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第13章
近くに在りて、されど心は遠く 7
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あの男はわたしから<魂>を奪ったのに。とり返そうとしているわたしをそばに置いて、一体何の利があるというの?
わからない。だいたい、出会い頭にひとの<魂>を強奪するような盟の考えることなど、わかるものか。
わからないけれど、でもこれは好機だった。
行方がわからなくなったと思っていた男が近くにいる。あるかどうかもわからない手掛かりを求めて市まで戻ったり、どことも知れない地を無意味に歩き回る必要がなくなった。
言葉が通じない以上説得は無駄だし、返す気があるなら昨日のうちに返してくれていたはず。男に返す気がない以上、自分の手でとり返すしかない。近くにいれば必ず隙ができるだろうから、そのときを狙えばいい。
一筋の光明も見出せない冥府のように思われた居場所が、一夜明けて、実は絶好の場所であることを知ったマテアは意気込んだが、それも数秒のこと。男が出て行ってもまだ天幕内でくゆっている、胸のつまりそうな死臭に眉を寄せたマテアは、それがどれほど難しいことか考えて、溜息をもらした。
何を指差していたのだろう?
男が天幕を去ってしばらくしてからそのことを思い出し、箱のそばへ寄った。
黒ずんだ古い木製の箱だ。板の継ぎ目を漆でふさいで密封を強化してある。何か細工があるのではと用心しながら開けると中には袋が三つ入っており、一つには茶色の粒が、他の二つには干し肉と草がそれぞれ入っていた。
これをどうしろと?
覗きこんだまま途方にくれていたら、『ああ、もう起きてたのね』とユイナが中へ入ってきた。
『どうかしたの?』
「ユイナ。あの、これ……」
おずおずと指差した箱の中を覗きこんだユイナは、ああと声を上げる。
『なんだ、それならこれよ。ほら』
にこにこ笑い、手に持っていた椀を出してきた。椀の中には汁気をたっぷりとすって糊のようになった茶色の粒と、大量の葉が入っている。粒三に葉が七という割合からみて、葉の方がメインで粒はつなぎといった感じだ。
すっかり冷めて、熱の気配はない。
『あなたの分の朝ごはんよ。冷ましてきたけど、食べられる?』
木製のスプーンを手に、ユイナはすくって口に入れる真似をした。この葉粥を食べうと言っているのだろう。
異界の食物を口にすることにためらいがなくはなかったが、腹は空いていた。地上界の月光は強いので、毎日浴びれば何も食さずとも後一月くらいは大丈夫だと思っていたが、一月待ったところで月光界の食物が手に入るとは考えにくい。それに、その間も体力は削ぎ落ちていくことを考慮すると、食さないわけにはいかなく思えた。
「いただくわ」
男を見つけた以上、昨日のような状態に陥りたくはない。
葉粥を口に含み、咀囎して飲み下す。療養食なのか、思ったより味はなく、少し青くさかったけれど、食せないほどではなかった。
『ああよかった! 食べてくれて!』
マテアが食べたのを見たユイナは口元をほころばせ、嬉しそうに笑う。彼女をそんなにも不安にさせていたのかと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになる。マテアは、内心では少し多めだと思っていた椀の中身を、すべてたいらげることで謝罪を表すことにした。
食事を終え、衣服を整えたマテアは昨日のように被り布をまとって外へと出る。昨日の晴天は陽の女神のほんの気まぐれと言わんばかりにまたも厚い曇の層が空一面に広がっており、心配していたほどの熱は感じなかった。
『ここよ』
ユイナに案内されたのは隊から少しはずれた所で、既に数人の女がたらいの前に座っていた。横にはそれぞれ汚れ物の山があり、水の入った水瓶と粉石鹸の入った箱がある。
『洗濯は四日に一度、決められた順番ですることになってるわ。レンジュとハリの回は今日。
はい、ルキシュ』
それまで脇に抱えていた衣類をユイナに手渡され、わけがわからないまま用意済みのたらいと洗濯板の前へ連れて行かれる。とにもかくも周りに習ってしゃがみこんだマテアを見て、水瓶のそばにいた少女がかけ寄り、手にしていた水差しでたらいの中へ水を張った。同じようにユイナも隣で別の少女にたらいへ水を張ってもらい、粉石鹸を受けとっている。
洗え、というのだろう。
マテアは見よう見真似で服を洗濯板にあて、粉石鹸を振りまいてこすりはじめた。
渡された衣服があの男の物であるのは、なんとなくわかった。昨日ぬいだ自分の服もある。
ひとの天幕で寝泊まりし、食事をもらうからには働け、というのは当然の要求だ。ユイナにならって一通り洗い終え、荷馬車同士に渡らせたロープに干したマテアが次に連れて行かれたのは、馬車の中だった。
今度は針仕事。破れた場所は繕い、千切れそうな場所は補強する。上着のほつれた穴に裏地をあて、ボタンをつけているとユイナに肩を突つかれた。
『そろそろ出発ですって。天幕の方に行きましょ』
ユイナについて来いと手招きされたので、後ろについて行く。昨日と同じだ。しかし今度は役割を逆転して、天幕をたたんで荷物を整理し、馬にくくりつけた。そうして携帯袋を手に馬車へ戻って先の針仕事の続きをしていると、馬車が動きだす。
これも昨日のように、またどこかへ移動するのだとすぐに見当はついたので、驚きはない。
ごとごと揺れる馬車の中、マテアは手元の作業に集中しているふりをしながら、頭の中ではどうやって<魂>をとり戻そうか、そればかり考えていた。
わからない。だいたい、出会い頭にひとの<魂>を強奪するような盟の考えることなど、わかるものか。
わからないけれど、でもこれは好機だった。
行方がわからなくなったと思っていた男が近くにいる。あるかどうかもわからない手掛かりを求めて市まで戻ったり、どことも知れない地を無意味に歩き回る必要がなくなった。
言葉が通じない以上説得は無駄だし、返す気があるなら昨日のうちに返してくれていたはず。男に返す気がない以上、自分の手でとり返すしかない。近くにいれば必ず隙ができるだろうから、そのときを狙えばいい。
一筋の光明も見出せない冥府のように思われた居場所が、一夜明けて、実は絶好の場所であることを知ったマテアは意気込んだが、それも数秒のこと。男が出て行ってもまだ天幕内でくゆっている、胸のつまりそうな死臭に眉を寄せたマテアは、それがどれほど難しいことか考えて、溜息をもらした。
何を指差していたのだろう?
