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第11章
交わる運命は耐え難き灼熱のもとで 1
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マテアが奴隷商人に捕まってから十日後、商隊はアーシェンカの市に着いた。
『さあさっさとこっちに並びな! どいつもこいつももたもたしてんじゃないよ! 尻を蹴り上げられたいのはどいつだい!』
ひきりなし、神経質なまでにぴしぴしと鞭で馬車の一端を打ちながら、外であの中年女が喚いている。
その言動に表れているように、彼女は今猛烈に機嫌が悪かった。道中先頭の馬車がぬかるみにはまって車軸が割れてしまい、その交換修理に手間どって思わぬ時間をくってしまったためだ。そのせいで、着くのが半日も遅れてしまった。
市でいい場所をとりたいのであれば、夜が明ける前から今回の市の主催者である首長たちの集まった天幕の前に集合して、会合に参加しなくてはいけない。そこで参加費額を記した紙を手渡し、希望の場所を述べる。
参加費の額は決まっていない。各人が市での売り上げを予想して、算定した額を記す。そして発表を待ち、割り当てられた場所の番号を記した木券をもらう。
つまりこの草原を仕切る部族への寄付金の額によって、天幕を張る位置の優先権が決まるのだ。出店者にとって、これは大きな問題だった。どこに店を出すか、それによって売上に天地の差が出てくるからだ。位置や面積によっては演出から考え直さなくてはならなくなる。できるだけ大きく、見栄えのする位置をと誰もが望んで挑む会合に遅刻するというのは、致命的な失態なのである。
案の定、残っていたのは荷車を横に二つ並べたならはみ出るほどの幅しかない、出口のすぐ隣だった。しかも陽は中天近くまで昇っていて、市はとうに始まっている。これでは予定していたような、人目をひきつける華々しい台の組み立てはできないだろう。
『市を見て終え、財布を軽くした者たちを相手に商売をしなけりゃならないなんて。ああなんてこったい!
なんでよりによってこの日に……。一体あたしが何したっていうのさ!』
横木を赤錆色に塗布した馬車の腹に、競売へかける順で女たちを並べながら、中年女はいまいましげに舌打ちをくり返す。
いつもの数倍唾をとばし、金切り声が裏返るほどぎゃんぎゃんわめきたてては雪に足や裾をとられて思うように動けないでいる女たちをのろまと罵り、鞭を振り回している。
横木が青錆色に塗布された馬車の中では、少し離れた別の場所でもまるで中年女とはりあおうとしているかのように大声で舞台飾りの指示を出しているゼクロスや、チラシを手に客寄せに必死の男たちの様子をほろの隙間からうかがって、女たちがクスクス笑っていた。
『あーあ。すーっかりのぼせっちゃって。ばっかみたい。あんなに怒鳴ったところで自分が疲れるだけじゃないの』
『きっと夕方には声が枯れてるわよ。ほら、あのギャアギャアうるさいナナホシガラスみたいに。絶対。賭けてもいいわ』
『やだやだっ。あたしあのダミ声だいきらい。あいつら死体ついばんでるんでしょ? 死霊が憑いてるってあたしの村じゃ言ってたわ』
『あいつらだってそんなもんよ。全滅した隊やら村からあたしたちかき集めてるんだもの。きっとお似合いよ、ナナホシガラスの大合唱』
女たちは普段自分たちに向かって居丈高にあれこれと命令する者たちがあわてふためく姿を見ることができることに、心底嬉しそうだった。
彼女たちは皆、この市では売らないと決められている女ばかりである。その容姿の麗美さから、初値からかなりの高額となるため、こんな辺境の市に集まる程度のランクの客では相手にならないのだ。
こういう市で売買されるのは、主に端女と呼ばれる隊の男たち共有の女奴隷か、世話女と呼ばれる個人所有の女奴隷。くる日もくる日も飯炊きや掃除・洗濯・裁縫などといった雑役でこき使われ、はては性奴扱いまで受ける。位の高い敵を倒し、褒賞をためて少しばかり懐が裕福になっている兵士なら自分専用の性奴として購入していくこともあるだろうが、それとてこの馬車に乗った女たちの額には遠く及ばない。
もっとも、性奴とはいっても専用の端女を持っていない限り性奴専門にはしていられないから、当然世話女と同じこともしなければならない。
戦場において、隊の規模を表す数字の一つとして数えられる程度の存在でしかない下級兵士が性奴と世話女を個別に所有するには、よほど倹約をして何年もためこまなくてはならず、およそ現実的ではないからだ。
生死を賭けた戦いに明け暮れる日々、死の恐怖をまぎらわせるために金を用いない男などまずいない。いくらためこもうと死ねばそれまでだということを、彼等はよく知っている。死出の旅路に持って行けず、墓に入れられることもなく国に没収されるのなら、生きているうちに使った方がよほど役立つというものだ。
だから彼等は金を惜しまず、市や商隊に出会うたび、財のほとんどを投げうって一時の快楽を求め、消耗品を買う。あるいは金を出しあい、共有という形で都合のいい女を。
だがこの馬車に集められた女たちは違う。
金で位を買い、戦火からは遠い地を回る者たちや、強固な防備と闇のつながりで安全な定置に留まることができる、ごく一部の限られた金持ちのための女だ。
女は磨き、金・銀・玉で飾りつけ、その美しさを愛でるものと思っている好事家や道楽者を満足させるために彼女たちは存在する。
