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第11章
交わる運命は耐え難き灼熱のもとで 4
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信じられないと、レンジュは手の中で気を失っている乙女を見た。
望外の幸運。
望んではいたけれど――この瞬間のためなら、自分は命だってよろこんで差し出すに違いないと確信していたけれど、でも、まさか本当にその瞬間が訪れるなんて!
とうとうおかしくなった頭が見せた幻覚かもしれないと思うには、両手に託された彼女の重みはあまりにも現実味がありすぎた。
信じられない。
ぐったりとした彼女の体を引き寄せ、重心を自分に預けさせる。肩に触れる彼女の顎。服越しとはいえ二の腕が触れあい、全身が密着する。鼻先に迫ったうなじから、かすかに甘いにおいがした。
黒髪が多いこの国ではめずらしい金色の髪に、ああ本当に彼女なのだと感じ入り、背に回した腕に力をこめようとしたとき。
「それをこっちへ渡してもらえるかい?」
言葉の持つ意味とは正反対の、命令するようなふてぶてしい女の声が聞こえてきた。
レンジュは身をずらし、声のした方へ向きを修正する。そこには中年の太った女が仲間と思われる男たちの先頭に立ち、自分が何者であるかを示すように、朱の輪が入れられた奴隷商人特有の黒鞭で軽く左手を打っていた。
「迷惑かけちまってすまないねえ。さぞ驚いただろう。最近仕入れたばかりでまだまだ躾がなってなくてね。ま、大目にみといてくれるとうれしいよ。二度とこんな事はしないよう、きつく教えこんどくからさ」
さあ、と中年女の後ろから前に出た男が手を伸ばしてくる。レンジュは言った。
「彼女を知っている」
ぴく、と指先が震えて、男の手が凍りつく。
この女は正式な手順を経て購入したわけじゃない。拾ったのだ。正統な持ち主かもしれない。どうしたらいいものか、振り返って自分に判断を求める男の視線を無視して、中年女はさらに笑みを深めた。
「ふぅん、そうかい。その娘は北の雪原で見つけたんだ。三ヵ月ほど前にあっちで大きな戦があったそうだから、あんたがその生き残りならそういうこともあるんだろうね。そんな薄着であんなとこにいたんだ、猟師の娘とは思えない。また、猟師の娘風情の器量にも見えないしね。
おおかた主人と死に別れたかはぐれたかしたんだろうとの見当はうちだってたててたよ。けど、だからなんだってんだい? 焼き印もない、腕輪もしてない女は拾ったやつの物ってぇのが天下の法だろう? みんな平等にお天道さんの下にいて、その女だけ特別ってわけにはいくまいさ」
くつくつと喉を鳴らす。豪胆な笑みだった。この世の原理のすべてを見通した上で高嗤っている、そんな感じだ。
レンジュは視線を足元に落とし、マテアの足裏に奴隷商の焼き印が押されていないのを確認して(奴隷商の中には自分が扱った奴隷であることを示す焼き印をそこに入れる者がしばしばいるため)、再度中年女に目を戻した。
「では買おう」
「おう、いつまでも何ごちゃごちゃぬかしてやがんだよ、ひとの商品で」
レンジュの声にかぶさり、かき消したのは、ゼクロスだった。
野次馬でできた垣根をかき分け、前を開けない仲間を気がきかないと罵りながら突き飛ばし、中年女の横に出る。彼は、割当ての位置で競売用の台を設置したり奴隷を出す順番を決めたりといった指示を出していたため、騒ぎに気付くのが遅れたのだ。
ゼクロスは今朝早く車軸の件でたたき起こされて以来力作業の連続で、自慢の顎髭を整える間もなく、髪はぼさぼさ、疲労に顔色も悪く、まるで彼自身が使用人であるかのように服も汗染みでよれよれだったが、相手を必要以上に威圧しようとする覇気は失われてなかった。
「逃げた奴隷を捕まえてもらったってだけのことだろ? 返してもらやぁすむことじゃねーか。それを、だらだらくっちゃべって、こんな騒ぎにしちまって。おかげで肝心のあっちぁ閑古鳥が鳴いてやがるぞ」
マテアを抱くレンジュをやぶ睨みしたまま、ゼクロスは不快気な声で中年女に言う。
「そうは言うけどね――」
「じき昼だ、もめ事はいらねえ。さっさとしねぇと半数は売れ残っちまう」
反論しようとした中年女に、ゼクロスはさらに声をいらつかせて言葉の先をふさぐと、だらりと垂れたマテアの腕に向けて手を伸ばす。掴み、強引に自分の方へ引き寄せようとしたのだが、レンジュがそれを許さなかった。
マテアを抱く腕の力を強め、ゼクロスの手の動線から彼女の身をずらす。
「なんだぁ? きさま」
レンジュの拒否に、密かに危ぶんでいたこと――マテアの美貌に目がくらみ、手放すことをしぶる、というもの――が起きたと思い、さらに睨む力を強めたゼクロスに、レンジュは臆することなく告げた。
「言ったはずだ。買うと」
「はっ、冗談じゃねえ!」
即座に語尾へ噛みつく。
「その女はなぁ、雑兵なんかのてめぇなんぞに買えるよーな女じゃねぇんだよ。はじめっからおよびじゃねえんだ。女が欲しいんならあっちへ行きな。てめぇに似合いの女をいくらでも提供してやってるぜ」
「いくらだ」
マテアを見つめ、耳に入れている様子のないレンジュに、やれやれとゼクロスは肩をすくめた。
すっかり女に目がくらんで、正常な判断ができなくなってやがる。一介の雑兵ごときに持てる女かどうか、常識で考えりゃすぐわかることだろうに。
「三億八千」
途端、遠巻きに見物していた男たちからどよめきが上がった。
望外の幸運。
望んではいたけれど――この瞬間のためなら、自分は命だってよろこんで差し出すに違いないと確信していたけれど、でも、まさか本当にその瞬間が訪れるなんて!
