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第13章

近くに在りて、されど心は遠く 2

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 ユイナは床に残された、手つかずの碗を見た。
 食べる? と持ち上げられたそれに、マテアは首を横に振る。

『おなか空いてないの? 今食べないと、夜まで温かい物は食べられないわよ。市の周辺は盗賊も出て危険だから道中の休憩は最低限しか取られないし、お昼は馬車の中で食べるしかないの。
 それとも、やっぱり熱いのは苦手なのかしら……』

 誰に言うともなくつぶやいたユイナは、仕切り布を持ち上げて、ちょうど近くを通りかかった少女を呼びとめ、碗を手渡した。
 向こうへ持っていってと指示したようだ。

『できればもう少し休ませてあげたかったんだけど、レンジュが任務で帰ってこれない以上、そういうわけにもいかないわね。
 荷物を整理して天幕をたたみましょう。あたしが教えてあげるわ』

 ユイナはことさら声を明るく張って、そう提案した。



 教える、とユイナは言ったが、実際に荷物をまとめたり天幕をたたんだりしたのは彼女で、マテアがしたのは端を押さえることと杭を抜くこと。それに、大小に分けてまとめられていた荷物の大きい方をハリが連れてきてくれた荷運び用の生き物(荷馬)の背にくくりつけることくらいだった。

『小さい方は自分で持つの。もし敵に急襲されて荷を失う羽目になったとしても、最低限残しておかなくちゃいけない貴重品よ』

 つまりは保存食に香辛料、携帯ナイフ、簡易ランプといった類いの物だ。
 それらが入った荷袋と羊毛の円座を手に、出発を目前に騒然となった人々の問を縫うように歩き、ほろを被った馬車が並んだ場所まで案内される。
 すでに同じような荷物を持った女性でいっぱいの馬車を見て、この中へ自分も入らなくちゃいけないのかと硬直したマテアだったが、ユイナはその馬車の前を通り過ぎた。

 マテアが入るよう指示された馬車は、まだ誰も乗っていない、小型の馬車だった。
 マテアは奥の端に置かれた水樽の影に隠れるように座る。遅れて人がぞろぞろ入ってきても、ユイナが庇うよう前に座ったため、マテアに声をかけたり、触れてこようとする者はいなかった。

 ごとごとごと。固い地面を行く車輪の振動を受けながら、マテアは両膝を抱いて水樽に身をもたせかける。
 ユイナの機転で、尻の下には羊毛の円座を折りたたんで二重に敷いていたが、古めかしい馬車は、あと一回でも小石につまついたらその瞬間空中分解するのではと心配するくらい危ない振動をずっと伝えてきていて、すぐに尻が痛くなった。
 マテア以外の者は寒さを嫌うため、荷台をおおったほろはしっかり隙間を埋められ、外気は隙間風程度にしか入ってこない。当然馬車内の気温は相応のものとなる。

 マテアには一呼吸するだけで肺が焼けつく、地獄の暑さだ。

 炎天下にいるも同じで、肌がひりひり痛む。体力の減少とストレスの増加をできる限り減らすためか、無駄口をたたく者はおらず、あの耳障りな音を聞かずにすむだけ助かったけれど、興味本意の視線だけはどうしようもなかった。
 被り布を顎まで引き降ろしていても視線が自分に集中しているのが痛いほどわかって、被り布の下でげんなりする。

 一歩天幕を出てからずっと、この視線はつきまとった。一挙手一投足見逃すまいと、追ってくる。最初のうちこそどこかこちらの人間と違うところがあるのかとあせり、意識もしたが、すぐにただ物見高いだけだとわかった。
 中にははっきりとした敵意をぶつけてくる女性もいたけれど、若い女性に敵意をぶつけられるのは前の場所でもそうだったので、特別気にする必要もなく思える。

 そうしてくる理由はいまだ見当もつかないが、自分が知らないだけで、おそらく自分はこの世界においてそういった、ある年齢層に嫌われる要素をどこかに持ちあわせているのだろう。
 あるいは、違う世界の者であることを感じ取った地上界人の、忌避行為なのかもしれない。

 群れに入り込んだ別種のものを敬遠し、排除したいと思うのは生き物の本能。

 納得してしまえば、視線は厄介なだけのものでしかない。
 そのうち飽きるだろうとは思うが……馬車が動き出してかなりたつ。いいかげん、関心を失ってくれないものか。
 それに、いつまでここでこうしていなくてはいけないのだろう?
 また、あの馬車で一日過ごす状態に戻るのだろうか。
 考える以外何もできることがない状況で、そればかり考えて何度も目をこする。

 このユイナという女性は今のところ自分を庇ってくれているようだが、その理由が判明しない以上、いつ掌を返すかわからない。気を緩めては駄目。油断は禁物と、起きていたつもりだったのだけれど、かくんと頭が落ちるような感覚で目を開くことがたびたびあって、まず間違いなく、何度となく意識を失ってしまっていたのだろう。

 やがて、ガクン、と馬車全体が大きく揺れて、馬車が停止した。外が騒がしくなったと思うや、後部のほろをめくり上げた男が、中の者に外へ出るよう指示をした。

『さあルキシュ。降りるわよ』

 ユイナがついて来てと言うように手招きをし、先に降りて待っている。
 荷台下の車軸から引き出された踏み台を足場に外へ出ると、外はもう夕暮れだった。
 遠く、西の山陵が朱に染まっている。
 周囲から雪が完全に消えていた。露出した黒い地面と、緑の濃い下生えと、鳥の鳴き声。夜の到来を告げる、熱気の冷めた風が被り布を震わせる。
 東の空に上がった、にじんだ白い月から届く月光に、マテアはかぶり布の下でほうっと息をついた。

 マテアが自分のことを思い出すのを辛抱強く待ってくれていたらしい。マテアと視線を合わせたユイナが、こっち、というふうに歩き出す。
 周囲では女たちが天幕を張ったり、馬車から引っ張り出してきた道具や食材で食事の用意を始めていた。
 もうあの馬車には乗らなくていいらしい。
 感覚の戻りだしたお尻にほっとしつつ、かぶり布を目深に引き下ろして、誰とも目が合わないよう俯きかげんに人の間を通り抜けた。
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