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第12章
月の乙女と地上の兵士 7
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「どうしたの?」
はじめのうちは好きなだけさせておこうと思っていた。気にしないでいようと。
しかし気絶したルキシュを天幕に寝かしつけ、自分たちの天幕へ戻ってからもう随分経つというのに、座して以来じっと考え込んでいる姿に、ユイナの好奇心が負けた。
アバの葉を砂糖と湯で煮つめたお茶の入ったカップを手渡し、その横に座る。
「随分深刻そうに考え込んでるじゃない。そんなの、てんであなたらしくないわよ」
つん、と人差し指で頬をつつく。
子供じみた、けれど親しみのこもつた仕草にハリは苦笑した。
「レンジュのことだよ」
「それはわかってたわ」
ハリとレンジュは隊にいる男たちの中でも特に仲がいいことで知られていた。
七年前、新兵として一緒に配属されてきた、いわば同期で、それ以来ずっとコンビを組み、生死を共にしてきているからだとみんな思っている。
入隊する前のことについて、語らない者たちは多い。兵士は入れ替わりが激しいこともあって、自然と過去は詮索しないのが暗黙のルールとなっていたからユイナもずっとそうだと思っていた。
だから本当は二人の仲はもっと昔、物心つくかつかないかのころからで、二人は幼なじみの間柄なのだということを、ユイナはハリと暮らすようになってから初めて聞かされた。
レンジュは戦場から遠い地に居を構えられるほど名と力を持った家の生まれで、ハリは彼の両親に仕える使用人の息子だった。常識で考えれば口をきくことも許されない身分差だったが、理解ある両親のもと、歳が近いということもあって友人として付き合うことを許されていた。
そして十五歳になったハリに戦地への出兵命令書が届いたとき。レンジュは自分も行くと志願したという。
貴族なのに? とユイナは疑問に思った。貴族であろうと出兵命令書は発行されるが、まず戦地に行く者はいない。兵士として不適格と判断される理由を選び、証明書を買い、承認されて免除されるのが普通だ。
不公平だがそういうものだ。世の中に公平なものなど存在しない。
だがレンジュはここにやって来た。
何の肩書きもない、ただの一兵卒として。
そのわけをハリが知らないはずがないと思ったが、それについて話す気はないようだったので、ユイナもあえては訊かなかった。だからそこは謎のままだ。
とにかく、それ以来誰よりも近くにいて、兄弟のように互いを支え合って生きてきた二人だから、お互いを特別視するのは当たり前のことだ。
レンジュに何事かあれば、ハリが自分のことのように気に病むのは当然。
「あたしが言いたいのは、何がそんなに不安なのかっていうこと。
レンジュに特別な女性ができたのが不満なの? 彼女が認められない? 自分だけが彼の特別じゃないといや? 自分はこうして他にも持ってるのに?
子どもみたいね、そういうの」
流暢な早口でまくしたてられ、弁明をはさむ隙もなく結論を出されてしまったことに、ハリはぽっかり口を開ける。
「あなたが子供っぽいのは重々承知しているけど、子供じゃないのも知ってるわ。あなたにあたしがいるように、レンジュにルキシュがいても二人の間は何も変わらないことくらいわかってるわよね?」
「ああ」
「じゃあそれ以外のことね。
ルキシュが美女であたしは違うから? ルキシュを見て、負けたと思ってるとか? 早まったと思った?」
間近で見たルキシュは本当に伝説の月神の娘のようにきれいだった。同性のユイナでも目を奪われるほどに。彼女なら、奴隷として法外な値がついていたというのも納得だ。
そして不安になった。ハリが彼女を見たとき、どんな影響を受けるかわからなくて。
彼女がレンジュのもので、所有財産に手を出すのは重大な規則違反であるということは、その不安を鎮める理由にもならないことはわかっている。
ハリに限ってそんなことはないと思いたいけれど、でも、もし彼もルキシュの美しさの虜になってしまったら……。
「まさかっ」
ハリは目を丸くして、即座に首を横に振って見せた。そんなこと思いつきもしなかったとの表情を見て、気付かれないようにそっと、詰めていた息を吐く。
「なら、どうして喜んであげないの。ようやく彼にも『家族』ができたのよ? しかも、絶対に手をつけないと決めていたあのお金を、彼女のために手放したわ。
自尊心を捨ててもかまわないと思うほど幸せになりたいと望んだ友達を、なぜあなたは誉めてあげられないの?」
顔を寄せ、ぐっと声のトーンを抑えて優しく告げる。そうするとハリがごまかすことも沈黙することもできないことを、ユイナは知っていた。
「……相手が悪いからだよ」
