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第14章

雨の夜に見える月のように 6

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「きゃっ」
『どうしたの、こんな姿でうろついたりして』

 布ごと後ろから抱きすくめられる。耳のすぐ近くで声がして、それがユイナだと知ったマテアは、ほっと詰めていた息を解き、肩から力を抜いた。

『陽に弱いんでしょう? 馬車の中でもとろうとしなかった布を忘れるなんて、何かあったの?』

 声の調子は軽かったが、目は真剣だ。
 マテアはうろたえた。
 彼女に訊いてみよう。そう考え、男を捜していることを伝えようとして、はじめて名前も知らなかったことに気付く。

「あの……、わたしと、同じ天幕にいるひと。わたしをここに連れてきた……え、っと、背が高くて、短めの髪をしていて――」

 ああ、どう表せばわかってもらえるのか。
 気ばかりあせって、もどかしい。

 胸元でごにょごにょと指を動かすマテアに、ユイナは小首を傾げるだけだ。聞いてくれてはいるが、わかっている様子はない。
 そのうち、少し離れた所からユイナを呼ぶ女の声がした。

『ユイナー?』
『はーい。
 先に行っててー。あたしもすぐ行くからー』

 手を振り応えた後。ユイナはマテアの腰を引き寄せ、被り布の下を覗きこんで、いつものようににっこり笑った。

『ルキシュも一緒に行きましょう』



 ユイナに手を引かれて連れて行かれたのは隊の後方、戦馬をつないである場所だった。
 馬のそばには大勢の鎧をまとった男たちがいて、男一人に対し女が一~五人の割合で集まっている。
 抱きあっている者もいれば、話しこんでいる者もいた。

 似た光景を知っている。ここまで騒々しくはなかったが、月光界で、辺境へ旅立つ直前の若者たちと別れを惜しむ聖女たちが、こんなふうに互いを慈しみあっていた。
 ではこの者たちも、どこかへ旅立とうとしているのだろうか。にしては、荷物が少ない。べつにいつもと変わらないように見えるが……。

 漠然とそんなことを考えながら、人の山に視線を巡らせた。
 同じ色・型の髪、同じ色の瞳、同じ色の肌、同じような顔つき・体格の地上界人の区別は今もってつけづらい。

 これだけの人混みの中、はたして見つけられるだろうか。そもそもここにいるかすら不明なのに、との心配は、杞憂に終わった。男はまるでマテアの視界に飛びこむように現れて、強烈な存在感でもって彼女の目を引きつけたのだ。

 男はやはり馬上にいて、下に集まった少女たちからの言葉に笑顔で答えていた。

『ほらほらルキシュ。立ち止まってたら、いつまでたっても気付いてもらえないわよ』

 足をとめたまま動こうとしないマテアの背に両手をあてたユイナが、まるで彼女のためらいが何か知っているかのようにニヤリと笑って、人混みの中へ押しこもうとする。

「で、でも……」

 もうすっかり冬支度の彼等は、顔面以外、指先まで革や毛で覆っているので、肩とか足が触れることにためらいはないが、なぜか、気がすすまなかった。
 会いたいと、ついさっきまで思っていて、捜していたはずなのに、いざこうして居場所がわかり、目の前にすると、胸が重くふさがる。
 石のようなしこりがおなかの底にできて、一歩近付くごとに、それが重く膨らんでいく気がして……。

『ユイナ』
『ハーリ。ドジなことしてレンジュの足引っ張るんじゃないわよ。あんたってばそそっかしいから、心配だわ』

 いつだったか見たことのある、馬上の青年に向かってユイナが笑いかける。彼女に気付いた青年もまた笑みを浮かべ、照れたような表情でユイナへ顔を近付けた。返答のように二言三言何か口にした青年の頭を、ユイナはくしゃくしゃにする。そして首に腕を回し、周りの者たちのように唇を重ねた。

 ああそうか。あれはユイナの想い人。
 そしてここにいるひとたちは、なんらかの思いを相手に抱いているひとたちなんだわ。

 つまりは、あの男の周辺にいる少女たちも。

 そう思った瞬間、しこりは一気に倍の大きさに膨れあがった。
 居心地が悪い。自分がここにいることにすら違和感を感じるも、男はもう近づくマテアに気付いていて、今さら足をとめることもできない。
 この場から逃げるなんて、みっともないまねもできない。
 そもそも、それじゃあ何のために男を捜していたのかという話になる。

(わたしは、そこまで臆病者じゃないわ)

 覚悟を決めたマテアの歩から迷いが消えた。ユイナの横を抜け、男に群がった女たちのすぐ後ろへとつく。
 マテアに向け、男は、なぜここにと問いたげに少しだけ目を瞠って、それからよそ行き顔で微笑した。

『やあ』

 昨夜とは全く違う、やわらかな表情、やわらかな視線を受けて、どきりと胸が波打つ。
 月光界に降りそそがれる、月光神の慈愛のような光を浮かべたその瞳は、少女たちに向けられるものと全く同じだ。

 それがまた逆に昨夜の激しく熱っぽい視線を生々しく思い出させて、まるで自分だけその瞬間に時間が退行してしまったかのように、マテアは頬が上気するのを感じた。
 熱に喉が乾いて、頭が真っ白になって。言葉が出てきてくれない。

 男は、今日に限ってマテアがここまで来たのは、きっと何か伝えたいことがあるのだろうと考えてか、マテアの出方を待ってくれている。
 何か、言わなくてはいけないと思った。
 伝えようと思っていた言葉も、気持ちも、ちゃんとマテアの中にあるのに、こうしていざ彼を前にすると、上からふたをされたように一向に喉から先へ出ようとしてくれない。
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