上 下
56 / 89
第13章

近くに在りて、されど心は遠く 5

しおりを挟む
 無事宿営地までたどり着いた。

 一日の報告と今夜の見張りや明日の事などを話しあい、ようやく務めを終えたレンジュは配給された夕飯を手に自分の天幕へと戻る。
 夜半をとうにすぎているため、入り口で火を焚いた天幕はちらほらしかない。レンジュの天幕も同じで、火はついていなかった。仕切り布をめくり上げたとき、中に人の姿がなくて一瞬ぎくりとしたが、すぐ横で、幕布にもたれかかるように座したまま眠っているのを見つけられて、詰めていた息を解いた。

 ユイナのおかげか、服が新しい物に着替えられ、面の汚れもおちてこざつばりとしている。月明かりを受け、ほのかに金色に輝く姿は初めて会ったときを思いださせてくれて嬉しかったが、膝の上に投げ出された骨と皮しかない両手を見て、胸がつまった。
 衝動的、手を重ねそうになったが、寸前で思いとどまる。

 触れてはいけない。

 昨夜、苦痛に歪んだ彼女の面から腕の火傷に気付き、治療をしていたとき、その不自然な形からレンジュはそれを悟った。よくよく見れば、指の形をした小さな火傷の跡が胸元や腕、足にぽつぽつとある。
 体温というものを感じさせない、氷のような肌の持ち主である彼女にとって、きっと人の体熱すら凶器となるのだろう。思えば、指を浸したなら数秒で感覚を失うようなあの清水に、彼女は平然と腰まで身を浸していた。

 そんなまさかとのとまどいはあったが、異世界生まれの彼女をこの世界の常識にあてはめて考えようとすること自体が間違っている。

 触れてはいけない。
 彼女は汚れた自分には触れることすら許されない神聖な存在なのだ。

 それは、いっそありがたいと思えた。
 触れることが許されていたなら、おさえきれたかどうか……。この身も心も焦がそうと燃え上がる恋情の炎にあかせて、彼女の意も問わず獣のように躁躍してしまっていたかもしれない。

 でも、どうしても触れて、彼女がここにいることを夢でないとたしかめたかった。
 思いとどまった指で、横の髪を=房すくう。寝顔を見て、これくらいなら大丈夫ということを確認してから、瞼に押しつけた。

 ――ルキシュ。
 生涯、そばにいてくれとは言わない。
 兵士の寿命なんて知れてる。十年生きる者は少なく、十五年生きれば奇跡に等しい。もしかすると、明日にも死ぬ運命かもしれない。
 だからせめて、それまでつきあってくれ。女々しいことをと啖ってもいい。身勝手と罵ってもかまわない。そのかわり、おれにできることならなんでもする。だから、だから……。



 何度も、何度も、レンジュは胸の中で哀願する。
 彼はまだ知らなかった。
 月の光もとどかない闇の中で、獣が虎視眈々と時を待っていることを……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

問い・その極悪令嬢は本当に有罪だったのか。

風和ふわ
ファンタジー
三日前、とある女子生徒が通称「極悪令嬢」のアース・クリスタに毒殺されようとした。 噂によると、極悪令嬢アースはその女生徒の美貌と才能を妬んで毒殺を企んだらしい。 そこで、極悪令嬢を退学させるか否か、生徒会で決定することになった。 生徒会のほぼ全員が極悪令嬢の有罪を疑わなかった。しかし── 「ちょっといいかな。これらの証拠にはどれも矛盾があるように見えるんだけど」 一人だけ。生徒会長のウラヌスだけが、そう主張した。 そこで生徒会は改めて証拠を見直し、今回の毒殺事件についてウラヌスを中心として話し合っていく──。

ある国の王の後悔

黒木メイ
恋愛
ある国の王は後悔していた。 私は彼女を最後まで信じきれなかった。私は彼女を守れなかった。 小説家になろうに過去(2018)投稿した短編。 カクヨムにも掲載中。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】貴方の望み通りに・・・

kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも どんなに貴方を見つめても どんなに貴方を思っても だから、 もう貴方を望まない もう貴方を見つめない もう貴方のことは忘れる さようなら

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...