思った通り。
そっぽを向いてではあったが、不承不承、ハリは内心を吐露した。
「あいつは、ひとの善意も悪意も、なんでもかんでも真正面から重く受け止めて、自分で自分を独りに追い込むタチだから、特別な相手ができればいいとはおれも思ってた。
あいつには他人への執着が必要なんだ。あのガチガチの石頭をたたき壊して、理性とか思慮分別だとか、くだらない理屈全部ひっくるめて放り出すくらい、ぐっちゃぐちゃに執心して、自分は他人に不幸しか与えられないと思ってるのは間違いだって、知らなくちゃいけないって。
でも、相手が悪い。
さっきの会議で、あいつは今日の移動でも最後尾を行くことが決まった。今も進路の偵察に出てる。昨日やったっていうのに。
おまえも知ってるように、市近辺は敵が多くて危険なんだ。金が必要だからと言ってたが、本心は違うようだった。
大金はたいて女を手に入れたばかりにしては天幕に戻りたがらないし、うれしそうでもないからおかしいなと思ってはいたんだけど、さっき彼女を見て確信した」
そこで一度言葉を切り、ハリは低くうめいた。
空のカップを握った指が、そこに込められた力の強さを物語るように白くなっている。
彼が何を言わんとしているか、すでに察していたユイナは、口をはさまず黙って聞いていた。
「彼女は微塵もレンジュのことなんか想っちゃいないんだ。
あの目。あれは、何かが欠落してる。普通ならあるはずの、世話女として買われた以上あいつに尽くさなくちゃいけないとの決意もない。もちろんそんな決意なんか、あいつは望んじゃいないだろうけど。
でもあいつは彼女を愛してる。おまえの言う通りだ。あいつは彼女のためなら自尊心も捨てられるし、それこそ命だって惜しんじゃいないだろう。自分は何を与えることができるか、今も考えてるに違いない。
でも捧げるばかりが愛じゃない。木石でできてるわけじゃない、ただの普通の男なんだ。そばにいれば、きっと、彼女を求めずにいられなくなる。なのに、あいつは愛されないんだ。
どんなに愛しても報われない……そんな相手を見つけてほしかったわけじゃない」
はじめのうちは好きなだけさせておこうと思っていた。気にしないでいようと。
しかし気絶したルキシュを天幕に寝かしつけ、自分たちの天幕へ戻ってからもう随分経つというのに、座して以来じっと考え込んでいる姿に、ユイナの好奇心が負けた。
アバの葉を砂糖と湯で煮つめたお茶の入ったカップを手渡し、その横に座る。
「随分深刻そうに考え込んでるじゃない。そんなの、てんであなたらしくないわよ」
つん、と人差し指で頬をつつく。
子供じみた、けれど親しみのこもつた仕草にハリは苦笑した。
「レンジュのことだよ」
「それはわかってたわ」
ハリとレンジュは隊にいる男たちの中でも特に仲がいいことで知られていた。
七年前、新兵として一緒に配属されてきた、いわば同期で、それ以来ずっとコンビを組み、生死を共にしてきているからだとみんな思っている。
入隊する前のことについて、語らない者たちは多い。兵士は入れ替わりが激しいこともあって、自然と過去は詮索しないのが暗黙のルールとなっていたからユイナもずっとそうだと思っていた。
だから本当は二人の仲はもっと昔、物心つくかつかないかのころからで、二人は幼なじみの間柄なのだということを、ユイナはハリと暮らすようになってから初めて聞かされた。
レンジュは戦場から遠い地に居を構えられるほど名と力を持った家の生まれで、ハリは彼の両親に仕える使用人の息子だった。常識で考えれば口をきくことも許されない身分差だったが、理解ある両親のもと、歳が近いということもあって友人として付き合うことを許されていた。
そして十五歳になったハリに戦地への出兵命令書が届いたとき。レンジュは自分も行くと志願したという。
貴族なのに? とユイナは疑問に思った。貴族であろうと出兵命令書は発行されるが、まず戦地に行く者はいない。兵士として不適格と判断される理由を選び、証明書を買い、承認されて免除されるのが普通だ。
不公平だがそういうものだ。世の中に公平なものなど存在しない。
だがレンジュはここにやって来た。
何の肩書きもない、ただの一兵卒として。
そのわけをハリが知らないはずがないと思ったが、それについて話す気はないようだったので、ユイナもあえては訊かなかった。だからそこは謎のままだ。
とにかく、それ以来誰よりも近くにいて、兄弟のように互いを支え合って生きてきた二人だから、お互いを特別視するのは当たり前のことだ。
レンジュに何事かあれば、ハリが自分のことのように気に病むのは当然。
「あたしが言いたいのは、何がそんなに不安なのかっていうこと。
レンジュに特別な女性ができたのが不満なの? 彼女が認められない? 自分だけが彼の特別じゃないといや? 自分はこうして他にも持ってるのに?