血まみれで泥の中を這いずり回っているうす汚い兵士など、最初からお呼びでないのだ。
『さあさっさとこっちに並びな! どいつもこいつももたもたしてんじゃないよ! 尻を蹴り上げられたいのはどいつだい!』
ひきりなし、神経質なまでにぴしぴしと鞭で馬車の一端を打ちながら、外であの中年女が喚いている。
その言動に表れているように、彼女は今猛烈に機嫌が悪かった。道中先頭の馬車がぬかるみにはまって車軸が割れてしまい、その交換修理に手間どって思わぬ時間をくってしまったためだ。そのせいで、着くのが半日も遅れてしまった。
市でいい場所をとりたいのであれば、夜が明ける前から今回の市の主催者である首長たちの集まった天幕の前に集合して、会合に参加しなくてはいけない。そこで参加費額を記した紙を手渡し、希望の場所を述べる。
参加費の額は決まっていない。各人が市での売り上げを予想して、算定した額を記す。そして発表を待ち、割り当てられた場所の番号を記した木券をもらう。
つまりこの草原を仕切る部族への寄付金の額によって、天幕を張る位置の優先権が決まるのだ。出店者にとって、これは大きな問題だった。どこに店を出すか、それによって売上に天地の差が出てくるからだ。位置や面積によっては演出から考え直さなくてはならなくなる。できるだけ大きく、見栄えのする位置をと誰もが望んで挑む会合に遅刻するというのは、致命的な失態なのである。
案の定、残っていたのは荷車を横に二つ並べたならはみ出るほどの幅しかない、出口のすぐ隣だった。しかも陽は中天近くまで昇っていて、市はとうに始まっている。これでは予定していたような、人目をひきつける華々しい台の組み立てはできないだろう。
『市を見て終え、財布を軽くした者たちを相手に商売をしなけりゃならないなんて。ああなんてこったい!
なんでよりによってこの日に……。一体あたしが何したっていうのさ!』
横木を赤錆色に塗布した馬車の腹に、競売へかける順で女たちを並べながら、中年女はいまいましげに舌打ちをくり返す。
いつもの数倍唾をとばし、金切り声が裏返るほどぎゃんぎゃんわめきたてては雪に足や裾をとられて思うように動けないでいる女たちをのろまと罵り、鞭を振り回している。
横木が青錆色に塗布された馬車の中では、少し離れた別の場所でもまるで中年女とはりあおうとしているかのように大声で舞台飾りの指示を出しているゼクロスや、チラシを手に客寄せに必死の男たちの様子をほろの隙間からうかがって、女たちがクスクス笑っていた。
『あーあ。すーっかりのぼせっちゃって。ばっかみたい。あんなに怒鳴ったところで自分が疲れるだけじゃないの』
『きっと夕方には声が枯れてるわよ。ほら、あのギャアギャアうるさいナナホシガラスみたいに。絶対。賭けてもいいわ』
『やだやだっ。あたしあのダミ声だいきらい。あいつら死体ついばんでるんでしょ? 死霊が憑いてるってあたしの村じゃ言ってたわ』
『あいつらだってそんなもんよ。全滅した隊やら村からあたしたちかき集めてるんだもの。きっとお似合いよ、ナナホシガラスの大合唱』
女たちは普段自分たちに向かって居丈高にあれこれと命令する者たちがあわてふためく姿を見ることができることに、心底嬉しそうだった。
彼女たちは皆、この市では売らないと決められている女ばかりである。その容姿の麗美さから、初値からかなりの高額となるため、こんな辺境の市に集まる程度のランクの客では相手にならないのだ。
こういう市で売買されるのは、主に端女と呼ばれる隊の男たち共有の女奴隷か、世話女と呼ばれる個人所有の女奴隷。くる日もくる日も飯炊きや掃除・洗濯・裁縫などといった雑役でこき使われ、はては性奴扱いまで受ける。位の高い敵を倒し、褒賞をためて少しばかり懐が裕福になっている兵士なら自分専用の性奴として購入していくこともあるだろうが、それとてこの馬車に乗った女たちの額には遠く及ばない。
もっとも、性奴とはいっても専用の端女を持っていない限り性奴専門にはしていられないから、当然世話女と同じこともしなければならない。
戦場において、隊の規模を表す数字の一つとして数えられる程度の存在でしかない下級兵士が性奴と世話女を個別に所有するには、よほど倹約をして何年もためこまなくてはならず、およそ現実的ではないからだ。
生死を賭けた戦いに明け暮れる日々、死の恐怖をまぎらわせるために金を用いない男などまずいない。いくらためこもうと死ねばそれまでだということを、彼等はよく知っている。死出の旅路に持って行けず、墓に入れられることもなく国に没収されるのなら、生きているうちに使った方がよほど役立つというものだ。
だから彼等は金を惜しまず、市や商隊に出会うたび、財のほとんどを投げうって一時の快楽を求め、消耗品を買う。あるいは金を出しあい、共有という形で都合のいい女を。
だがこの馬車に集められた女たちは違う。
金で位を買い、戦火からは遠い地を回る者たちや、強固な防備と闇のつながりで安全な定置に留まることができる、ごく一部の限られた金持ちのための女だ。
女は磨き、金・銀・玉で飾りつけ、その美しさを愛でるものと思っている好事家や道楽者を満足させるために彼女たちは存在する。
血まみれで泥の中を這いずり回っているうす汚い兵士など、最初からお呼びでないのだ。
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