月光聖女~月の乙女は半身を求める~

46(shiro)

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第6章

異なる世界、異なる理(ことわり) 5

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『もうよせ、ゼクロス! それ以上やったら死んじまう!』

 ゼクロスより大分小柄な体格のその男は、はがいじめたゼクロスをそのまま小屋の壁まで引っ張り、痙攣している少女から引き離す。

『うるせえ! はなせナウガ! このおれさまが、こんな小娘なんぞに馬鹿にされたままでたまるかってんだ!』
『だからって殺すのは短絡的だぞっ。いくら自分が見張りしてたときに逃げられたからって、熱くなりすぎだぜ、おまえ』
『殺しちまえばいいんだよ、こんなあばずれは! いい見せしめだ! ひとがちょっと手綱緩めてやりゃあすぐ調子にのって、よけいな手間かけさせやがって! おかげでこんな、しなくてもいいクソ寒い思いまでしなくちゃならなくなった!
 おまえもだ! ほんとなら今ごろあったかい天幕の中で酒飲んで飯食ってるはずだったんだぞ! なのにこいつやあのガキどものせいで、おれたちだけこんな……。
 おまえは腹立たねーってのかよ!』
『いくら頭にきたからって、殺しちまったら元も子もないだろう。せっかくフラオの片田舎まで出向いて仕入れてきたんだ、売らなきゃこっちが損をするだけだぜ?』

 ねばり強く言い聞かせるナウガの言葉はいちいちもっともで、ゼクロスも沈黙するしかない。やがて、ゼクロスの鉄板のようだった全身から余計な力が抜けて、彼に分別が戻ってきたのを知ったナウガはゆっくりと手を離し、慰めるように肩を数度叩くと、今度は床で失心している少女に近付き、覗きこむようにして髪に埋もれた顔をさぐった。

『あぁあ。これはしばらく跡が消えないぞ。腹の方もだ。骨が折れてなきゃいいが……』
『けッ。その器量じゃせいぜい五十~七十上級銀貨がいいとこの下級奴隷だ。痣の一つや二つ、気にするほどの値段か。まとめ売りでもしなけりゃ買い手なんざ現れっこないさ』

 頭では理解できても感情の方はそう簡単におさまってくれないのか、ゼクロスは忌々しげに少女の尻に軽く蹴りを入れる。

『だからだよ。今度の市でも売れ残ったりしてみろ。次の市まで二ヵ月も連れ歩いたら、それこそ大赤字じゃないか』

 ゼクロスの子供っぽい態度を非難するように眉をひそめ、言葉を返すナウガの背を、ゼクロスは射貫かんばかりに睨みつけた。
『なら隊の女どもに言って、厚く化粧塗りたくらせて後ろで俯かせてりゃいいだろうが』との文句を視線にこめる。

 その目が足元のナウガの背中から、キイキイと耳障りな音をたてている蝶番の壊れた扉にそれ、目的もなく小屋の中をさまよい、対角の隅へと向いた直後。息をひそめ、身を縮められる限り縮めているマテアの存在に気付いてゼクロスは動きをとめた。

 マテアは小屋にゼクロスが現れたとき、そのただ事ではない雰囲気に恐怖を感じて、奥の暗がりへ逃げこんでいたのだ。できる限り身を小さくし、様子をうかがっていたマテアは、見るからにか弱気な少女を平然と殴りつけ、あまつさえ蹴りつけたゼクロスに衝撃を受けて、一刻も早くこの小屋から逃げたかったのだが、そうしようにも唯一の出口は男たちによってふさがれていた。逃げるためにはその脇を通らねばならず、気付かれないようにするなど不可能である。

 せめて、ここに自分がいることを気付かれませんようにと口を手でおおい、恐怖に叫びだしたいのを懸命にこらえてきたマテアだったが、その甲斐もなく、今、ゼクロスの目がはっきりと自分を捕らえたことを悟って、彼女はとうとう小さな悲鳴をあげた。

 ゼクロスは思いもよらなかった存在に、あんぐりと口を開けている。彼女の存在と自分のの方こそ信じられない、との思いでごしごしこすったが、そうしてもマテアの姿は消えない。

『――お、おいナウガ』

 目を放した一瞬後に煙のように消えてなくなるのを懸念して、ゼクロスは彼女から目をそらさず、まだ少女の傷の具合をはかっているナウガをそっと呼ぶ。

『なんだ?』
『おれの目がおかしいのか? とんでもねぇ美女が見える』

 ナウガはふうと息をつき、床でぐったりとしている少女に関心の大半を残しながらもゼクロスの視線を追う。

『なに馬鹿なことを……今の時期、こんな場所に人がいるわけないだろう? 逃げた奴隷だってこいつが最後の一人――』

 だがそうして否定を口にしたナウガも、彼女の姿を見た瞬間その美しさに言葉を奪われ、最後まで続けることができなかった。

 ただ単に黄金の髪に青銀の瞳を持つというだけならば『めずらしい』の一言ですんだだろう。この国の人間は黒髪・黒眼だが他国の人間が全くいないわけではないし、特に国境の近いこの地方では混血もすすんでいる。そして大方において、混血は美しい者が多い。(だからこそ、奴隷商人は無理を承知で極寒の地であるこの地を渡って買いつけに行くのだ)


 けれども両月光神が自ら生み出す月光聖女であるマテアの造作は、常軌を逸していた。


 この世のものと思えない、洗練された美貌を持つマテアをすぐそばで見て、人の売買を商売とし、様々な美女を扱ってきている二人ですら咄嗟に言葉が出ず、見惚れてしまう。

『すごい……』

 ゆっくり十を数えるだけの間をあけて、ナウガは感嘆の声をもらした。マテアは彼等の所業におびえて声も出ず、震えている。その今にも泣きくずれてしまいそうな頼りなげな表情までが、彼等をそそった。

 ゼクロスが、先に動いた。
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