子どもみたいね、そういうの」
流暢な早口でまくしたてられ、弁明をはさむ隙もなく結論を出されてしまったことに、ハリはぽっかり口を開ける。
「あなたが子供っぽいのは重々承知しているけど、子供じゃないのも知ってるわ。あなたにあたしがいるように、レンジュにルキシュがいても二人の間は何も変わらないことくらいわかってるわよね?」
「ああ」
「じゃあそれ以外のことね。
ルキシュが美女であたしは違うから? ルキシュを見て、負けたと思ってるとか? 早まったと思った?」
間近で見たルキシュは本当に伝説の月神の娘のようにきれいだった。同性のユイナでも目を奪われるほどに。彼女なら、奴隷として法外な値がついていたというのも納得だ。
そして不安になった。ハリが彼女を見たとき、どんな影響を受けるかわからなくて。
彼女がレンジュのもので、所有財産に手を出すのは重大な規則違反であるということは、その不安を鎮める理由にもならないことはわかっている。
ハリに限ってそんなことはないと思いたいけれど、でも、もし彼もルキシュの美しさの虜になってしまったら……。
「まさかっ」
ハリは目を丸くして、即座に首を横に振って見せた。そんなこと思いつきもしなかったとの表情を見て、気付かれないようにそっと、詰めていた息を吐く。
「なら、どうして喜んであげないの。ようやく彼にも『家族』ができたのよ? しかも、絶対に手をつけないと決めていたあのお金を、彼女のために手放したわ。
自尊心を捨ててもかまわないと思うほど幸せになりたいと望んだ友達を、なぜあなたは誉めてあげられないの?」
顔を寄せ、ぐっと声のトーンを抑えて優しく告げる。そうするとハリがごまかすことも沈黙することもできないことを、ユイナは知っていた。
「……相手が悪いからだよ」
思った通り。
そっぽを向いてではあったが、不承不承、ハリは内心を吐露した。
「あいつは、ひとの善意も悪意も、なんでもかんでも真正面から重く受け止めて、自分で自分を独りに追い込むタチだから、特別な相手ができればいいとはおれも思ってた。
あいつには他人への執着が必要なんだ。あのガチガチの石頭をたたき壊して、理性とか思慮分別だとか、くだらない理屈全部ひっくるめて放り出すくらい、ぐっちゃぐちゃに執心して、自分は他人に不幸しか与えられないと思ってるのは間違いだって、知らなくちゃいけないって。
でも、相手が悪い。
さっきの会議で、あいつは今日の移動でも最後尾を行くことが決まった。今も進路の偵察に出てる。昨日やったっていうのに。
おまえも知ってるように、市近辺は敵が多くて危険なんだ。金が必要だからと言ってたが、本心は違うようだった。
大金はたいて女を手に入れたばかりにしては天幕に戻りたがらないし、うれしそうでもないからおかしいなと思ってはいたんだけど、さっき彼女を見て確信した」
そこで一度言葉を切り、ハリは低くうめいた。
空のカップを握った指が、そこに込められた力の強さを物語るように白くなっている。
彼が何を言わんとしているか、すでに察していたユイナは、口をはさまず黙って聞いていた。
「彼女は微塵もレンジュのことなんか想っちゃいないんだ。
あの目。あれは、何かが欠落してる。普通ならあるはずの、世話女として買われた以上あいつに尽くさなくちゃいけないとの決意もない。もちろんそんな決意なんか、あいつは望んじゃいないだろうけど。
でもあいつは彼女を愛してる。おまえの言う通りだ。あいつは彼女のためなら自尊心も捨てられるし、それこそ命だって惜しんじゃいないだろう。自分は何を与えることができるか、今も考えてるに違いない。
でも捧げるばかりが愛じゃない。木石でできてるわけじゃない、ただの普通の男なんだ。そばにいれば、きっと、彼女を求めずにいられなくなる。なのに、あいつは愛されないんだ。
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