男が天幕を去ってしばらくしてからそのことを思い出し、箱のそばへ寄った。
黒ずんだ古い木製の箱だ。板の継ぎ目を漆でふさいで密封を強化してある。何か細工があるのではと用心しながら開けると中には袋が三つ入っており、一つには茶色の粒が、他の二つには干し肉と草がそれぞれ入っていた。
これをどうしろと?
覗きこんだまま途方にくれていたら、『ああ、もう起きてたのね』とユイナが中へ入ってきた。
『どうかしたの?』
「ユイナ。あの、これ……」
おずおずと指差した箱の中を覗きこんだユイナは、ああと声を上げる。
『なんだ、それならこれよ。ほら』
にこにこ笑い、手に持っていた椀を出してきた。椀の中には汁気をたっぷりとすって糊のようになった茶色の粒と、大量の葉が入っている。粒三に葉が七という割合からみて、葉の方がメインで粒はつなぎといった感じだ。
すっかり冷めて、熱の気配はない。
『あなたの分の朝ごはんよ。冷ましてきたけど、食べられる?』
木製のスプーンを手に、ユイナはすくって口に入れる真似をした。この葉粥を食べうと言っているのだろう。
異界の食物を口にすることにためらいがなくはなかったが、腹は空いていた。地上界の月光は強いので、毎日浴びれば何も食さずとも後一月くらいは大丈夫だと思っていたが、一月待ったところで月光界の食物が手に入るとは考えにくい。それに、その間も体力は削ぎ落ちていくことを考慮すると、食さないわけにはいかなく思えた。
「いただくわ」
男を見つけた以上、昨日のような状態に陥りたくはない。
葉粥を口に含み、咀囎して飲み下す。療養食なのか、思ったより味はなく、少し青くさかったけれど、食せないほどではなかった。
『ああよかった! 食べてくれて!』
マテアが食べたのを見たユイナは口元をほころばせ、嬉しそうに笑う。彼女をそんなにも不安にさせていたのかと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになる。マテアは、内心では少し多めだと思っていた椀の中身を、すべてたいらげることで謝罪を表すことにした。
食事を終え、衣服を整えたマテアは昨日のように被り布をまとって外へと出る。昨日の晴天は陽の女神のほんの気まぐれと言わんばかりにまたも厚い曇の層が空一面に広がっており、心配していたほどの熱は感じなかった。
『ここよ』
ユイナに案内されたのは隊から少しはずれた所で、既に数人の女がたらいの前に座っていた。横にはそれぞれ汚れ物の山があり、水の入った水瓶と粉石鹸の入った箱がある。
『洗濯は四日に一度、決められた順番ですることになってるわ。レンジュとハリの回は今日。
はい、ルキシュ』
それまで脇に抱えていた衣類をユイナに手渡され、わけがわからないまま用意済みのたらいと洗濯板の前へ連れて行かれる。とにもかくも周りに習ってしゃがみこんだマテアを見て、水瓶のそばにいた少女がかけ寄り、手にしていた水差しでたらいの中へ水を張った。同じようにユイナも隣で別の少女にたらいへ水を張ってもらい、粉石鹸を受けとっている。
洗え、というのだろう。
マテアは見よう見真似で服を洗濯板にあて、粉石鹸を振りまいてこすりはじめた。
渡された衣服があの男の物であるのは、なんとなくわかった。昨日ぬいだ自分の服もある。
ひとの天幕で寝泊まりし、食事をもらうからには働け、というのは当然の要求だ。ユイナにならって一通り洗い終え、荷馬車同士に渡らせたロープに干したマテアが次に連れて行かれたのは、馬車の中だった。
今度は針仕事。破れた場所は繕い、千切れそうな場所は補強する。上着のほつれた穴に裏地をあて、ボタンをつけているとユイナに肩を突つかれた。
『そろそろ出発ですって。天幕の方に行きましょ』
ユイナについて来いと手招きされたので、後ろについて行く。昨日と同じだ。しかし今度は役割を逆転して、天幕をたたんで荷物を整理し、馬にくくりつけた。そうして携帯袋を手に馬車へ戻って先の針仕事の続きをしていると、馬車が動きだす。
これも昨日のように、またどこかへ移動するのだとすぐに見当はついたので、驚きはない。
ごとごと揺れる馬車の中、マテアは手元の作業に集中しているふりをしながら、頭の中ではどうやって<魂>をとり戻そうか、そればかり考えていた。
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