とうとうおかしくなった頭が見せた幻覚かもしれないと思うには、両手に託された彼女の重みはあまりにも現実味がありすぎた。
信じられない。
ぐったりとした彼女の体を引き寄せ、重心を自分に預けさせる。肩に触れる彼女の顎。服越しとはいえ二の腕が触れあい、全身が密着する。鼻先に迫ったうなじから、かすかに甘いにおいがした。
黒髪が多いこの国ではめずらしい金色の髪に、ああ本当に彼女なのだと感じ入り、背に回した腕に力をこめようとしたとき。
「それをこっちへ渡してもらえるかい?」
言葉の持つ意味とは正反対の、命令するようなふてぶてしい女の声が聞こえてきた。
レンジュは身をずらし、声のした方へ向きを修正する。そこには中年の太った女が仲間と思われる男たちの先頭に立ち、自分が何者であるかを示すように、朱の輪が入れられた奴隷商人特有の黒鞭で軽く左手を打っていた。
「迷惑かけちまってすまないねえ。さぞ驚いただろう。最近仕入れたばかりでまだまだ躾がなってなくてね。ま、大目にみといてくれるとうれしいよ。二度とこんな事はしないよう、きつく教えこんどくからさ」
さあ、と中年女の後ろから前に出た男が手を伸ばしてくる。レンジュは言った。
「彼女を知っている」
ぴく、と指先が震えて、男の手が凍りつく。
この女は正式な手順を経て購入したわけじゃない。拾ったのだ。正統な持ち主かもしれない。どうしたらいいものか、振り返って自分に判断を求める男の視線を無視して、中年女はさらに笑みを深めた。
「ふぅん、そうかい。その娘は北の雪原で見つけたんだ。三ヵ月ほど前にあっちで大きな戦があったそうだから、あんたがその生き残りならそういうこともあるんだろうね。そんな薄着であんなとこにいたんだ、猟師の娘とは思えない。また、猟師の娘風情の器量にも見えないしね。
おおかた主人と死に別れたかはぐれたかしたんだろうとの見当はうちだってたててたよ。けど、だからなんだってんだい? 焼き印もない、腕輪もしてない女は拾ったやつの物ってぇのが天下の法だろう? みんな平等にお天道さんの下にいて、その女だけ特別ってわけにはいくまいさ」
くつくつと喉を鳴らす。豪胆な笑みだった。この世の原理のすべてを見通した上で高嗤っている、そんな感じだ。
レンジュは視線を足元に落とし、マテアの足裏に奴隷商の焼き印が押されていないのを確認して(奴隷商の中には自分が扱った奴隷であることを示す焼き印をそこに入れる者がしばしばいるため)、再度中年女に目を戻した。
「では買おう」
「おう、いつまでも何ごちゃごちゃぬかしてやがんだよ、ひとの商品で」
レンジュの声にかぶさり、かき消したのは、ゼクロスだった。
野次馬でできた垣根をかき分け、前を開けない仲間を気がきかないと罵りながら突き飛ばし、中年女の横に出る。彼は、割当ての位置で競売用の台を設置したり奴隷を出す順番を決めたりといった指示を出していたため、騒ぎに気付くのが遅れたのだ。
ゼクロスは今朝早く車軸の件でたたき起こされて以来力作業の連続で、自慢の顎髭を整える間もなく、髪はぼさぼさ、疲労に顔色も悪く、まるで彼自身が使用人であるかのように服も汗染みでよれよれだったが、相手を必要以上に威圧しようとする覇気は失われてなかった。
「逃げた奴隷を捕まえてもらったってだけのことだろ? 返してもらやぁすむことじゃねーか。それを、だらだらくっちゃべって、こんな騒ぎにしちまって。おかげで肝心のあっちぁ閑古鳥が鳴いてやがるぞ」
マテアを抱くレンジュをやぶ睨みしたまま、ゼクロスは不快気な声で中年女に言う。
「そうは言うけどね――」
「じき昼だ、もめ事はいらねえ。さっさとしねぇと半数は売れ残っちまう」
反論しようとした中年女に、ゼクロスはさらに声をいらつかせて言葉の先をふさぐと、だらりと垂れたマテアの腕に向けて手を伸ばす。掴み、強引に自分の方へ引き寄せようとしたのだが、レンジュがそれを許さなかった。
マテアを抱く腕の力を強め、ゼクロスの手の動線から彼女の身をずらす。
「なんだぁ? きさま」
レンジュの拒否に、密かに危ぶんでいたこと――マテアの美貌に目がくらみ、手放すことをしぶる、というもの――が起きたと思い、さらに睨む力を強めたゼクロスに、レンジュは臆することなく告げた。
「言ったはずだ。買うと」
「はっ、冗談じゃねえ!」
即座に語尾へ噛みつく。
「その女はなぁ、雑兵なんかのてめぇなんぞに買えるよーな女じゃねぇんだよ。はじめっからおよびじゃねえんだ。女が欲しいんならあっちへ行きな。てめぇに似合いの女をいくらでも提供してやってるぜ」
「いくらだ」
マテアを見つめ、耳に入れている様子のないレンジュに、やれやれとゼクロスは肩をすくめた。
すっかり女に目がくらんで、正常な判断ができなくなってやがる。一介の雑兵ごときに持てる女かどうか、常識で考えりゃすぐわかることだろうに。
「三億八千」
途端、遠巻きに見物していた男たちからどよめきが上がった。
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