明したいことがないわけではなかったが、たしかに彼女の言葉通り、今のレンジュは疲れていた。
腕を持ち上げるだけでひどく疲れた。
『わかった。眠るよ』
全身の力を解いて、名残り惜しげにマテアを見つめながら徐々に目を閉じる。
「おやすみなさい……」
マテアは絶望に胸をつまらせながら、ほほえんだ。
なぜなら、こんなにも彼の目覚めが嬉しい。
彼が眠ったのを見届けて天幕を出たマテアは、夜明けに白んだ空に背を向け、そこにかすかに浮かぶ白い月を見上げて泣いた。
何があろうとも、必ず<魂>を取り戻して月光界へ戻ると誓った。あのときの自分は、なんて愚かだったのだろう。自分のことすらわかっていなかった。
<魂>をとり戻したければレンジュを殺せとリウトは言った。
彼を殺さなくては、自分に未来はない。月光界に戻ったところで、数ヵ月の命……レンジュがこの世界で死を迎えるとき、自分もまた、消滅する。
でもそんな、自分の都合で他者の命を奪っていいのか?
こうなったのは彼が何かしたわけじゃない。自分が愚かだったせいだ。自分のせいなのに、そのしりぬぐいを何の非もない者に負わせていいはずがない。
しかも彼はもはや見知らぬ他人でさえない。
彼を殺せるかと、何度も自問した。そのたびに結論は出ず、引き伸ばした。
かつては彼を憎んだこともある。殺そうとも考えた。でも殺せなかった。彼が苦しむ姿を見るだけで涙があふれ、心が張り裂けそうになった。死ぬかもしれないと思っただけで、恐怖に頭の中が真白になって……。
レンジュという存在が、自分の中で大きな位置を占めていることを、マテアは認めざるを得なかった。
彼が傷ついたなら、マテアの心もまた少なからずの傷を負ってしまうに違いない。自らの心を自らの手で傷つける――そんな愚かしい真似はできないし、できるとも思えない。
なぜ、こんな事になってしまったのだろう。
うなだれ、両手で顔を覆ったマテアを、次の瞬間驚きが襲った。
「マテア!」
はればれと、喜びをもって彼女の名を口にする声1その声には、聞き覚えがあった。
忘れるはずもない、声。
思いもよらなかった者の出現に、マテアは大急ぎ空を振り仰ぐ。
「ラヤ!!」
幻などではなかった。地上へ……自分目指して降りてくるラヤの姿を見て、マテアの胸になつかしさがこみ上げた。
軽やかに地に降り立った彼の兀へ走り寄り、互いを抱きあう。三年ぶりの再会に、二人は歓喜をもって応じた。
「ラヤ、ラヤ。本当にあなたなのね」
「会いたかったよ、マテア」
「わたしもよ。
でも、あなたどうしてここへ?」
「今朝早く戻って、きみに会いに神殿へ行ったんだ。戻ったら正式な返事をもらえることになっていただろう? そうしたらきみがいないと、ちょっとした騒ぎになっていた。
サナンから聞いたよ、全部。月光母さまにおねがいをして、レイリーアスの鏡を使わせてもらった。
きみを迎えにきたんだ」
きっぱりとそう言い、ラヤはマテアの癒やすり傷だらけの姿を見て、自らが傷ついたように顔をしかめた。
彼女の両手を前でそろえ、満足な塗り薬もなく、洗濯や針仕事などで荒れはじめていた指の痛々しさに、そっと唇をよせる。
神殿警備の若者には、弱いけれど治癒能力が備わっている。指が温かくなり、細胞が活性化し、癒されたのをマテアは感じた。
「帰ろう、マテア。<魂>などなくともぼくの気持ちは変わらない。きみが、<魂>がなくともきみであるように。
合一できなくてもいいじゃないか。それでも気になるというのなら、いつも一緒にいよう。いつもぼくがそばにいて、ぼくの<魂>できみを包んでいてあげる」
「ラヤ……」
いつもにまして優しい、自分への慈しみにあふれた言葉と<魂>の波動に触れ、マテアの胸が熱くなった。
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