月光聖女~月の乙女は半身を求める~

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第12章

月の乙女と地上の兵士 1

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「ゼクロス!」

 今にも掴みかかりそうだったゼクロスを制したのは中年女だった。

「いいかげんにしな、みっともない。あんたは額を提示し、むこうはちゃんとそれに応えた。
 誰がはらおうと関係あるもんか。貴族だろうが雑兵だろうが、金は金。はらったやつがあたしらの客さ。分割にしようとしない分、どっかのケチなお貴族さまよかよっぽど上客ってもんだ。
 だろう?」

 ぐっ、と言葉につまり、黙りこんだゼクロスに、問題は解決したとみたレンジュは再度背を向け立ち去ろうとする。だが三歩と行かないうちに、今度は中年女が呼びとめた。

「持ってきな」

 ふわり。マテアが落とした毛布が投げられ、彼女の上にかぶさる。

「その娘、どうやら陽に弱いようだからね」

 言われて覗きこんだ 声が聞こえた。

 小さくて、短い言葉。文句。同じ一言をくり返している。

 なに? なにを言ってるの?

 マテアは暗闇で耳をすます。目は開けていない。瞼の向こう側にあるのは、まろやかな黄色の光。青臭い草のにおいがしている。

「――ア。――テーア」
「マテアってば!」

 いきなり耳元で叫ばれた。軽くぺちぺちと頬を叩かれて、その拍子に目を開く。

「ああ、やっと目を覚ました」
「だめよぉ、こんな所でうたたねしてちゃ」

 真上から覗きこみ、くすくす笑っている二人を見て、マテアはあっと息を飲む。

「カティル!  それにイリア?」

 大急ぎ身を起こしたことで、マテアが完全に目を覚ましたと確信した二人は立ち上がり、花篭を手に離れて行こうとする。

「ま、待って! あなたたちどうして地上界にいるの?」
「ぇえ? なに言ってるのよマテア」
「やぁね、マテアったら寝ぼけちゃって。わたしたち、光雫華を摘みにきてるんじゃない」

 くすくす。くすくす。
 心底おかしそうに笑う二人を、マテアは半信半疑で見上げる。
 どういうこと? わたしは、地上界に降りていたはず…。

 目を覚ます前の事を思い出そうとつとめた脳裏に、<リアフ>のことがひらめく。

 ああ! わたし、<リアフ>を失くしてたんだった! 

 今の姿を見られてしまったと、隠せるわけはないのにあわてて後ろを向いてかばいこもうとした直後、掌を見て、またもマテアは驚く。

「<リアフ>が……戻ってる……?」

 微弱ながら輝く金光が掌を包みこんでいた。
 間違いなく、これは<リアフ>だ。あの地上人に奪われたはずの、わたしの<リアフ>……。

 どうして?

「ちょっとちょっと、どうしたの? いきなり後ろ向いたりして」

 カティルが心配気に肩口から覗いてくる。柔らかな彼女の<リアフ>がマテアの<リアフ>に触れ、同化した部分から彼女の心からの心配が伝わってきて、マテアは急いで笑みを作った。

「なんでもないのよ、ごめんなさい。あの、夢見が悪かったから……鳥になった、夢だったの。とても現実感があって、それで――」

 安堵に震える声で、しどろもどろに答える。胸がドキドキして、泣きたくてたまらない。
 そんなマテアをよそに、マテアのした弁解を素直に信じたカティルはぷっと吹き出した。

「なぁに? それ。あなたっておもしろいひとね。大丈夫よ、今のあなたはちゃあんと手足があって、わたしと同じ姿に見えるわ。どこにも羽もくちばしもないから安心してちょうだい。
 そんなことよりほら、早くみんなの所へ行きましょう」
「……こんなに離れていたの、わたし」

 遠くに見えるみんなの姿に、マテアは頬へ手をあてる。

「蕾ばかり追いすぎて、気付かなかったんでしょう? 一人で摘んでたりするからうたたねなんかして、悪い夢見ちゃったりするのよ」

 手をとり、早くと促すイリアの肩をかすめて、稜線から半分姿を現した月の光が目を指した。水色の空、草の波、優しく前髪をなぶる風。
 見慣れているはずのそれらすべてが目にまぶしく、胸がしめつけられるほど愛しく思えて、知らず涙がこぼれる。
 夢……。そう、悪い夢を見ていたんだわ。わたしが地上界へ行くなんて。あんなおぞましい穢れた地にたった一人だなんて、そんなの、夢以外にあるわけないじゃない。

「ほら早く、マテアーっ」
「ここよーっ」

 あちこちで光雫華の華や蕾が揺れる草原に座って、自分を呼んでいる。自分と同じ、金の光をまとい、月光を受け、相乗して輝く月光聖女たちが、笑顔で手を振っている。

「待って。今行くわ」

 あれは全部夢だったのだ。そして今、夢は覚めたと信じて疑わず、マテアは彼女たちに負けない笑顔で立ち上がった。そのまま、いつものように歩き出そうとして、左腕が動かないことに気付く。

「マテア、どうしたのー?」

 サリアルが口元に手をあてて叫んでいる。

「え、ええ……今――」

 彼女たちと自分の足を見比べながら、マテアは呟いた。左腕は『ある』という感覚さえなく、空間にはりついている。まるで他人の支配下にあるように、わずかもいうことをきいてくれない。それでも強引に引きずって行こうと試みるが、肩から下は石化してしまったかのようにびくともしなかった。

「今、今行くから…」

 目に映らない、ぬめぬめとした触手が指先にからみつき、じわじわと這い上がってきているような、そんな恐怖に声が震える。

 いけない。このままでは皆に不審がられてしまう。

 マテアは必死になって考えを巡らせるが、これという案が浮かばない。圧迫感がした。胸を押しつぶそうとしているみたいだった。そうしている間にも触手はぞろりと這い上がっている。とうとう肩口まできた不快感にすっかり混乱して、躍起になって左腕を引っ掻いた。けれども腕はぴくりとも動かない。

 恐怖が迫っていた。動悸はもはや堪えがたいまでに強まり、この瞬間にも心臓を破って飛び出してしまいそうだ。

「早くいらっしゃいよ! ほら見て、ラヤが帰ってきてるのよ!」

 ラヤが?

 喉元まで侵食され、身動きがとれないながらも必死にそちらを顧みる。今や光に包まれているのは草原と仲間たちだけだった。宙から生まれた黒い染みは噴出するように周囲に広がってマテアを孤立させ、飲みこもうと鎌首をもたげている。逃げなくてはいけない。

 誰か……誰か助けて……!

 マテアは光源を背にしたラヤと覚しき影にむかい、必死に右手を伸ばした。あなたと同じ光の中へ、わたしを引き寄せて、と。

 そうしてマテアの意識は浮上した。
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