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第6章

異なる世界、異なる理(ことわり) 4

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 あの男に会って<リアフ>を返してもらえればいいだけだ、なんて。今さらながら、自分のした考えの甘さに涙がにじんだ。
 異なる神によって創造された広大な世界で、誰一人知る者も頼る者もなく、見知らぬ地を目指し、顔もろくに覚えていない一人の男を捜し出す――そんなことがわたしにできるだろうか?

 もう五日過ぎた。その間ずっと歩き続けたのに、周囲の景色は変わらない。月光界での四日がこちらでの四ヵ月と少しにあたるのなら『月誕祭』まではまだ十一ヵ月近くある計算になるのであせることはないとはいえ、どこまでいっても雪景色で、生き物の姿一つなくて……。はたしてこの景色が途切れることがあるのだろうか? 明日も明後日も明々後日も、ずうっとこのまま雪原をただ一人歩き続けるだけなのだとしたら…?

(――だめ。今は考えちゃいけない)

 熱くなった瞼にマテアは直感的にそう思い、それまでの考えを断ち切るように寝返りを打つ。心の防御が弱まるこのときを狙っていたかのように胸中へすべりこもうとする、不安と孤独を追い払うべく強く首を横に振って、固く固く瞼をとじあわせたとき。

 まさにその一刹那に運命は彼女を襲った。



 風に負けて開くことのないよう、床との間に布を押しこみ、閉じていた扉が突然押し開けられ、途端どっと強い雪風が吹きこむ。内側の壁に扉が打ちつけられた、バンッという音に重なって、強張った女の声が飛びこんだ。

『た、助けて、誰か……!』

 声に遅れて、黒髪の女性がよろよろと小屋へ入ってくる。
 戸口によりかかるように両手をついたのは、ぼろぼろの衣服をまとった少女だった。

 マテアほど薄着ではなかったが、重ね着したどの布も質が粗悪なのが一目でわかり、安っぽい。なにより、どこもかしこも色褪せて毛羽だち、くたびれきっている。そしてそれをまとった少女の方も、すっかりくたびれてしまっているようだった。
 面からも指先からも病的なまでに血の気が失せて、体に積もった雪を払い落とそうとしない。唯一、充血した目だけがぎらぎらしている。

 少女は、肩で息をしながら小屋の中を見回し、中にいるのがマテア一人であることを知って、小さく呻いた。風の音が強く、何を口にしたかまではわからなかったけれど、その表情から、絶望に通じるものだとの察しはつく。少女は瞳から急速に光を失い、よろよろとその場に両膝をついた。絶望の後、襲ってきたのは恐怖であったのか。蒼白した面で何事かを呟きながら、倒れこむように伏せってしまう。

 はたしてどう対応すればいいのかわからず、すっかりまごついてしまったマテアの前で、風雪の白いカーテンの向こう側から今度はこん棒のような腕がぬうっと現れた。

『こんのアマぁ! こんな所にいやがったな!』
『ひッ……!』

 腕は跳ね起きた女の髪を鷲掴みにし、ぐいと引き上げて、真上に迫った顔と顔をつきあわさせる。ごつごつとした頬骨と額を走った鉤裂き傷、三角にとがった顎髭を持つ、壮年の男だ。炭をこすりつけたような色をした肌の中、危険な光を浮かべた目とむきだされた不ぞろいの黄色い歯が、岩のような面をさらにおそろしく醜悪なものにしていた。

『吹雪にまぎれてなら逃げられるとでも思ってやがったのか? ぇえ? うまく逃げきれると思ってやがったのかって訊いてんだよ! 答えねぇか、おらあッ』
『あ…お、ねが――』

 鼻先が触れるほど近距離から男の形相を見た少女は見るも哀れなほど震えあがり、涙ながらに口をぱくぱくさせていたが、肝心の声が出ないようだった。男自身、口ではああ言いながらも釈明を聞く気は一切ないらしく、何か言いたげだった少女をさらに恫喝する。

『うるせぇ! このおれさまから逃げようとしやがるたぁ、メスブタのくせにいい度胸だぜ。んなことすりゃどんな目にあうか、わかっててやったんだろうなぁ』

 低い、獣が唸るような声だった。口端に浮かんだ歪んだ笑い――そこには、制裁という名目で暴力を与えられることへの喜びがあるのは間違いなかった――が否応なく男の不気味さを増長し、直視できないと少女はぎゅっと瞼を閉じて縮こまる。と、男はいきなり少女を横殴りにした。凍傷を避けるため、毛皮で作られた厚手の手袋をしているとはいえ、少女の頭ほどもある太い腕からくり出された一発で、少女は口と鼻孔から血を流して床にこめかみをぶつける。

『ひっ…、ひいぃっ……!』
『この<とがり髭のゼクロス>さまはな、今だかつてたったの一人も逃亡者を出したことがないってんで有名なんだよ。それが商売ってもんだ。期日までに期待通りの質と数を届けてこそ、はじめて信用ができて次の注文もくる。それはなぁ、てめぇのようなクソ奴隷が邪魔していいもんじゃねぇんだよっ!』

 憎々しげに見下ろしていた男は、匍匐して、少しでも自分から逃れようとしている少女の横腹にどかりと蹴りを入れる。少女はあまりの痛みに叫ぶこともできず、腹に手をあてて床を転がった。

『あぅ……あぅうっ……』

 激痛に身をよじり、少女は血と涙と唾液まみれの顔を床にすりつけた。顔は赤黒く染まり、手足をひきつらせ、失心寸前だというのに、男は容赦がなかった。顔面を踏みつけようというのか、歩み寄り、少女の頭の上で右足を上げる。それを間一髪で制したのは、新たに小屋へ飛びこんできた男だった。
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